返信


■--石原莞爾の最後の時の証言
++ 仲條拓躬 (社長)…822回          


石原莞爾の8月15日について、傍で看病していた同志である淵上千津氏はこう語っています。「将軍は苦しくなるから上を向いて寝てもいらっしゃれないのです。尿瓶を抱えて、浴衣一枚のような格好をして、背もたれて我慢してらした。 傷口に塩を塗るようなものですから、尿は塩分ですからね、痛いはずです。 それなのに、痛いとはおっしゃらない。」

「それでもお客様が毎日こられ、お会いになっておられた。普通の人だったら気が狂っていたと思います。それでもね、痛いとはおっしゃらず、看護する人に、逆にお疲れでしょう、と冗談を言ったりして気を遣っておられました。 家の外には西山農場の人、近くに住む人たちが心配そうに集まって来ておられましたが、私は傍にいたのです。」

「すると将軍は、まあだだよ!とお声を出される、今何時ですか、とおっしゃる。 4時何分とか言っていたら、 『もうすぐですね』とおっしゃった。それは引き潮のことですね。人間は引き潮の時に息を引きとる、といいますでしょう。」

「将軍はそのことを言ってらして、『さあ皆さん、お題目を唱えましょう』とおっしゃって、皆なで南無妙法蓮華経と、お題目を唱えたのですよ。将軍、自分の死に時をちゃんと読んでらしたのでしょうね。将軍が亡くなられて、身体をまっすぐにした時に、ああ、やっとお楽になられたな、と思いましたよ。どんなに、お辛かったかと思って」と言って泣いた。

終始、石原莞爾を看病し、酒田法廷では傍に座った看護婦で、父親で医師の小野誠淳と一緒に傍にいた小野克枝氏は、15日前後のことを次のように書き残しています。「十三日夜半から尿閉を起こし、十四日は午後になっても、お疲れがとれないかに思われましたが、夕刻すぎて背中が寒いといわれ、呼吸困難と胸部の圧迫を訴えられました。」

「高木、牛嶋、水越先生等が背中を、奥様が右手を、私が左手をしっかり握っておりますと、ひえびえと感じるので、おみ足にさわると冷めたく思われるのでした。閣下は常に、私どもに 『終わりの時は朧とご唱題なさるので、私どもも大きな声でご唱和致しました。』
.. 2023年03月25日 09:30   No.2718001

++ 仲條拓躬 (社長)…823回       
「涙が出て声がつまると、閣下は、『泣くな!』と二度ほどおっしゃいました。そのうちに武田先生が来られ、つづいて皆様が駆けつけられました。 うなだれていらした閣下は、ぱっちりと眼をあけて、一人一人に握手をされて、『お世話になりました。サヨナラ、サヨナラ』と、あたかも旅にでも行くように、いちいちご挨拶なさるのでした」

農場で働く同志や、駆けつけてきた人たちと、石原莞爾は一人一人握手し、最後の別れをした。石原莞爾は皆んなと握手しながら「お世話になりました。サヨナラ、サヨナラ』と声をかけた。外で泣く声がすると、「もうお別れの人はないの?」と傍にいる小野克枝氏や淵上千津氏たちに声をかけた。

薄れゆく意識の中で、石原莞爾の脳裡には蒼い荒野が広がってきた。初めて渡った満州の大草原である。人々は飢え、夏は大豆畑に座り乏しい食にありつき、冬は寒波と雪の中で冬眠し、凍結した氷の川を襲撃する賊に食糧と子供を奪われ泣き崩れる親たちの姿である。

絶えず戦火の中で生き続ける運命の満州人、睡賊に追い出される日本人の居留民たち、ロシア兵の侵攻でシベリアからアムール川へ追い払われ、さらには満州里とウラジオストックから鉄道を伸ばして南の旅順まで占領するロシア軍の前に何も出来ない満州人たちの哀れな姿が甦ってきた。

