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アメリカは、太平洋・アジア地域で覇権を握りたかった。支那大陸にも利権も獲得したかった。その最大の障害が日本だったのです。日本は、第一次世界大戦の戦勝国となったために、国際連盟より南洋諸島の委託統治を任されました。これは侵略ではありません。
南洋諸島を侵略したドイツが敗戦し、そのドイツが南洋に保持していた植民地の統治を国際連盟から委託されたのです。ハワイやグアムを既に侵略していたアメリカにとって、南洋諸島を日本が統治することは、まさに許しがたい障壁となったのです。
ワシントン軍縮会議は、1922年11月12日から翌年2月6日まで、ワシントンDCで開催されました。開催を提案したのは、アメリカ大統領のウォーレン・ハーディングです。会議の目的は、太平洋・東アジア地域に権益がある国々の「軍縮」です。
アメリカの他、イギリス、フランス、オランダ、ポルトガル、ベルギー、イタリア、中華民国、そして日本の9カ国です。「軍縮」と言えば聞こえがいいのですが、会議は太平洋・アジア地域での覇権を狙うアメリカの策略だったのです。
それは、会議の結果を見るとよくわかります。太平洋・アジア地域に遅れてきたアメリカが、覇権を実現するための布石だったのです。会議の結果、つぎのような決定がなされました。
太平洋における各国の領土権益を保証したアメリカ、イギリス、フランス、日本による四カ国条約の締結です。これにより、日英同盟は破棄されることになったのです。前記四カ国にイタリアを加えた五カ国で、主力艦の保有制限を決めたワシントン海軍軍縮条約の締結。これにより、アメリカ、イギリス、日本の主力艦保有比率が五・五・三に決められた。
全参加国による、支那の領土保全、門戸開放を求める九カ国条約の締結。これにより、支那における日本の特殊権益が失われたのです。アメリカにとっては、日本の軍事力を削減し、日英同盟を破棄させ、さらに九カ国に支那の領土保全、門戸開放を合意させたのだから、太平洋・アジア地域でアメリカが覇権を確立するための前提条件を整えたようなものだったのです。
こうしてアメリカは、支那にも介入をはじめました。中華民国国民政府の蒋介石や夫人の宋美齢が、対日戦略としてアメリカ側によったことも、アメリカの戦略上、有利な展開となったのです。
.. 2022年04月23日 07:52 No.2461001
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