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■--東洋文明と西洋文明
++ 仲條拓躬 (社長)…651回          


石原莞爾へ質問、東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道であると言うが、どういう意味か、その説明をしてほしい。

石原莞爾、かくの如き問題はその道の専門家に教えを乞うべきで、私如きが回答するのは僭越極まる次第であるが、学者の意見を拝借して、若干の意見を述べる。そもそも文明の性格は気候風土の影響を受ける事が極めて大きく、東西よりも南北に大きな差異を生ずる。

我ら北種は東西を通じて、おしなべて明日を礼拝するのに、炎熱に苦しめられている南種は同じく太陽を神聖視しながらも、夕日に感謝する。熱帯では衣食住に心を労する事なく、殊に支配階級は奴隷経済の上に抽象的な形而上の瞑想に耽り、宗教の発達を来たした。

いわゆる三大宗教は皆、亜熱帯に生まれたのである。半面、南種は安易な生活に慣れて社会制度は全く固定し、インドの如きは今なお四千年前の制度を固持して政治的に無力となり、少数の英人の支配に屈伏せざるを得ない状態となった。

北種は元来、住みよい熱帯や亜熱帯から追い出された劣等種であったろうが、逆境と寒冷な風土に鍛錬されて、自然に科学的方面の発達を来たした。また農業に発した強い国家意識と狩猟生活の生んだ寄合評定によって、強大な政治力が養われ今日、世界に雄飛している民族は、総て北種に属する。南種は専制的で議会の運用を巧みに行ない得ない。

社会制度、政治組織の改革は、北種の特徴である。アジアの北種を主体とする日本民族の歴史と、アジアの南種に属する漢民族を主体とする支那の歴史に、相当大きな相違のあるのも当然である。

但し、漢民族は南種と言っても黄河沿岸はもちろんの事、揚子江沿岸でも亜熱帯とは言われず、ヒマラヤ以南の南種に比べては、多分に北種に近い性格を持っている。北種による寒帯文明に徹底した物質文明を偏重せしめたのが西洋文明、すなわち覇道文明である。

では、これに対し熱帯文明が王道文明であるかと言えば、そうではない。王道は中庸を得て、偏してはならぬ。道義を守る人生の目的を堅持して、その目的達成のための手段として、物質文明を充分に生かさねばならない。同じ北種でも、アジアの北種とヨーロッパの北種には、その文明に大きな相違を来たしている。
.. 2022年03月20日 09:21   No.2432001

++ 仲條拓躬 (社長)…652回       
古代支那の文明は最近の研究では、南種に属する漢人種のものではなく、北種によって創められたものらしいが、今やその王道思想は正しく日本国体の説明と言うべきである。この王道思想がたとえ漢人種によって唱道されたものではないにせよ、漢民族はよくこの思想を容れ、それを堅持して今日に及んだ。

今日の漢民族は多くの北種の血を混じて南北両文明を協調するに適する素質を持ち、指導宜しきを得れば、充分に科学文明を活用し得る能力を備えていると信ずる。西洋北種は古代に於て果たして、東洋諸民族の如き大理想を明確に持っていたであろうか。

仮にあったにせよ、物質文明の力に圧倒され、彼らの信念として今日まで伝えるだけの力はなかったのである。ヒトラーは古代ゲルマン民族の思想信仰の復活に熱意を有すると聞くが、ヒトラーの力をもってしても、それを民族の血の中に真生命として再生せしめる事は至難であろう。

ヨーロッパの北種はフランスを除けば、イギリスの如き地理的関係にあっても南種の混血は比較的少なく、ドイツその他の北欧の諸民族は、ほとんど北種間のみの混血で、現実主義に偏する傾向が顕著である。

殊にヨーロッパでは強力な国家が狭小な地域に密集して永い間、深刻な闘争を繰り返し、科学文明の急速な進歩に大なる寄与をなしたけれども、その覇道的弊害もますます増大して今日、社会不安の原因をなし、それらを根本的に刷新する事は不可能である。

西洋文明は既に覇道に徹底して、自ら行き詰りつつある。一方、王道文明は東亜諸民族の自覚と西洋科学文明の摂取活用により、日本国体を中心として勃興しつつある。人類が心から現人神の信仰に悟入したとき、王道文明は初めてその真価を発揮するであろう。

.. 2022年03月20日 09:28   No.2432002
++ 仲條拓躬 (社長)…653回       
石原莞爾を証人として調べる
裁判に先だち、石原莞爾の療養先である西山農場に裁判官が派遣されましたが、石原莞爾は、「私の病気が悪化し、医者から絶対安静を命ぜられている。そちらが出張して来るなら、なんとか出廷できるだろう」と言いました。