さらには朝鮮半島に軍事顧問団を送り込んで半島を支配し、釜山に軍港を築こうとしたロシア軍の動きに、日本軍がやむなく旅順港を攻撃して始まったロシア戦争、その旅順に妻の銚子と出かけて官舎住いをした日々が、昨日のように甦ってきた。

あの頃の旅順と奉天のまちは治安に恵れ、多くの満州人と知り合い、歓迎された。まだ日本は旅順を中心とする小さな関東州しか支配していない頃で、大連も奉天も長春もハルピンも張作霖の息子張学良の支配下にあり、日本軍は鉄道の守備地に駐屯しているにすぎなかった。

日ごと満州の北部に居留していた日本人への迫害が強まり、多くの日本人が旅順に引き返す姿を見てきた石原莞爾は、列車で長春、ハルピン、吉林を訪れ、駅周辺を視察し、邦人の声を聞いて歩いた。

無法化した満州の治安を守るには日本軍の軍政しかないと気付き、彼の作戦で始まった奉天事件だったが、二十二万の張学良軍と二万の日本軍の戦いが終ってみると、これまで隠れていた反張学良派の満州人が現われた。

.. 2023年03月25日 09:35   No.2718002
++ 仲條拓躬 (社長)…824回       
彼らに満州国の運営を譲った日から、石原莞爾は治安軍隊のみを置き、日本人は政治から身を退くことにしたが、この時、日露戦で日本軍の通訳官をしていた于忠漢との出会いが、五族協和と政治思想団体の協和会の創設になった。あの日から満州は、五族の協和国家の理想に燃えていた。

五色の国旗が街道に飾られ、人々は張学良の過酷な支配から解放され、子供たちは教育を受け、新設された各種大学に進む者、満州国軍学校に入隊する者、日本企業に転職する者、飛行機製造、自動車工場で働いて収入を得る者など、経済的に豊かになり、また二つの巨大な水力発電所から生れる電力で、各家庭に電灯がともり出して、どの家も心までが豊かになっていった。

しかし石原莞爾が去ってからの満州は、次第に日本軍による植民地化が進み、日本式の法律で満州人の生活が拘束され、人々の顔から笑いが消えはじめていた。形なりとは言え、満州人は豊かになり、満州国の軍隊も育ち、ひとつの国家になった。石原莞爾が築いた満州国は、神武天皇に次ぐ建国であったが、思い違いをした日本の軍政になり下がっていた。

八月九日、戦力が衰えた満州国ヘソ連軍が侵攻し、無力化した満州国は共産化され消滅していった。かつて喜びに満ち溢れた満州人の姿は、もはやこの地上から消えていった。お題目を唱えていた時である。 石原に奇蹟が起きた。脈がしっかり打ち返し始めたのである。

足も暖かくなってきた。すると石原莞爾は、「ながびくのなら、御題目の御利益も迷惑だな」と冗談を言った。そのあと 「ながびくらしいから、治療する人だけ残って、皆さんにひとまずお引きとりいただこう」と言った。狭い部屋には小野父娘、妻鏡、武田、淵上など看護する人だけが残り、他の人たちは家の外で、声に出して、南無妙法蓮華経と合唱した。

西山一帯の松林は、この夜半から明け方にかけて、南無妙法蓮華経の読経が大合唱された。その合唱は月光川を渡り遊佐町一帯まで風に乗って広がった。淵上千津氏に背負われた幼児に声をかけたり、懐妊中の女性のお腹をなでて別れをつげる石原莞爾の容態が急変しはじめたのは、十五日午前二時頃だった。

.. 2023年03月25日 09:41   No.2718003
++ 仲條拓躬 (社長)…825回       
石原莞爾は淵上千津氏の口述にもあるように、この頃から、しきりに時間を気にしはじめた。「四時をうつと、お苦しかったのか、五分置きぐらいに時間をお聞きになっては、ぐったりとうなだれるのでした」と小野克枝は臨終前の様子を語っている。

