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■--日中戦争が泥沼化した理由
++ 仲條拓躬 (社長)…767回          


華北での総攻撃開始後も、石原莞爾はなおそれ以上の拡大を抑制し、中国側との講和によって事態の収拾をはかろうとしました。 だが石原莞爾が和平の条件として考えていた華北の政治的権益の放棄は、武藤や田中など幕僚層のみならず陸軍首脳部にも受け入れられず、戦争は拡大していくのです。

局地的な戦闘で終わらせようとしていた石原莞爾に対して、武藤章は華北での全面戦争もやむなしとの態度でした。ただ、武藤章も当初は戦争が上海・南京など華中にまで拡大することは必ずしも望んでおらず、華北での中国軍主力を壊滅させることで中国側を屈服させたいと考えていました。だが、戦火は上海にも拡大します。

石原莞爾は、不拡大の方針から上海への陸軍の派兵には反対しました。これに対抗して武藤章は、陸海軍一致による打撃を中国軍に与える必要があるとして、上海派兵に積極的となったのです。石原莞爾も、海軍からの強い要請に、やむなく派兵を了承します。その後も石原莞爾は、上海での戦闘を早期に収束させ、講和に進みたいと考えていました。

だが中国側の全面的な抗戦によって日本軍は苦境に陥り、武藤章らはさらなる陸軍増派を主張します。石原莞爾も上海戦線の状況悪化によって、ついに増派を認めざるをえなくなるのです。こうして、華北での戦線の拡大と、上海での中国側の強力な抵抗によって、石原莞爾の不拡大方針は事実上破綻していったのでした。

その間、石原莞爾は一貫して華北の特殊権益放棄による中国側との政治的妥協を主張しますが、もはや軍上層部にもまったく受け入れられず、ついに石原莞爾は失脚するのです。このように、石原莞爾の対中政策を破砕し石原追放に成功した武藤章は、華中への戦線の拡大とともに、華北分離のみならず、蒋介石政権そのものの全面的屈服へと進んでいく。

それによって中国側の反日姿勢を転換させ、華北にとどまらず中国全域の資源・市場掌握への足がかりを確保しようと考えるようになるのです。武藤章も、華北分離政策策定当初は、必ずしも武力による華北分離の実行を望んでおらず、政治・謀略工作によって政策意図を実現しようとしていました。
.. 2022年11月11日 06:33   No.2619001

++ 仲條拓躬 (社長)…768回       
国際関係への考慮や、対中戦争となった場合、ソ連による軍事介入を警戒していたからです。だが、中国側の抵抗などによって華北分離工作は容易に進捗せず、さらに石原莞爾によって華北分離政策は中止されました。

そこで武藤章は、ソ連国内の混乱と盧溝橋事件を契機に、石原莞爾の対中政策を打破し、華北分離を実現しようとして、石原莞爾の反対する対中軍事行動に踏み切ったのです。したがって事変当初の武藤章の意図は、一撃によって華北分離を南京国民政府に認めさせ、華北の資源や経済力を確保することにありました。

そして、それを足がかりにして、さらに国民政府自体の反日姿勢を転換させ、華中の資源や経済力の掌握に進んでいこうとしていたのです。だが、予想以上の中国側の抵抗を受け、武藤自身も当初想定していなかった上海・南京での戦闘となっていくのです。

この段階では、武藤章も国民政府を全面的に屈服させ、一挙に華北華中を日本の勢力圏下に置こうとするようになります。だが国民政府の執拗な抗戦意志によって、戦線はさらに拡大し、戦争は長期の持久戦となり泥沼化していくのです。

このように日中戦争は、その発端においては、陸軍内の政策対立に起因するもので、武藤章らが石原莞爾の政策的指導権を破砕しようとしたことが重要な動因になっていました。 武藤章ら拡大派も、事変当初は、中国の植民地化や領土分割を企図したというより、華北分離を実現し、それを国民政府に認めさせようとするものでした。

だが、中国側抵抗力への過小評価と、石原莞爾に対抗しその対中政策を打破しようとして、当初の華北分離の意図を超えて事態を拡大させ、戦争目的を広げていったといえます。

.. 2022年11月11日 06:42   No.2619002
++ お金の貸し借りはやめよう (幼稚園生)…1回       

自動販売機で飲物を購入しようとした時、友達にお金を借りる人がいます。親しい友人との間で、ちょっとしたお金の貸し借りをすることは誰にでもあるでしょう。すぐに返せる金額で、忘れずにきちんと返せるなら、いいと思います。

