|
大航海時代が幕を開けに最初に動き出したのは、ポルトガルでした。しかし、当時の「東西貿易」は、オスマン帝国が独占していました。オリエントこそが文明で、ヨーロッパはまだ「未開の野蛮人どもの地」とみられていたのです。
ポルトガルやスペインの大航海時代がなぜ西へ西へと進んだかといえば、東には強大なオリエント文明が存在していて、陸から東へ侵略をすることが不可能だったからです。なんと新たな「海のルート」を開拓しようと西回りで船出したポルトガルの探検隊は、1418年にアフリカ西海岸に到達しました。
そのあと、1434年にポジャドル岬、1445年にペルデ岬、1488年にはアフリカ南端の希望峰に到達しました。そして1499年、ヴァスコ・ダガマ率いる探検隊が、ついに喜望峰を回ってインドに到着したのです。
インド航路の発見により、ポルトガルには莫大な富を持たされました。1451年にイタリアで生まれたクリストファー・コロンブスは、西回りでアジアに到達したいと考えました。当時、すでに地球は丸いと考えられていたので、ヨーロッパから西へ進んでゆくと、アジアに到達すると考えられていた。地図も、そのように描かれています。
15世紀に、ヨーロッパ各国がアジアに魅了されたのは、香辛料でした。コロンブスはポルトガル王に、西回り航路の探検を提案しました。しかし、ポルトガルは東回りのルートで既に莫大な利益をあげており、コロンブスの提案は、国王に拒絶されてしまったのです。
そこで、コロンブスはスペイン王室の援助を受けて西へと航海し、ついに「インド」に到着しました。もちろんここでいうインドとはアメリカ大陸のことなのですが、コロンブスは死ぬまでインドに到着したと確信した。
1498年には、イギリス人のジョン・カボットが北米大陸の東海岸を探索し、イギリスが同地域を領有して、「ニューイングランド」と名付けて植民地としました。一方、フランス人のジャック・カルティエは、1534年にセントローレンス川を遡って、その地域をフランス領有としたのです。
.. 2022年04月17日 09:06 No.2456001
|