石原莞爾が最後に時間を聞いたのは、午前四時三十五分だった。静かに目蓋を閉じていた石原莞爾の手が、ぐっと力がこめられた。その直後、痙攣が走り、のけぞった。呼吸が止まった。右手首を押さえていた小野克枝氏の指は、脈がとまったのを確認した。「午前四時五十五分でした」と小野克枝氏は語っている。

淵上千津同様、小野克枝氏も妻銻も、仰向けになって体を伸ばせた石原莞爾の姿を見たとき、「やっと、お楽にられた」と泣いてしまった。妻の銻は思わず、「痛いなら痛いって言わせてあげたかった」と声に出し、その場で泣き崩れた。石原莞爾は、日蓮聖人と同年令の六十歳と七ヵ月の生涯を、西山農場の小さな自宅で閉じた。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

.. 2023年03月25日 09:48   No.2718004
++ 木原壯林 (部長)…241回       
戦後最悪の政権が原発推進、軍事費倍増に向かって暴走しています
 | 「原発依存社会」への暴走です
 | 4月29日、高浜町「関電よ 老朽原発うごかすな!高浜全国集会」へ
 └──── (老朽原発うごかすな!実行委員会)

 今、戦後最悪の政権が原発推進、軍事費倍増に向かって暴走しています。
原発過酷事故と戦争の足音が、だんだん大きくなり近づいています。

 岸田政権は昨年来、炭酸ガス削減やウクライナ紛争に因るエネルギー
ひっ迫を口実にして、「原発推進」を、自民党のポスターにあるように
「決断と実行」しようとし、今、開会中の通常国会で関連法案の改悪を
画策しています。その中には、原子力の憲法ともいわれる原子力基本法
の改悪も含まれます。原発活用を「国の責務」と位置づけようとしてい
ます。「原発依存社会」への暴走です。

 岸田政権は、原発運転期間は原則40年、最長でも60年とした法律を骨
抜きにし、原発の60年超え運転への道を開こうとしています。しかし、
世界にも、60年を超えて運転した原発はありません、もっとも老朽な
原発でも、運転期間は53年です。地震、火山噴火、津波の多発する日本
での原発60年超え運転は、福島原発事故の犠牲と教訓を軽んじるものです。

 一方、岸田政権は、一昨年10月に決定した「エネルギー基本計画」では
「原発の新増設は想定しない」としていたにも拘らず、決定から1年も
経ない昨年8月、革新型原子炉や新型小型原子炉を建設する方針に転換
しました。これらの原子炉は、過酷事故の危険性や長期保管を要する使
用済み核燃料を残す点では、従来の原子炉と何ら変わるところがありま
せん。「革新」や「小型」の言葉遊びで人々をだまそうとしているのです。

 岸田首相がいかに願望しようとも、政治的な判断で、科学・技術が急に
進歩することはありません。原発の老朽化を防ぐ技術や安全性を高める
技術が急に向上することはありません。科学的根拠もなく、原発推進へ
暴走する岸田政権を許してはなりません。

.. 2023年03月26日 08:31   No.2718005
++ タク (社長)…2856回       
言語が消滅している
男性は発音や話し方が明瞭ではありません。その証拠に会合などでお話を聞いていると「あーうー」と言った音が言葉の間にはさまるし、話を最後まで言い切らずに口篭もる事がとても多いのです。声色も女性が大体、五種類を使い分けるのに対し、男性の声は三種類しかありません。

男性と女性の違いがはっきり現われるのはスポーツ選手でしょう。スポーツの女子選手は今やった試合の事を正確かつ簡単に解りやすく話すことが出来ますが、これが男子選手だと何を言っているのか理解できないし唇さえろくに動いていません。

小学校に上がったばかりの年齢では女の子の方の言語能力が高いです。そのため男の子はどうしても国語の成績が悪くなります。よどみなく言葉が出てくる女の子達を前にすると男の子は自分がバカでがさつな人間のような気がしてきます。だが、学年が進み空間能力が重要な役割を果たす理科系の科目が出てくると今度は女の子が遅れをとるようです。

