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私は戦争を引き起こしたのは、新聞社に問題があると思っています。日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が開かれましたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明しています。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張ったのです。
国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こりました。日比谷公会堂が焼き討ちされ、講和条約を結んだ小村寿太郎も国民的な非難を浴びました。反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいです。その国民新聞もまた焼き討ちされたのです。
私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺だと思っています。この事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいったのです。そして起こったのが五・一五事件です。侵略路線を収縮し、軍縮に向かいつつある時の政府首脳を、軍部の青年将校たちが殺したのです。
話せばわかる、という首相を問答無用と撃ち殺したのです。これが軍事クーデターでなくて何でしょうか。ところが多くの新聞社は彼らを英雄と称え、彼らの減刑を主張しました。新聞社に煽られて、減刑嘆願運動は国民運動となり、裁判所に七万を超える嘆願書が寄せられました。その世論に引きずられるように、首謀者たちには非常に軽い刑が下された。
この異常な減刑が後の二・二六事件を引き起こしたと言われています。現代においてもまだ二・二六事件の首謀者たちは『心情において美しく、国を思う心に篤い憂国の士』と捉えられている向きがあります。いかに当時の世論の影響が強かったかです。
これ以後、軍部の突出に刃向かえる者はいなくなったのです。政治家もジャーナリストもすべてです。この後、日本は軍国主義一色となり、これはいけないと気づいた時には、もう何もかもが遅かったのです。しかし軍部をこのような化け物にしたのは、新聞社であり、それに煽られた国民だったのです。
たしかに戦前においてはジャーナリストの失敗もあります。しかし戦後はそうではありません。狂った愛国心は是正されました。戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張ったのです。まるで国を愛することは罪であるかのように。
.. 2022年03月01日 08:24 No.2412001
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