でも、どれだけ親しい間柄でも基本的に貸し借りはしないほうがいいというのがお金の原則です。お金は、便利なものである一方、非常に怖いものにもなります。どれだけ仲が良くても、お金がきっかけでケンカする人もいますし、親友や家族と裁判で争うような事件になることもありますし、殺人まで起きることがあるのです。

なぜなら、お金がないと住む場所や食事に困ることになるからです。それでは生きていけませんから、お金の貸し借りは大きな問題に発展しやすいのです。もう1つ、私が親からずっと言われていたお金の原則は「連帯保証人にはなるな」ということです。

たとえばあなたの友達が大きなお金を人から借りたとします。大きなお金ですから、お金を貸す人からすれば、その友達が返してくれなかったら困ったことになります。そこで、その友達がお金を返せなかったときに、代わりに返してくれる人を用意してくれ、ということになります。これが連帯保証人です。2人の責任でお金を返してね、ということです。

もし連帯保証人になって友達がお金を返さずに逃げてしまったとしたら、あなたはお金を借りていないにもかかわらず、代わりにお金を返さないといけないのです。友達が困っていれば助けてあげようと思うのは当然の気持ちです。

だが、お金の貸し借りが関わってくる場合は慎重に決める必要がある、そして、それは友達がいくら本気でちゃんと返そうと思っていたとしても、事故や病気のせいで返せなくなることもあるのだ、ということも覚えておいてください。

私は基本的にはお金を貸す時は「あげる」と言う気持ちで貸すので催促はしません。金額が高い場合でも同じです。だが、二度は貸しませんし、そのような方は友達とは呼べません。今のZ世代でアンケートを取った番組がありました。

.. 2022年11月12日 08:45   No.2619003
++ 仲條拓躬 (社長)…769回       
「お金を貸した方と友達とて付き合っていけますか」というアンケートでしたが、今のZ世代は結構はっきりしていて、「友達の縁が切れてもお金を返してもらう」と言う方が多かったです。当たり前のような気がします。私なら友達に迷惑がかかるのでお金を借りずに自分で何とかするし、喉が渇いてもお金がないなら自動販売機に近づきません。
.. 2022年11月12日 08:53   No.2619004
++ タク (社長)…2683回       
ギリシャの債務危機
イギリスの離脱に先立って、EUを震撼させたのが、ギリシャの金融危機でした。欧州では、コーヒー一杯に4時間かけるのはギリシャ人だけといわれます。観光や農業以外に主たる産業がなく、勤労意欲に乏しいとされるギリシャをユーロ圏に取り込むことは当初から反発がありました。

ギリシャは公務員が労働者人口の四分の一を占め、年金受給開始年齢も55歳と早く、手厚い社会制度を導入する「大きな政府」でした。2004年のアテネ五輪開催による大型投資で財政赤字が一気に膨張し、2008年のリーマン・ショックが誘因となり、遂に2011年に債務返済不履行に陥り、ユーロ圏の債務危機に発展しました。

結局、機関車役のドイツが救済に回り、ギリシャはユーロ圏に残る代わりに厳しい緊縮財政を強いられました。 ギリシャ危機はイタリアやスペインなど南欧諸国にも波及し、EU加盟国の民族性を示す傑作なエスニック・ジョークが誕生しました。

ギリシャ危機をめぐるユーロ圏の基本構図は変わっていないだけに、新たな国際金融危機が再燃すれば、第二のギリシャ危機に見舞われかねません。ギリシャの債務危機を討議するEUの会議が開かれた。しかし昼食後、ギリシャ代表団が姿を見せなかった。「ギリシャはどうした」「全員、ワインを飲んで昼寝をしています」

ユーロ危機を討議するEU首脳会議の終了後、サルコジ仏大統領が各国首脳をバーに誘った。しかし、三人の首脳が辞退した。メルケル独首相「そんな気になれないわ」ベルルスコーニ伊首相「高級ナイトクラブに行くので」パパンドレウ・ギリシャ首相 「帰りのタクシー代がない」