言語といえば、世界に6000ぐらいの言語があり、その半分が消滅すると予想されています。世界の言語の約3分の1はアフリカで使用されている言語で、その中の約200の言語は、話す人が500人以下だといいます。人口の半分は、中国語、英語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、ポルトガル語、フランス語などの言語を使用しています。

言語が消滅してしまうと、その言語を使用する人がいなくなるというだけではなく、その言語に付随する様々な知識が言語と共に消滅するのです。環境に関して言えば、生態系を守る自然の仕組みが失われ、深刻な影響があると国連会議でも報告されていました。

その国連会議の報告によれば、インドネシア中央部にあるカヤン族の居住区域には立ち入り禁止の森があるそうです。その地域に住む長老たちが、区域内の狩猟や採集を禁じて、森を守っています。カヤン族の言語はカヤン語で、話せる人は1万人をきり、言語の衰退とともに伝統的に伝えられてきたものが、消滅する可能性があるといいます。

また、アフリカのマダガスカルの対岸に位置するモザンビークには、23の言語があるそうです。この地域で伝統工芸を若者に指導をしている方は、「若者が祖先の言語を使わなくなった」と嘆いています。

.. 2023年03月26日 09:28   No.2718006
++ タク (社長)…2857回       
植民地時代に強制されたポルトガル語が共通言語となったからだという。まもなく民族の言語が消え記憶が消えてしまうことでしょう。教育に携わっている人は、言語の衰退は、民族が所持している伝統的な文化が滅ぶものであると話しています。

先進国では、頭のいい人間と悪い人間を何で測るかといえば、社会的適応性でしか測れないでしょう。そうなると、言語能力の高さということです。一般社会で、頭がいいと言われている人について、具体的、科学的にどの部分が賢いのかを算出しようとしても無理なことで、客観的な基準を置いて測ること事態が、意味の無いようです。そうなると言語を消失した人々も一番大切な何かを無くして大きな言語集団に飲み込まれてしまうのです。

.. 2023年03月26日 09:34   No.2718007
++ タク (社長)…2858回       
ゼロ戦を語る米軍兵士
米軍兵士が語る。今、思い返してもあのゼロ戦には悪魔が乗っていたと思う。コクピットには、人間ではなく悪魔が乗っていたのだと思う。ゼロ式戦闘機は低空ギリギリにやって来た。ほとんど海面すれすれだった。しかも空母の真後ろからです。

米軍の空母は近接信管付きの砲を撃ちまくったが、海面が電波を反射して、目標に到達する前に爆発してしまう。ゼロ戦は、近接信管の弱点を知っていたのだろうか。しかし近接信管が駄目でも、近づけば機銃がある。この頃、エセックス級の空母にはおびただしい数の対空砲と機銃が備えつけられていた。

五インチ砲十二門、四〇ミリ機銃七十二挺、二〇ミリ機銃五十二挺、まさにハリネズミ状態です。このハリネズミに噛みつくことは不可能です。ゼロ戦が4000ヤードまで近づいた時、四〇ミリ機銃が一斉に火を噴いた。たった一機の飛行機に何千発もの機銃弾が撃ち込まれるのです。

機銃ごとに色違いになった無数の曳痕弾がゼロ戦に向かって飛んでいく。ついにゼロ戦が火を噴くのが見えた。やったぞ、と叫んだ。黒煙を吐いたゼロ戦はいきなり急上昇した。機銃員たちは慌ててその後を追ったが、鋭い動きについて行けなかった。ゼロ戦は燃えながら上昇し、機体を捻って背面になった。

そして空母上空に達すると、背面のまま、逆落としに落ちて来た。米兵士たちはなす術 もなく、悪魔が上空から降りて来るのを見ていた。あんな急降下は一度も見たことがない。いや、燃える飛行機にあんな動きが出来るのか。ゼロ戦はまさに直角に落ちて来た。命中の瞬間、米兵士は目をつむった。ゼロ戦は飛行甲板の真ん中にぶつかった。