裁判官は、「ここでは開廷のための適当な場所がない。酒田市まで、道路を補修もしよう。道路のない場所には道路をつくろう。だから、あなたが酒田まで来てほしい」と言い、石原莞爾の要望をほとんどのんだのです。

そうした応酬の結果、砂丘にも山林にも小さな道を急造してくれたのですが、病気の方はどうにもならない。私の父が曳くリヤカーで行進中、出血が激しくなり、激痛に襲われました。だが石原莞爾はいつもと変わらぬ態度で、法廷の人となったのです。

米軍の軍医は親切で、「具合の悪いときは、遠慮なく申し出ろ。すぐ休憩するよう取り計らう」と言ってくれました。法廷は判検事、カメラマン、その他の関係者、それに各国の傍聴人などがあふれ、勝者が敗者に対する重苦しい威圧感のうちに開かれたが、石原莞爾を迎え、気合いをそがれたようにしばし森閑と静まりかえりました。

いよいよ訊問が開始された。まず判事が、「1947年5月2日、極東裁判を臨時に酒田商工会議所で行なう。ジェネラル石原を訊問することを宣言する」と言いました。「証人石原は英語を話せるか」と判事が問えば、「日本語ならチョッピリ話せる」と答えた。

石原莞爾は英語が、まるでダメというわけではありません。幼年学校、陸士、陸大で英語を学んでいるし、1932年10月から翌年3月までジュネーブで開かれた国際連盟総会臨時会議の帝国代表随員となっています。だから、英語は話せるはずです。

にもかかわらず、「日本語ならチョッピリ話せる」など山形弁で体をかわし、法廷に笑いの渦を巻き起こしたのは、彼なりの理由があったのではないでしょうか。「いかに臨時とはいえども、法廷は日本である。証人として訊問を受ける石原は、まぎれもなく日本人である。日本語で質疑、答弁するのは当然であろう」という無言の抵抗と思われる。

.. 2022年03月21日 07:17   No.2432003
++ 仲條拓躬 (社長)…654回       
石原莞爾の思想から推して、そうとしか考えられません。ともあれ、笑い声とささやきが絶えないため、裁判長は静粛を求め、質問をはじめました。「尋問の前になにか言うことはないか」これは裁判の冒頭、かならず裁判長が尋ねるのが慣例となっています。

そのため石原莞爾は、自ら戦犯として名乗りをあげ、東京裁判をひっくり返してやろうと、この機会を狙っていたのです。だから、「ある。大いにある。満州事変の中心はすべて、この私である。事変の終わりは錦州爆撃だが、これは私が命令し、私自身、同乗して爆撃を指導し、戦果を確認している。」

「したがって、その責任はすべて私、石原である。にもかかわらず、石原が戦犯に指名されないのはおかしい。納得できない。そのことについて発言したい。少し長くなるかも知れないが、容赦願いたい」と切り出したため、裁判長も検事も狼狽し、裁判長は、
「将軍を戦犯として訊問するつもりはない。証人として調べるのみだ」と言いました。

検事はまた、「証人はそのようなことを言ってはならない。証人は、当方の質問にイエスかノーかを答えるだけでよい」と言い、石原莞爾の発言を封じ込めようとしました。この検事は、イギリス人でダニカンと言います。

戦争の実際や軍隊を知らず、したがって戦略と戦術を間違えたり、まるで見当違いな尋問をするので、石原莞爾はそのたびにそれを指摘しました。まるで立場が逆になったような按配です。たとえば、自分から「イエス、ノーだけ答えればよい」と要求しながら、
「満州事変の被害程度はどうであったか」などと質問します。

権力をかざす相手には、真っ向から立ち向かう石原莞爾は、皮肉を込めて、「ご指示にそえなくて申しわけないが、日本では被害の程度を表現するのに、イエス、ノーの言葉は使わないのである。すみませんね」ドッと爆笑がおこり、法廷内の緊張をつき破った。裁判長はあわてて尋問の取り消しと、尋問の中止を検事に求めました。

後刻わかったことですが、裁判長はニュージーランドのノースクロフト判事。その彼は、石原莞爾の泰然自若とした威容、理路整然たる発言、そのうえユーモアあふれる答弁にすっかり感激し、「ジェネラル石原」と尊敬し、酒田の臨時法廷は東京裁判とは異なり、なごやかな雰囲気につつまれていった。さながら「ひとり芝居」の舞台の感があった。

