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■--人道に対する罪
++ 伝六 (大学院生)…115回          

知っている人は知っているが、知らない人は知らないが(笑)「人道に対する罪」なるものが適用されたのは第二次世界大戦後の国際軍事裁判が最初である。国際軍事裁判所条例第6条c項に次のように書かれている。「人道に対する罪、すなわち戦前または戦中において、いかなる(国籍であれ、あるいは無国籍であれ)シビリアンの住民に対してなされた殺人、殲滅、奴隷化、移送(追放)、その他非人道的行為、もしくは本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行としてもしくはそれに関連してなされた政治的、人種的、宗教的理由による迫害であり、犯行の行われた国の国内法に違反するしないにはかかわらない。」
こまかな解釈の問題は省略して、このIMT条例C項はそのまま極東IMT条例第5条C項にもちこまれた。ただし宗教的(理由による迫害)の文言は削除された。ところが開廷の2、3日前に重要な(重要と思わない人もいる)変更がなされた。いかなるシビリアンの住民に対する(against any civilian population)という語句を削除してしまったのである。したがって条例の上からは相手国の兵士を殺しても人道に対する罪を犯したことになるのである。IMT条例の場合は、コンマとセミコロンのちがいについて、わざわざベルリン議定書にロシア側の解釈に統一するというような説明までしているのに、極東IMT条例ではなんの説明もなく変更した。
 ところで多谷千賀子著「戦争犯罪と法」の資料では極東国際軍事裁判所条例5条c項の文章をagainst any civilian populationをいれた形で掲載している。訳文は「民間人に対する、殺人、大量殺人、奴隷状態におくこと・・・」としている。 裁判にあたっては「民間人に対する」を削除しているのだから、一言の説明があってしかるべきだろう。
.. 2011年02月19日 12:38   No.255001

++ タク (社長)…341回       
東京裁判で連合国側が正義の概念をたてに平和に対する罪、人道に対する罪というものを設定し、これをもとに起訴状が書かれています。これらは多分、戦争を裁くときの普遍的な論理として設定したものでしょう。少なくとも、これらをもとに日本を裁いた国々が、戦後これに背くならそれは自己矛盾ということになるわけですよね。

ところが、これ以降、連合国はこの自己矛盾に陥っていくのです。イギリスのスエズ封鎖、ソ連の東欧への介入、アメリカの南米への干渉やベトナム戦争など、これらの裁く論理は、実は連合国自身が設定したものだったはずです。この事を我々も歴史の中で主張しているわけです。平和に対する罪、人道に対する罪という規定は、東京裁判所憲章の中で規定されているのです。


イラクでのフセイン元大統領の死刑執行について、国連やEUなどが批判しました。国家元首が人道に対する罪で死刑になったのは初めてです。

.. 2011年02月20日 07:54   No.255002
++ 伝六 (大学院生)…116回       
ネットでみると、IMTで検索してもすぐにはでてこないので、注を書いておきます。IMTはインターナショナル ミリタリー トリビューナル=国際軍事裁判所 の略です。私が極東IMT条例と書いたのは極東国際軍事裁判所条例の略のつもりです。
ニュルンベルグ裁判(国際軍事裁判所の裁判)の結果、「ニュルンベルグ条例及びニュルンベルグ裁判で認められた国際法の一般原則 1950年」のなかで「人道に対する罪」が国際法の用語となりました。ウェッブ裁判長はニュルンベルク裁判と同じ基準で裁判をしたと言っているが、これは正確でなく、はっきり言ってごまかしです。くわしいことは分量的に掲示板に書けませんが、あきらかにニュルンベルグ裁判にはない原則で裁いている。
話を「人道に対する罪」にもどすと、極東IMT条例の発表は1946年1月19日で、同年4月26日に一部改正された。改正のときにagainst any civilian population が削除されたのだが、このことを誰もあまり問題にしない。藤田久一著「戦争犯罪とは何か」で次のようにのべている。「極東条例では「人道に対する罪」が「すべての一般住民に対して」犯された犯罪であることを明示にはのべていない。前述のように、この言葉はナチ制度のもとで自国民に対して行われた犯罪をふくめるためにニュルンベルグ条例に入れられたものであった。しかし東京裁判の起訴状は、日本領土で日本国民に対して犯された犯罪を理由に日本の主要戦争犯罪人を告訴せず、日本国民以外の人に対して犯された犯罪に限定した」
これは変な書き方である。「明示にはのべていない」というより一般住民(軍人でなくゲリラでもない)に限定していたニュルンベルグ条例の限定を削除によってとりはらったのである。ニュルンベルグ裁判と東京裁判では「人道に対する罪」という標目は同じでも内容はちがっている。東京条例では「通例の戦争犯罪」にあたるものを人道に対する罪とかさねあわせ、その上、国際法の一般住民に対する殺害という犯罪の枠をひろげて、侵略戦争であるが故に兵士を殺した場合も犯罪であるという理屈をつけて起訴をした。判決ではこの起訴はみとめられず、また検察も一部取り消しというに似た言明をしたが、所謂BC級戦犯裁判ではすでにそういう原則で多数処刑されてしまっていたのである。これは誰も言っていないことなので、おそらく読む人には意味不明と思うけれど、かんがえを書いた。

