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■--横浜裁判の一例
++ 伝六 (小学校高学年)…20回          

患者の背中をたたいて元気づける医者がいました、不安そうな患者がいると、聴診をおえたところで、大丈夫と大声で言って背中をたたくのです。軍医となると荒っぽいから、少々痛いかもしれないが、なぐるのとはちがう。これが起訴されると俘虜虐待ということになります。戦場からもちこんだマラリア等で死亡する者もいるので、それは「軍医として施薬施療を差し控へ為に死亡せしめた」罪となります。これらで判決は終身刑です。混乱のなかで、こういうことがおこなわれたのです。しかしドサクサに誤解というだけでなく、ある悪意があったようにどうしても思えます。歴史のひとつの暗黒面の教訓として、あきらかにしてもよいと思います。むしろすべきだと思います。
.. 2006年09月28日 22:10   No.25001

++ 伝 (小学校低学年)…9回       
サンフランシスコ講和条約第十一条に「日本国は極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、・・・」とあります。受諾した以上、判決は訂正できなのではと考える人があるかもしれません。判決をうけいれたということは、まちがっていても、賠償は請求できないということでしょう。判決は書き換えることはできない。しかし、その判決が正当であったかどうか、後の人が評価することは自由であることは当然すぎるほど当然です。ガリレオは天動説を認めさせられて、それでも地球は動いているとつぶやいたとかいいます。現代ではガリレオの考えが正しかったという歴史的評価です。教会も裁判のあやまりを認めたときいたことがあります。四百年ほど後でしょうか。
.. 2006年09月29日 21:20   No.25002
++ タク (中学生)…35回       
サンフランシスコ講和条約が、ポツダム宣言を終了させる形で1951年9月に調印されたのですが、同時に日米安保条約が調印されました。なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。しかし、アメリカにとってアメリカ軍の日本駐留は、共産主義勢力との世界的戦略の観点から必要でした。つまりアメリカ軍はこの時に、日本占領軍から在日駐留軍に変貌したのです。

駐日米国大使を務めていたマイク・マンスフィールドは、日本経済新聞の「私の履歴書」(1999年9月)の中で、次のような発言をしています。
「日本から朝鮮半島に回した米軍の穴を埋めるため、吉田茂首相に7万5000人の警察予備隊の創設を命令した」これが現在の自衛隊になるわけですが、マッカーサーは連合国軍総司令部(GHQ)が作成した「米国製」の日本国憲法第9条を伺うものともいえます。

.. 2006年10月01日 19:30   No.25003
++ タク (中学生)…36回       
戦争放棄を定めた日本国憲法第9条は、マッカーサーの直接の指示を受けてGHQの民生局のチャールズ・ケーディス次長を中心に作成した条項で、どこから見ても米国製です。日本に戦争を放棄させ、安全保障をアメリカ頼みにさせたのはアメリカです。アメリカ人はこの条項を批判すべきはおかしい。今後どう判断すべきは、日本の国民が判断すべき問題なのです。マンスフィールド大使といえば、日本でも最も尊敬し慕われた大使です。その大使の口からこれほど明確に日本国憲法がアメリカ主導で作成されたこと、そしてその後アメリカが対日政策を大転換させ、当初の憲法から逸脱して違憲的存在である自衛隊を日本に作らせたことが語られたのは衝撃的なことです。

昨日、評論家の佐高信先生にご馳走になったのですが、その時の先生の話でも日本国憲法については同感でありました。様々なお話をお聞きして勉強になりました。また、佐高信先生の方からは石原莞爾についていろいろと質問していただいたことは嬉しかったです。加藤紘一先生ともよくお会いしているようですし、機会がありましたらさらに語り合えたらと思います。佐高信先生のお話はすべて私とコアの部分が一致するところでした。石原莞爾に関しては、佐高信先生の口から「ちょっと辛口過ぎたかな」と言い、95歳にもなり頑張っておられる武田邦太郎先生のことは気に止めて頂きました。

.. 2006年10月01日 19:45   No.25004


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