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石原作戦部長は、作戦課の室にもしばしば来て、今日の支那は昔の支那ではない。今や支那は統一せられて、挙国一致の強い力を発揮することができる。この支那と戦端を開く時は長期持久に陥り、日本は泥沼に足を突こんだ如く身動きができなくなる。戦争は避けなければならぬ。そして国防国策の方針によって、国力、軍事力を拡充しなければ、対ソも対支も国防は不可能である、と説得にこれ努めました。
武隊課長は渋い顔をして石原論を聞いていた。満州事変の発頭人が今頃急に何を云うか、という反発があったに違いありません。第一部長の石原莞爾が部屋から出て行くと、武藤大佐は受話器を取り上げて相手を呼び出し、『うん田中か。面白くなったね。ウン、大変面白い。大いにやらにゃいかん。しっかりやろう』と、課員に聞こえよがしに話すのでした。
また、荒尾興功作戦課員(統制派メンバー)も、同様の回想を残しています。「会議の席上でも、石原部長と武藤課長はしばしば激論を交わした。武藤はいう。『現状では支那軍は増長するばかりです。この際一撃を加えることが必要です。もしこのまま日本軍が引っ込めば、延いては満州の治安にも影響します。』
石原の反論。『支那は広いぞ。どこまで行っても際限がない。満支国境で兵を止めるべきだ。万里の長城線は古来からの支那の国境だ。その線で交渉すれば、事変は必ず解決する。』武藤もその場ではさすがに部長の決断に対して従うが、われわれ部下に対する指導は、どうも自己の意想による積極方針だ。」
「現にわれわれの面前では田中軍事課長に電話する。『おい田中、こちらの方は心配ないぞ。現地軍の意見を入れて、バンバンやろうではないか。だんだん面白くなるぞ』、といったような調子である。」
当時、陸軍中央の幕僚の間では、武藤ら拡大派に同調するものが多数で、石原らの不拡大派は少数でした。部局長・課長では、不拡大派は、石原参謀本部作戦部長のほか、河辺参謀本部戦争指導課長、柴山陸軍省軍務課長などに限られていました。
.. 2022年03月16日 09:02 No.2427001
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