.. 2022年03月21日 07:26   No.2432004
++ 仲條拓躬 (社長)…655回       
閉廷後、ある新聞記者は、石原莞爾の傍に駆け寄り、「日本の指導者だった戦犯たちが、それまで同胞に示したあの傲慢な態度を忘れたかのように、アメリカの権力になびく卑屈さは、なんとも悲しく、そして恥ずかしい思いをしてきました。しかし、この二日間、将軍の答弁をお聞きし、初めてさわやかな気分になりました。日本人としてこんな嬉しいことはありません」と言い、深く頭を下げた。そのとき涙が落ちた。

感激したのは記者だけではない。「イエス、ノーで答えろ」と要求したイギリス人のダニカン検事すら石原莞爾に面会し、「つまらない尋問をして、ほんとにすみませんでした」と詫びた。

それに対し石原莞爾は、「いや、あまりお役に立てなくて、お気の毒でした」と答えました。こんなやりとりを想像すると、なぜか、おかしさがこみあげてきます。また、板垣征四郎の弁護人マタイスも石原莞爾に面会を求め、丁重な挨拶を述べた、と言います。

.. 2022年03月21日 07:39   No.2432005
++ 仲條拓躬 (社長)…656回       
横山臣平元陸軍中将の意見
関東軍は政府、軍中央部の反対を無視して事変を拡大し、少数兵力にもかかわらず、吉林、ハルピン、チチハル、錦州を落とし、半年後には満州国という新国家を建設したのです。この中心的人物はもちろん石原莞爾であり、これを効率的に進展させたのは、本庄繁軍司令官や板垣征四郎らでした。

ここで、石原莞爾の同期である横山臣平元陸軍中将の意見を掲げます。石原は東亜連盟の主唱者で、將介石はじめ中国要人から認められ、日本軍閥が主張する権益主義などというケチな考えが毛頭なかった。大義名文のきわめてはっきりした男である。

才幹気節ともに天才的で、機略縦横の実行力を有していたから、その実行に激越な点が多く、事変処理の中心的存在として、その越権行為が軍の中央部との間に大きな問題となったのである。その第一は石原が軍司令官や参謀長に一言も知らせないで、事変の発端となった鉄道爆破を企図し実行したことである。

第二は、関東軍が事変処理に当たり中央部の不拡大方針をまるで無視、独断で拡大的解決策を強行したことである。その一は確かに石原ら一部将校の越権行為であって、軍の成立上許しがたい軍紀の大問題であろう。

それに対して板垣、石原らは、だれよりも苦慮し、将来の必罰を覚悟していたことはもちろんであり、かくすればかくなるものと知りながら 止むに止まれぬ大和魂(吉田松陰辞世)、の心境であったと思う。もし、この爆破計画に対し、軍司令官や参謀長の許可を得ようとしたならば、当然阻止されるに違いないので、この計画を放棄するにひとしい。

とうてい結果は実現しがたい。この国家百年の大事と軍司令官の認許問題とを秤にかけたら、どちらが重いだろうか。このさいだれかが責任を負って起つほかにはない。窮極の場合、「われ日本の柱とならん、眼目とならん、われ日本の大船とならん」という石原がかねて信仰の日蓮精神をもって断々固として、それを遂行せんとしたのである。

その二は、前項といささか趣を異にするものである。石原らはかねてから政府、中央部の満州問題解決方針に対しては、非常に不満であった。とくに国際情勢の判断において、両者に大きな開きのあったことは前述の通りである。石原らは、この中央部の方針では、満蒙問題の抜本的解決はとうてい望むべくもない。やるなら今だ。

.. 2022年03月22日 05:05   No.2432006
++ 仲條拓躬 (社長)…657回       
中央の方針に従うことは、いたずらに時機を失し、彼らが正しいと信じている国策の遂行はますます困難となるばかりである。中央の指示をまつことなく、われわれの手で断行する以外に解決の途がない。中央の考えは満蒙の現状にそわないばかりでなく、問題解決のチャンスを失う恐れがある。

「よし第一線部隊の指揮官に与えられた特権、独断専行で行こう」となったものである。関東軍司令官は、陛下の御委任を受け、その権限は勅命以外、何者からもせいちゅうを受けるものではない。

したがって参謀総長の方針、指示に対し、現地の状況上からみて不適当と判断した場合は、それに従うことなく自分の判断に基づき、独断善処すべき権限を有することは当然で、軍司令官は勅令によらざる中央部の意図を実行しなくとも、統帥上なんら不軍紀とはいえないのである。