.. 2011年02月20日 10:50   No.255003
++ タク (社長)…342回       
東京裁判は、ニュールンベルク裁判と同じく、原告は「文明」だと叫ばれ、将来の戦争防止が裁判実施の目的だと強調されました。さらに、この裁判は新しい国際法概念を生み出すものだといわれています。原子爆弾まで含めた戦禍に苦しんだ当時として、このように指摘された東京裁判の意義は、平和を願うものとして、多くの日本人に受け入れられました。処刑された5人の陸軍大将、1人の陸軍中将、1人の文官重臣の死も、そういった平和な新世界の到来を求める祈りの象徴とみなされたと言えます。

ところが、その後、東京裁判の効果と反応は意外なほど、消極的であるとしか思えません。新たな国際法概念を確立するものだと強調されていましたが、その後の国際紛争の経過を見れば、そこに東京裁判の意思が実現された事例は1度もありません。「戦争を裁く」という法概念も、所詮は戦勝国対敗戦国という特殊な関係でなければ執行できないことを、あらためて確認させられる想いでした。日本人の反応にしても、ひたすら太平洋戦争をはじめ日本が行った戦争すべて侵略戦争とみなし、日本人自身がみずからを侵略者と規定して、国家意識と軍事問題に関しては極度の萎縮作用を示す姿勢がうかがわれるだけでした。

過去の日本の政治体制が一種の無責任体制であり、戦争を含めた政治行為の多くが、その無責任体制の産物であったとは、しばしば指摘されるところです。東京裁判は、その点についても深刻かつ明確な検討の機会を与えたはずなのだが、東京裁判の建設的な効果は、殆ど見当たりません。さらにいえば、戦後の日本と国際社会に対して、東京裁判は歪んだ方向づけをしたのではないかと感じられます。その一例として、アメリカの教科書は原爆のおかげで、本土決戦で死ぬはずの日本人の命は救われたと書いています。日本はというと「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と碑を広島に建てたのは日本人です。これでは日本人が原爆を投下したことになります。東京裁判のインドのパール判事が来日した時におかしいと言ったのに改めないし、新聞もテレビでも報道しないのです。

.. 2011年02月23日 08:21   No.255004
++ 伝六 (大学院生)…117回       
所謂百人斬り事件でも、百人斬ったという記事は戦闘行為で百人を斬ったというのだ。それでも戦争犯罪にした。それは侵略戦争であるが故に交戦者としての権利をもたないから殺人だという大枠の考えがあったのだが、起訴理由に戦闘中百人を競争で殺したというのでは、いかにも無茶にきこえるから、俘虜、非戦闘員をつれていって多数の殺人を競い、野田は百五人向井は百六人を殺したという起訴を行った。新聞記事は戦闘行為で百人を斬ったという記事なのに、それをまげて実は俘虜非戦闘員を殺したのだとして、証拠とした。そして処刑してしまった。野田少佐の「死刑に臨みて」という中国側にあてた遺書にこうある。「・・・只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜りました事については天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。・・・我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願致します。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」
.. 2011年02月27日 11:37   No.255005
++ タク (社長)…343回       
自分が学んだ当時の「南京大虐殺の被害者は10万人〜40万人」説は、中国からの圧力だろうし、さらにアメリカもそうしたかったのでしょう。
日本兵が短期間に40万人殺すのは不可能だという専門家の考えもあります。
教科書の修正に関し、非難を浴びているのは承認した文部科学省です。

