多種多様な意見を集め、自分の心の中の会議で決めていくのが、日本人の意思決定だと思うのです。だから、人の目を気にするのではなく、本当は広く多様な人々の目を気にしなくてはならないのです。多くの人の視点を自分の内に採り入れ、それを戦わせたうえで、神様が認めてくれるような意見を選ぶのです。 日本人は人の目を気にして周囲に合わせる、付和雷同する国民性の持ち主だと批判的に語られることも多いのですが、人の目を気にすることで初めて、私たちはさまざまな局面でいいかたちで国民性を発揮してきました。死生観の話をすれば、死者や先人の目を意識することは、かつては日本人の倫理観や道徳観に欠かせないものでした。 日本人は古くから、素直でやさしい、よく気がつく、すなわち他者に配慮することができる敏感な子を好んで育ててきたわけですが、実は、配慮すべき他者の中には死者も含まれるのです。例えば、ギリシャ生まれで明治期に日本にやってきた作家・小泉八雲 (1850〜1904)は「日本は死者の目を常に意識している国だ」と多くの著書に記しています。 民俗学者の柳田國男 (1875〜1962)も 「民間の宗教心では、死んだ人は天国や地獄に行くのではなく、故郷の山の高みから自分たちを見守っている」というふうに言っています。つまり、自分を見ている配慮すべき他者とは、自分の上司や目上の人間だけでなく、先人も含まれているのです。 過去に生きた人々の目を意識することで、将来を立体的に見据えてきたのが、本来の日本人の道徳心であり国民性です。こうした道徳心や宗教的な情操を育てるため、古くから日 本の家庭ではキリストのイースターやお盆の迎え火や送り火、墓参りなど先祖を敬う行事に子供と一緒に勤しみ「おじいちゃん、おばあちゃんが見ている」と語りかけてきました。 日常的に他者に気を遣い、死者に神経が参ってしまいそうです(笑)。日本は胃が痛くなるような社会ではあるけれど、互いに気を遣い合うことで治安は安定し、街は清潔に保たれるなどいい面も多いです。「やさしい」という日本語の語源は、「痩せ細る」だといいます。痩せ細るほど事細かに気を遣う人は、やさしいのです。
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.. 2022年06月01日 05:48 No.2487001