ものすごい音がしたが、爆弾は炸裂しなかった。不発だったのだ。ゼロ戦は甲板の真ん中で燃えていた。周りには飛び散ったゼロ戦の破片が散乱していた。後になって何人かの水兵に聞いたが、ゼロ戦は甲板にぶつかる直前、翼が吹き飛んだという。俺たちは全員、声も出ないほど震えていた。

甲板にゼロ戦のパイロットのちぎれた上半身があった。それは悪魔ではなかった。俺たちと同じ人間だった。誰かが大声で叫びながら、その死体に拳銃を撃った。甲板の火はまもなく消し止められた。そこに艦長が降りてきた。艦長は半分にちぎれた遺体をじっと見ていたが、その遺体に向かって言った。

.. 2023年03月27日 04:40   No.2718008
++ タク (社長)…2859回       
「我が軍の優秀な迎撃戦闘機と対空砲火をくぐり抜け、よくぞここまでやってきた」その思いは俺たちも同じだった。このゼロは、俺たちの猛烈な対空砲火を見事に突破した。「我々はこの男に敬意を表すべきだと信じる。よって、明朝、水葬に付したい」この男の爆弾が不発でなかったら、我々の何人かは死んでいたかもしれないのだ。

しかし艦長は我々を睨みつけた。それは「この決定には口を挟ませないぞ」という目だった。われわれは飛び散った遺体を集めた。その時、誰かが日本兵の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。「赤ん坊だ」その声に、皆が写真を覗き込んだ。俺も見た。着物を着た女が赤ん坊を抱いている写真だった。「くそっ。俺にもガキがいるんだ!」

ルー・アンバーソン曹長が吐き捨てるように言った。それから写真を丁寧に遺体の胸ポケットに返した。そして部下の水兵たちに言った。「一緒に葬ってやれ」遺体は白い布でくるまれ、艦橋下の待機所に安置された。俺は遺体をくるむ時、パイロットの開いていた目を閉じてやった。怖かった顔が優しい顔になったのを覚えている。

ゼロ戦の残骸は海に投棄された。コックピットに残っていた遺体の半分は取り出すことが出来ず、そのまま投棄された。ゼロ戦が抱いていた爆弾も信管が抜かれ、同じように投棄された。翌朝、手空きの総員が甲板に集まった。今では、あの時の艦長の態度は立派だったと思っている。艦長の息子は真珠湾で戦死したと知ったのは戦後だ。

それを聞いて、尚のこと、あの時の艦長は立派だと思った。一夜明けると、我々のほとんどが、この名も知らぬ日本人に敬意をいだいていた。特にパイロットたちは、彼に対して畏怖の念さえ持っていたようだ。彼らが言うには、ゼロ戦のパイロットはレーダーに捕捉されないように何百キロも海面すれすれを飛んで来たのだろうということだった。

それには超人的なテクニックと集中力、そして勇気が必要だということだ。「奴は本物のエースだ」とカール・レヴィンソン中尉が言った。レヴィンソン中尉は「タイコンデロガ」のエースパイロットだった。多くのパイロットが頷いた。「日本にサムライがいたとすれば奴がそうだ」俺もそうだと思った。

.. 2023年03月27日 04:50   No.2718009
++ タク (社長)…2860回       
しかしこのパイロットがサムライなら、俺たちもナイトでありたい。手空きの総員が甲板に整列する中、弔銃が鳴り響いた。艦長以下士官の挙手の礼に送られて、白布でくるまれたパイロットの遺体は道板から海中に滑り落とされた。鎖の錘をつけられた遺体は、ゆっくりと海の底に沈んでいった。
.. 2023年03月27日 04:57   No.2718010


▼返信フォームです▼
Name
Email
ホームページ    
メッセージ
( タグの使用不可 )
Forecolor
アイコン   ICON list   Password 修正・削除に使用