事変の結果からみれば、関東軍の判断と事変処理とが正しかったといわざるを得ない。その場合、本来、軍司令官と三宅参謀長が、一部の人々からロボット的存在であるかのごとくいわれたが、いちがいにそうはいえないと思う。

本庄将軍も三宅参謀長も、板垣や石原の人物とその非凡な鬼才を認め、この男ならいかなる大事を一任しても大丈夫であると、全幅の信頼をおいたことは、将帥としてまことに敬服に値するというべきである。日露戦争のとき、大山巌総司令官が総参謀長の児玉源太郎大将にすべてを任せて、一言も口を出さなかったのと好一対である。

石原の智謀は、児玉に優るとも劣らないことは言を要しないであろう。石原についてとくに問題となったのは、例の「下剋上」であるが、石原という男は、ことに当たり俊敏で直情径行、法規、形式、前例などにこだわらず、独断壁が強く、人の意表に出る場合が多いから、どうしても下剋上的言動を露骨にあらわすのである。

彼の性格をよく知っている私は、彼の関東軍参謀への転任の報に接したさい、満州でなにか大きな事件が起こるような予感がした。果たして現地からの便りで、石原の下剋上的な言動の情報がぞくぞく到来し、間もなく満州事変が起こったのである。

.. 2022年03月22日 05:11   No.2432007
++ 仲條拓躬 (社長)…658回       
私は石原の関東軍参謀転任について、ある人に話をしたさい、「石原を満州にやることは虎を野に放すようなものである」といった憶えがある。石原は事変がひとまず解決すると、満州事変の張本人として数々の越権、専恣、下剋上などの軍律上の問題に対し、深く反省するところがあり、ただちに辞職願を提出し、頭をたれて処罰を待った。

だが、彼の願望は入れられず、昭和七年八月の異動で大佐に進級し、内地に帰還することになった。この進級は同期生のトップである。石原はこんなとき、頭の切り換えが早く、過去の出来事には無頓着な男であるが、しかし、満州を離れるにあたり、ただ一つ、心残りがあった。

それは、「今後の満州国は、果たして自分の考えどおりの五族協和、王道楽土の理想郷として立派に成育、発展するだろうか――」という一抹の不安であった。石原が内地へ帰る日、新京飛行場には各界の名士が見送りに来た。

しかし、石原はその人々には目もくれず、見送り人の片隅にひっそりと立っている長春花街の芸者連中を見つけると、その前に歩み寄り、彼女たちの手を握り、「君たちには、ほんとにお世話になった。身体を大切にしてくれよ」といい、機上の人となった。あっという間のできごとだった。

「ヤツは放れ業の名手だな」板垣参謀は、そういいつつ鼻柱にシワをよせて苦笑した。この晴れがましい衆人環視の中で、もっとも立場の弱い女性に厚意を示したのが、いかにも石原のやりそうなことだった。並みの男なら、かりに馴染み芸者を見つけても、噂を恐れて、近寄るどころか目をそらすのに、である。

ところが、石原の場合は酒もタバコも口にせず、芸者のはべる宴会には出席しなかった。そのわけは若松連隊付青年将校時代、ある芸者から、家を救うためにこの世界に身を落とした、という身上話を聞き、この不遇な女性たちを遊びの相手にする気になれなかったからだ、という。

芸者遊びをしたことのない石原莞爾が、「君たちには、ほんとにお世話になった」と言ったのは、宴会で世話になった日本人、とくに関東軍の幕僚たちに代わって礼を言ったのではないだろうか。

.. 2022年03月22日 05:23   No.2432008
++ 山田和秋 (大学院生)…121回       
3月23日に予定しているゼレンスキー演説に反対
 | 岸田政権はウクライナ戦争に便乗・悪のりやめろ
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

◎ 23日に日本の国会でネット演説するゼレンスキーに怒りの声

 鳥越俊太郎

1.国民の声も聞かずに国権最高機関たる国会を使っていいのか
2.彼は紛争の一方の当事者に過ぎない
3.ゼレンスキーは米国連邦議会演説では「真珠湾攻撃」や「9.
11」などの話題を提供
4.もし、中国との間で台湾有事があったら、台湾総統に国会スピーチ
させるのか

◎私的意見(山田和秋)