ギリシャの役所で。「局長はいるかね」「昼から出勤です」「午前中は働かないのか」「いいえ、午前中は自宅で休み、働かないのは午後です」

ギリシャの金融危機で、 テレビキャスターが伝えた。「グッドニュースは、銀行強盗が50%減少しました。バッドニュースは、銀行による預金強盗が100%増加しました」

問 ユーロの安定には何が必要か?
答 ギリシャの緊縮、ドイツの浪費、フランスの謙虚さ、イタリアの成熟。

ギリシャの金融破綻の善後策をEU首脳が協議した。フランス 「美術品はわが国が保管する」。イタリア 「美人はわが国が保護する」。イギリス 「コックはわが国に連れていく」。ドイツ「ユーロ紙幣はわが国が回収する」。

.. 2022年11月13日 09:57   No.2619005
++ タク (社長)…2684回       
ドイツ人、オランダ人、ギリシャ人、イタリア人がレストランで食事をした。食事が終わりに近づいた時――。ドイツ人は、全員の食事代がいくらになるか考えた。オランダ人は、割り勘でいくらになるか考えた。ギリシャ人は、ご馳走になったお礼を考えた。イタリア人は、ドイツ人にどう支払わせるか考えた。
.. 2022年11月13日 10:08   No.2619006
++ 仲條拓躬 (社長)…770回       
戦略論にかかわる発言
板垣陸相辞任後の1941(昭和16年)3月、石原莞爾は待命(任務を解かれ命令を待つ状態)となり予備役に編入されました。この時、石原莞爾は52歳です。これにより、陸軍現役を去ることとなったのです。この措置は、対立関係にあった東條英機陸相の意向によるものとされています。

また、東亜連盟での政治活動や、持病治療のため任地が制限されることなども人事関係部局で問題とされました。その間柄、石原莞爾自身は発言を続けますが、もはや陸軍中央レベル、国政レベルでの軍事的政治的影響力はほとんどなかったのです。

一方、石原莞爾は帰国後、職務外の活動として、東亜連盟運動を主導し、1939年(昭和14年)10月、東亜連盟協会を結成。協会は機関誌『東亜連盟』を発行し、東亜連盟運動の普及に努めました。東亜連盟協会は、最盛期には会員数10万人を超えています。

また、軍在職中に、『昭和維新論』『満車建国と支那事変』『世界最終戦論』などの著作も発表しています。退役後の石原莞爾は、立命館大学講師となり、立命館大学国防学研究所所長に任命されました。それとともに、『国防論大綱』『戦争史大観』『国防政治論』などの著作を出版しています。

この間、1939年(昭和14年)9月、ポーランドに侵攻したドイツに対しフランス・イギリスが宣戦布告し、第二次世界大戦が始まります。石原莞爾は、このヨーロッパでの戦争を「第二次欧州大戦」とし、戦略論にかかわる興味深い発言をしているので、ここでそれを紹介します。

石原莞爾は言います。先の欧州大戦(第一次世界大戦)後、世界は「国家主義の時代から国家連合の時代へ」と進んでいる。その趨勢は、第二次欧州大戦により、ほぼ四つの集団となっていくだろう。一つは、アメリカを中心とする南北アメリカ大陸の諸国連合。第二は、ドイツを中心とする「欧州連盟」。第三は、ソビエト連邦。第四が、日本を含む「東亜連盟」である。

今次大戦で大英帝国は、英国本土がドイツに侵攻され、カナダなど南北アメリカの英領はアメリカのものとなる。東南アジアの英領やオーストリアは日本に、インドはソ連か日本に吸収される。このように大英帝国は解体するだろう(『最終戦争論』1940年、「戦争史大観の説明」『戦争史大観』1941年。いずれも独ソ戦以前の論考)。

.. 2022年11月14日 05:31   No.2619007
++ タク (社長)…2685回       
死者が減るパンデミック?
今までやってきたコロナ対策は過剰だったことを証明するデータも出ています。日本ではコロナが流行ったのに、前年より死亡者が減ったのです。例年よりどれくらい死亡者が増えたかを示す超過死亡という概念がありますが、欧米ではコロナの流行でめちゃくちゃ増えていて、イギリスでは戦後最大8万5000人もの人々が例年より多く亡くなりました。

