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東京大空襲では、2時間の空爆で10万人以上の方の尊い命が失われました。B−29爆撃機325機が、隅田川を中心に約1700トンの焼夷弾を投下して、東京の3分の1以上の面積が焼失しました。墨田区向島の郷土資料館では、東京大空襲で生き延びた人たちが描く作品を展示しています。
作品の中には「おかあちゃん、手を離さないで」という作品があり、大空襲の中、手をつかんで逃げていたのだろうなぁ〜と思うのです。空爆の日、アメリカは、低コストで空爆が実行できるかを調べていたそうです。爆撃は東京、名古屋などの日本の主要都市に67回空爆し、日本はこの時点でほとんど壊滅状態でした。
それでも広島、長崎に原爆を落としたのです。原爆投下が本当に必要だったのか。真実として東京空襲を行ったアメリカ軍人が口を開きました「民間人を皆殺しにしろ、戦争が早く終わるから、皇居は絶対に狙うな戦争が長引くから」と上官に命令されたそうです。
このアメリカ軍人の証言を裏付ける話として当時の石原莞爾はこう語る、それは極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事に尋問を受けた。横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリした。
検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示した。
畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言った。
次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。」
.. 2023年01月27日 07:39 No.2676001
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