今では少数派になった「南京大虐殺の被害者は数万人〜40万人に及ぶ」説をとなえる教科書。
日本軍と違って中国軍は、前線の指揮官は先頭に立たず、決まって後方で「進め」「殺せ」と叫ぶだけだそうです。
部隊が日本軍の攻撃を浴びると前に進めなくなるのだが、退却する友軍兵士を実力で阻止するのが督部隊だそうです。
彼らは銃で威嚇するだけでなく、しばしば見せしめに射殺までするので、兵士は「どうせ殺されるなら」との思いでようやく敵と戦うのです。

なので、中国軍の戦死者の中には友軍に殺されたものも多い。
ある戦場では、友軍の退却を援護していた中国兵の一団が塹壕のなかで戦死していた。
それを発見した日本兵達は思わず涙を流したという。
なぜなら彼らの脚には逃亡防止のため、鉄の鎖が付けられていたからです。
「李宗仁回想録」によると、南京攻略戦では北門付近で、督部隊が日本軍の攻撃から逃げ出そうと押し寄せた友軍を掃射している。
「南京虐殺の犠牲者」のものとされる死体には、そのようなものが多かったのだ。
このような同胞・戦友に対する中国軍の残虐な仕打ちは犠牲者を増大させたのです。

さらに多くの中国軍は民間の家に逃げ込み民間人になりすまし奇襲をかけていたのです。同じ学校の先生の中にもいろいろな考えの方があると思うので、授業の時に『民間人の大量虐殺はなかった』と一言付け加える先生もいるでしょう。
少数派の意見を掲載するのは、生徒の適切な理解を妨げるおそれがある。

.. 2011年02月28日 12:08   No.255006
++ 伝六 (大学院生)…120回       
「汚名 刑死した父よ兄よ」という本を読むと、中国各地の日中戦争記念館には、南京大虐殺記念コーナーがあり、「百人斬り競争」の写真つき新聞記事が拡大され、展示されているという。人殺しの数を競うということは、道義的には否定されるべきである。これは新聞記者が話しをおもしろくするための創作であった。当時は刀で斬りあうなどという場面はほとんどなかった。銃撃線でだいたいけりがつく。フィクションを事実として新聞に書いたことが、敗戦という結果によって、残虐行為の証拠の材料とされ、書かれた人が処刑されるという傍因となった。
 野田少佐、向井少佐は、中国万歳・・・と言って、刑死した。そういう人を中国人虐殺の見本のようにして展示することは、はなはだおもしろくない。そんなことをやっている今の中国政府は基本的に信用できない。しかし、事実を知らせる努力をどれくらいしているかも問題である。

.. 2011年03月06日 14:43   No.255007
++ タク (社長)…345回       
情報化時代の今日でも、中国共産党社会はいまだに「噂の社会」である。中国人が「南京大虐殺」の決定的証拠として挙げる写真は、当時と無関係のものだったり合成だったりで、その多くは捏造であることが明らかになっている。

世界的に話題になった中国系アメリカ人アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』などは、その手の写真を数十枚も掲載して平然としている。これを、鵜呑みにして謝罪している日本人は後を絶たないのです。明らかに嘘とわかることでも、大声で言った方が勝ちだと考えるのが中国共産党政府の怖さでもあり、弱さでもある。

中国共産党政府による近現代史の捏造事実をできるだけ多く取り上げ検証することで、日本人のため中国の民のためになればと思う。中国の要求やコメントが日本に対していかに理不尽かつ自己中心的なものであるか、思慮深い日本国民はわかっているのだと思いますが、愚かな歴史認識問題への日本政府の対応は、一貫して、実に軽率で滑稽である。

常に中国共産党政府や韓国政府から押し付けられる一方的で独善的な歴史観に追従するばかりで、みずからの歴史認識を確立できないでいる。それが、昭和57年の「教科書誤報事件」です。当時、文部省の歴史教科書の検定で、「侵略」との記述が「進出」に書き換えられたとの報道で中国と韓国が激怒し、それが誤報であった事が判明した後も、宮沢喜一官房長官は軽率にも各国に謝罪をし、さらに「善処」まで約束したばかりか、鈴木善幸首相までも中国を訪問して謝罪したのである。

日本政府側はその後「誤報」であったことを確認したのだが、中国、韓国、香港、台湾ではすでに「侵略→進出に書き換え」が事実として定着してしまい、これらの国々のジャーナリストは、今でも「誤報」だったことを知らん振りをして、相変わらず日本の「教科書書き換え」を非難し続けている。まさに格好の非難の的で、この愚かな事実は中華世界でこの先、孫の代まで続くだろう。

.. 2011年03月11日 08:27   No.255008


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