 「ゼレンスキー、お主、役者の!その筈以前コメディ俳優。どこかの
政治家と違い台本なし、Tシャツ姿。これだけでも受ける。」
 ロシア軍と闘う勇敢なウクライナ人民。ロシア軍に破壊される町、
子供含む死亡者多数、数百万人の避難者。
 誰が見てもブーチン悪魔、ゼレンスキー善人、
 この構図は変わらない。
 しかし、マスコミの一方的報道にだまされないこと。
1.ブーチンは戦争犯罪人。裁かれるか、暗殺されるかもしれない。
2.ブーチンに反対するロシア国民は広範囲に存在する。NHK放映
闘う女性たち。
3.ゼレンスキーは?これが一番難しい。
 まず、いくつかの事実を検証する。
 ロシアが主張するウクライナに米、欧支援の危険な「生物兵器開発
研究所」があったかどうか?両者の主張は異なる。
4.アゾフ大隊(ネオナチテロリスト民兵)の存在。
 略奪、強かん、威嚇、拷問あらゆる分野で人権侵害。
 ロシア軍にみせかけ自国の施設攻撃。ゼレンスキーは黙認。
5.ロシアのウクライナ侵攻以前から米国はウクライナに軍事支援を
行っていた。
6.ゼレンスキーはロシア軍より先にウクライナの親ロシア派に
攻撃をした。   (鈴木宗男参議院員)
7.ゼレンスキーは米国に停戦より空軍の要請など戦争拡大を
求めている。核戦争の危険性を冒して。


.. 2022年03月23日 05:32   No.2432009
++ タク (社長)…2377回       
天然ガス不足に苦しむ日本

ロシアによるウクライナ侵攻のスピードは鈍り、占領地の地図はあまり変化しなくなっています。しかしロシア軍によるミサイル攻撃は激化して、マリウポリなどでは市街戦が激しさを増しており、ウクライナ国民の被害は一段と深刻化しています。ウクライナから国外への難民は300万人を超え、国内避難民は650万人と言います。

ウクライナのゼレンスキー大統領はアメリカ議会でオンライン演説を行ないました。ドイツやイギリス、カナダなど各国議会でも演説し支援を訴えました。ウクライナ軍が持ちこたえている背景に、大統領の覚悟と国際的な発信力があることは間違いないでしょう。

一方のロシアのプーチン大統領は、モスクワでの集会でロシア系住民保護のためなどと、ウクライナ侵攻を改めて正当化しました。また、ロシアは中国に支援を求め、中国がそれに答えることを検討しているとの話も伝わっています。

アメリカ共和党系の軍事専門家ダグラス・マクレガー氏は、「ロシア軍がウクライナで苦
戦し負けている」と勝手に間違った妄想を喧伝し続け、「ロシアが負けているのだから米欧NATOがウクライナの領空をロシア軍から奪還して飛行禁止区域を設定できるはずだ」と勘違いしているとマクレガーは言います。

田中宇先生も、今後、東欧のどこかの国が自体を甘く見誤って戦闘機をウクライナに入れようとしてロシア軍に撃墜され、NATOの5条が発動されてアメリカがロシアと戦争する義務を負った場合、アメリカはNATO5条を無視して動かず、アメリカがこの不履行をやった時点でNATOの信用が崩壊すると言うのです。

ゼレンスキー大統領が、クリミアとドンバスをウクライナに戻さない限りロシアと和解しないと言っており、これが今の対立点になっています。ドンバスがウクライナに戻る代わりにクリミアはロシア領のままにするという折衷案もありえます。ゼレンスキーは、ロシアと和解することで今後もウクライナの大統領でいられるでしょう。

しかし実際のゼレンスキー大統領は、ロシアとの和解の道が見え出した直後から、欧米諸国の議会の巨大モニターに出て、対ロシア参戦と経済制裁を扇動する演説を開始しました。ロシアはゼレンスキーの大胆不敵な行為を黙認しています。

.. 2022年03月23日 08:55   No.2432010
++ タク (社長)…2378回       
ロシア政府は、ゼレンスキーの日本演説の前日に、北方領土に関する日本との和平交渉を中断し、日露間のビザなし交流や共同経済活動も停止すると発表しました。ロシアは、わざわざゼレンスキー演説の前日を選んで日本との関係断絶を発表したのです。

現在、日本の電気はひっ迫状態になってきています。だが、国内へのガス供給元として必要不可欠なサハリン2の天然ガス事業を放棄しかねない状態です。日本がサハリン2を放棄したら、その分の利権は中国に取られてしまい、二度と日本に戻らなくなります。

日本人はこの先ずっとガス不足に苦しむことになるのです。世界の石油ガス鉱物の利権の多くは、すでに中露側に握られています。中国やロシアを敵視する限り、石油ガス鉱物が大幅に足りない状態が続くでしょう。

.. 2022年03月23日 09:36   No.2432011


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