超過死亡が世界一多かったのがアメリカで、例年より4万5000人多く死んでいて、その3分の2が新型コロナによる死者です。一方で、日本では、人口動態統計の速報値 (2020年12月分)によると、2020年は前年より死者が9373人も減ったのです。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(2021年1月14日付)に載った世界各国の比較表を見ると、出ている9か国の中では一番、日本の超過死亡のマイナス幅が大きいのです。おそらく日本は世界一でしょう。死者が減るパンデミックなんて聞いたことがありません。

これは対策が過剰だった証拠です。今まで少数派の方たちが、「コロナはインフルエンザより怖くない」「過剰対策をやめろ」と発言すると、「コロナは怖い、怖い」とひたすら煽る方達に洗脳された「コロナ脳」の人たちがSNSなどで猛然と叩いてきたわけです。

だけど、こうして確定したデータが出てきて、少数派の人たちが正しかったことが証明されました。こういうデータはネットでググれば、誰でも手に入るのです。だけど、いくらこういうデータを示して説得しても、洗脳されてコロナ脳になっているから、信じないし、「お前は嘘つきだ」「テレビで政府が言っている事が正しい」と批判してきます。

いやいや、厚労省でも国立感染症研究所でも、ネットにデータを上げていますよと。それ見ればわかることなのに、見ようともしない。精神科医の和田秀樹氏が言っていますが、今の人って本離れどころか知識離れしているのだな。ネットで検索すればいくらでも知識を得られるようになったら、今度は検索もしなくなったのです。

テレビから流れている情報やSNSで自分の周りの人間が言っていることを鵜呑みにするだけで、自分で調べようとしないのです。宮沢先生はウイルスを研究していて専門家ですが、テレビなどで何か発言するたびにやたらと叩かれていました。

.. 2022年11月15日 07:51   No.2619008
++ タク (社長)…2686回       
テレビでは、ウイルスどころか、感染症の専門家でもない町のお医者さんが出てきてデタラメをしゃべっているので、間違いをツイッターなどで指摘すると、「お前は専門家のくせにそんなことも知らないか」と返ってきて唖然したと語っています。

洗脳されてしまっているのです。政府もデータを見て対策を決めているようには見えません。データを見ている痕跡がないのです。同志あった小池都知事もそうだし、専門家ヅラしてテレビで好き放題しゃべっている方もそうです。

データを見れば、日本ではコロナはインフルエンザより怖くないという見解に対して、納得のいく反論をした専門家なんて1人もいないのです。間違っていると言うなら、データや科学的な事実を出して、間違っている点を指摘すればいいのに、「素人の唱える自説だ」とはねつけるだけです。要するに、反論できないのです。

だから、「素人は黙っていろ」としか言えないわけです。これでは何を言ったって無駄で、科学的事実も知識もいらない世界になっているのです。宮沢先生もテレビで罵倒されれば腹が立ち、怒っていましたが、「彼らは被害者でもあると思うのです」と語っています。

だから、「コロナ脳」という言葉にはちょっとバカにしたニュアンスがあるので、本当はあまり使いたくないと言います。統一教会で言えば信者みたいなもので、洗脳したやつは誰なのですか。ただ、洗脳を解くには、ちょっと強い言葉を使わないと、本人たちも気づかないと思うのです。 ショック療法だと思って、あえて強い口調で話しています。

.. 2022年11月15日 08:04   No.2619009
++ 仲條拓躬 (社長)…771回       
石原莞爾の対中姿勢
石原莞爾と武藤章の中国側抵抗力の評価について。武藤章は、「一撃」で事態を処理できる旨の発言を残しているのですが、数個師団による攻撃で、華北の中国軍を打破することはできても、抗日姿勢の南京国民政府そのものを屈服させることができるとは確信していなかったでしょう。

それゆえ、数個師団による一撃のみではなく、動員可能兵力一五個師団すべてを中国戦線に投入することも考慮に入れていたのです。当初武藤章は、一撃によって南京政府に華北五省の自治(華北分離)を認めさせることは可能だとみていました。

そして必要があれば、動員可能な一五個師団すべてを投入してでも、国民政府を屈服させることを想定していました。だが、それが、一撃で目的を達しえなかったのみならず、中国側の予想外の持続的抵抗を受け、日中全面戦争に突入したのです。

