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若き日の仲條立一・父が石原莞爾将軍に対しての聞く、今日まで戦争が絶えなかったように、人類の闘争心がなくならない限り、戦争もまた絶対になくならないのではないかという質問に対して、石原莞爾は次のように返答しています。しかり、人類の歴史あって以来、戦争は絶えた事がない。しかし今日以後もまた、しかりと断ずるは過早である。
明治維新までは、日本国内に於て戦争がなくなると誰が考えたであろうか。文明、特に交通の急速な発達と兵器の大進歩とによって、今日では日本国内に於ては、戦争の発生は全く問題とならなくなった。
文明の進歩により戦争力が増大し、その威力圏の拡大に伴って政治的統一の範囲も広くなってきたのであるが、世界の一地方を根拠とする武力が全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを迅速に屈伏し得るようになれば、世界は自然に統一される事となる。
更に問題になるのは、たとえ未曾有の大戦争があって世界が一度は統一されても、間もなくその支配力に反抗する力が生じて戦争が起こり、再び国家の対立を生むのではなかろうかという事である。しかしそれは、最終戦争が行なわれ得る文明の飛躍的大進歩に考え及ばず今日の文明を基準とした常識判断に過ぎない。
瞬間に敵国の中心地を潰滅する如き大威力は、戦争の惨害を極端ならしめて、人類が戦争を回避するに大きな力となるのみならず、かくの如き大威力の文明は一方、世界の交通状態を一変させる。数時間で世界の一周は可能となり、地球の広さは今日の日本よりも狭いように感ずる時代が来る事を考えるべきである。
人類は自然に、心から国家の対立と戦争の愚を悟る。かつ最終戦争により思想、信仰の統一を来たし、文明の進歩は生活資材を充足し、戦争までして物資の取得を争う時代は過ぎ去り人類は、何時の間に戦争を考えなくなるであろう。人類の闘争心は、ここ数十年の間はもちろん、人類のある限り恐らくなくならないであろう。
闘争心は一面、文明発展の原動力である。しかし最終戦争以後は、その闘争心を国家間の武力闘争に用いようとする本能的衝動は自然に解消し、他の競争、すなわち平和裡に、より高い文明を建設する競争に転換するのである。
.. 2022年10月27日 08:05 No.2605001
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