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日本外交と政治の正体〈479〉 東京大空襲から考える日本の対米隷属 米軍の空襲から外されていた地域は、皇居、丸の内、 霞が関、国会など。下町10万人は死んだ。 孫崎 享
第2次大戦は今や遠い昔のこととなりつつあるが、それでもさまざま な場所で追卓の行事が行われている。 米国では、国際的な緊張が起きると、「リメンバー・パールハーバー (真珠湾攻撃を記憶せよ)」が出てくる。 真珠湾攻撃で日本が米国に与えた被害は戦死者2334人、民間人の死亡 は68人とされている。 一方、広島、長崎への原爆投下では、広島で9万〜16万6000人、長崎 では、6万〜8万人が死亡したといい、両都市で慰霊式典が行われている。
1945年3月10日、東京で夜間空襲があり、死者数は10万人以上、罹災 者は100万人を超えたとされている。 だが、当該地区以外で追卓などの行事は行われていない。空襲で受け た被害は広島、長崎の原爆投下にも劣らないのになぜなのか。
米国で暮らす私の娘は米文学を学び、今、アジア系米文学を主体に 教えている。最大の研究テーマは日系強制収容所関連の文学だ。 その関連で、東京の空襲を調べたのであろう。彼女は3月10日にあわ せ、東京空襲被災地図(下町・都心部)をツイートで紹介した。
この地図を見て驚いた。 被災した地域は下町ばかりで、皇居や財界の中心である丸の内、官僚 機構の拠点・霞が関、国会、東大付近などは明確に攻撃対象から外れて いたからだ。 戦争終結を促すのであれば下町を攻撃しても意味がない。むしろ被災 を免れていた地域こそが要所であり、攻撃対象になる可能性があった。 それなのになぜ、そうならなかったのだろうか。 彼女はこうツィートしている。 <日系収容所からの手紙が残されているので翻訳している。1945年1 月時点で収容所は6月には閉じるだろう、遅くとも8月、と分かってい るのが興味深い>
.. 2023年03月18日 09:08 No.2713001
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