そして、先の「作戦計画の大綱」では、華北・上海両戦線のみで動員可能限界に近い一三〜一四個師団を投入する決戦を想定することになったのです。しかも、実際には上海戦段階で動員限界を超える一六個師団を投入したのです。

さらに南京攻略をめざす本格的全面戦争となっていくのです。しかも、南京陥落後も蒋介石は屈服せず、日中戦争はさらに大量の日本側兵力を飲み込んで長期化します。一方、石原莞爾は、事変当初からこう考えていました。中国領土の広大さと民族主義の昂揚から、一撃ではもちろん、全面戦争となっても、容易には中国側を屈服させることはできない。

しかも、長期的に対中全面戦争を続けることは、ソ連の介入を招きかねず、その場合はなす術がなく危険だ。したがって、満州国の承認を条件に、華北の政治的権益の放棄など、かなり思い切った譲歩によって講和を実現するしかない、と。

石原莞爾のみるところ、全面戦争によっても中国側を屈服させ、問題を一挙に解決する可能性はない。そのための事前の準備がなく、 また、そもそも全面戦争の計画それ自体ありえない。なぜなら、対ソ戦計画だけでも戦力が不足しており、それに対中全面戦争を想定した戦争計画は成り立ちえないと判断していたからです。

.. 2022年11月16日 08:24   No.2619010
++ 仲條拓躬 (社長)…772回       
したがって、中国と一度戦争になれば全面戦争となって長引き、決戦によって中国側を屈服させることは不可能だと考えていました。ただ石原莞爾は、塘沽停戦協定成立 (1933年)の頃であれば、国民政府を力で屈服させる可能性はありえたとみていました。まだ極東ソ連軍の戦備がそれほど増強されていなかったからです。

石原莞爾によれば、その頃には対中国政策として「二つの道」がありました。第一は、蒋介石との外交折衝によって、中国における日本の政治的権益を返還するのと引き換えに、満州国の独立を承認させる。その上で日中間で東亜連盟の形成をはかり、日中和解を実現する。

「一つは蒋介石と力強き外交折衝を行い、蒋介石をして満州国の独立を承認せしめ、支那における[日本の政治的権益を引き上げ、東亜連盟の線にそって進めば、私は蒋介石との間に了解できたと思います。」(「石原莞爾中将回想応答録」)

第二は、北京・南京を占領して蒋介石を屈服させ、満州国の承認を受け入れさせる。その上で中国本土より撤兵し、東亜連盟を作る。「第二案は、停戦協定の線に止まらずに、北京、南京を攻略して蒋介石を屈伏せしめ、満州国を承認させて支那本部より撤兵し、その後、東亜連盟を作るというのであります。」(同右)

この第二の道が、実力によって中国側を屈服させることを想定したものでした。しかし、極東ソ連軍の戦備が大幅に増強された盧溝橋事件時(1937年)では、ソ連軍介入の可能性が高まり、それが困難になったと石原莞爾は判断していました。

対中戦争は対中ソ両面作戦となる蓋然性が強く、日本の戦力や軍需工業のレベルではそれに対処しえないと考えていたからです。なお、ここで言及されている「東亜連盟」とは、石原莞爾によれば、「王道主義」により日本を「先達」として、日本・満州・中国の提携による連合体です。

その基礎原理は、「思想の一元、国防の共同経済の共通、政治の独立」とされているが、ここではこれ以上立ち入らない。いずれにしても石原莞爾は、日中戦争期の段階では、戦争によって中国を屈服させる可能性はないと判断していたのです。

.. 2022年11月16日 08:32   No.2619011
++ 仲條拓躬 (社長)…773回       
それゆえ石原莞爾は、盧溝橋事件当初のみならず、日本軍の華北での総攻撃開始後も、そして上海での戦闘中も、常に国民政府との講和を主張していました。しかも講和条件は、中国側による満州国の承認と、日本の華北政治権益の放棄で一貫していたのです。

それ以外の条件では蒋介石との妥協の道はないと考えていたからです。この条件や、 東亜連盟論を蒋介石国民政府が受け入れたかどうかはともかくとして、それが石原莞爾の対中姿勢だったのです。

.. 2022年11月16日 08:41   No.2619012


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