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■--岸田自公政権は無為無策
++ 浅野健一 (社長)…370回          

・無能の無責任政治だ
 | 新型コロナ感染第6波で1カ月半、記者会見開かず
 | 「丁寧な説明」公約に違反、党内極右の声だけ聴く
 | 記者クラブの「変質」ではなく社員記者の劣化が問題
 | 「メディア改革」連載第90回
└──── (アカデミックジャーナリスト)

◎ 2月11日(金)は「建国記念の日」だった。日本は神話に基づいて
捏造した戦前の「紀元節」を1966年に復活させ、「建国」の日にした。
敗戦時にポツダム宣言受諾で、撃滅すると公約した皇国史観・大東亜
共栄圏イデオロギーが復活している。
 岸田文雄首相は2月10日、<「建国記念の日」を迎えるに当たっての
メッセージ>で、感染第6波に対する無為無策の対応を棚に上げ、
「コロナとの闘いにおいても、私たちは、国民皆で助け合い、一歩一歩
前進してきた」と強調した。
 IWJ(岩上安身代表)の日刊ガイド(12日)は<「建国」どころ
か、国が滅ぶ! 「亡国」の無能政権!!>と批判した。

◎ 岸田氏は官邸玄関などで内閣記者会(正式名・永田クラブ、官邸
記者クラブ)のぶら下がり取材で短いコメントを発するだけで、1月
4日に伊勢神宮を参拝した後、恒例の「年頭会見」を行って以降、
会見を開いていない。
 官邸での会見は就任後4回だけで、臨時国会閉会に合わせた昨年12月
21日が最後。
 コロナ対応の節目で会見を行ったことは1度もない。前政権の「発信
不足」を批判して総裁選で勝ち、就任時には「丁寧な説明」を誓った
首相の公約違反だ。
岸田氏が耳を傾けているのは安倍晋三元首相ら極右勢力の声だけだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/159537
.. 2022年02月18日 05:26   No.2405001

++ 浅野健一 (社長)…371回       
◎ 2月3日に1日当たりの新規感染者が10万人を初めて超えたが、
ぶら下がりにも応じなかった。立憲民主党の中谷一馬氏は10日の衆院
議院運営委員会で、記者会見を行わない首相の姿勢について「リーダー
シップが明らかに欠如していないか」と批判した。
 主要紙は、岸田氏の会見なしについてほとんど批判していないが、
自公政権に近い産経新聞が10日の「主張」(社説)で、<オミクロン
新対策 首相は会見で説明尽くせ>と題し、<緊急事態宣言を発令して
いないから会見しないというのなら考え違いだ><会見を開いて十分な
時間をとり、新型コロナに今後、どう立ち向かうのかを国民に説明
すべき>と書いた。
https://www.sankei.com/article/20220210-ZBLW7OSZ2BJVJHVVEETX4VZNWY/

◎ 岸田氏が会見を開かずにいるのは、報道各社がキシャクラブ制度で
牙を抜かれているからだ。2月7日のしんぶん赤旗に、全国革新懇が
5日に開いたシンポジウムに関する記事が1面に載った。
 記事によると、日比野敏陽・元新聞労連委員長は<安倍政権以降、
官邸記者クラブは変質し、政権への追及がない。その帰結が今回の選挙
報道にあらわれた>と発言したとあった。3面には、<メディアの変質
重大>と題した記事が載っている。ここで、日比野氏は次のように
語っている。
  <安倍政権時代、首相官邸の記者クラブの変質がすごい。官邸が日本
の中枢の記者クラブへのグリップ(物事を握る)を強め、(記者が)厳しい
追及をしない><昨年、地方紙約20社で「制限をやめてくれ」と官邸に
申し入れたいと全国紙グループに伝えましたが「官邸の記者クラブで
一致できない」と言われました>(筆者要約)

.. 2022年02月18日 05:31   No.2405002
++ 浅野健一 (社長)…372回       
◎ 京都新聞編集委員・東京編集部長でもある日比野氏は官邸記者
クラブが9年間で変質したと強調しているが、キシャクラブは1942年
4月に現在の形になって以降、全く変わっていない。
 「変質」してきたのは、キシャクラブの社員記者たちだ。記者たちの
退廃を構造的に招いているのがキシャクラブ制度だ。権力によるキシャ
クラブへの統制が特に強まったわけではない。
 記者たちが「社畜」(故・北村肇氏)化したのだ。
 2021年5月3日夜、南彰・新聞労連委員長が司会をしたネットの
<Choose TV>の番組で、「私は記者クラブ維持派だ」という沖縄
タイムス編集委員のコメントに私が反論する書き込みをしたところ、
「日比野」という名前の参加者が「上から目線で言うな。何が、記者
クラブの定義だ。現場での改革が大事なんだよ」などと書き込んだ。
 私は日比野氏に発言の確認を求めて数回連絡したが、無視された。
FBとブログに経緯を書いた。
こちら
https://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-12603761815.html

◎ 今回、赤旗の記事について私の意見をメールで日比野氏に伝えた
ところ、10日、<事実誤認ばかりで議論する気も起きません><与太話
もほどほどに><「記者クラブの変質」については見解の相違
でしょう>などと書いた返信があった。最後に<いずれにしても、
今後も貴殿とは議論をしませんので、悪しからずご了承ください>と
あった。

 私は、約30年前から日比野氏を知っている、何のトラブルもない。
 なぜ、こんな乱暴な言葉を発するのか理解できないが、このメール
で、彼が「上から目線で言うな」と罵倒した人物と分かった。社会
全体でキシャクラブ制度について議論すべき時だ。
 「見解の相違」で片づける日比野氏の姿勢は革新的ではない。

.. 2022年02月18日 05:37   No.2405003
++ タク (社長)…2333回       
旬と安心にこだわる

常々考えていました。 旬とは何だろうと。なぜ、トマトやキュウリやナスは夏に獲れるのだろう。なぜ、暖房をしてまで冬にトマトを作らないといけにいのか。漢方の本を読んでいて、気がつきました。温野菜と涼野菜の記述があったのです。夏は体温を下げるための作物を食べろ、と書いてあります。

トマト、キュウリ、ナスは、体温を下げるそうです。秋ナスは嫁に食わすなという一文は、嫁イビリではなかったのです。嫁は息子が結婚している女性、妊娠する可能性があるので、急激に体温を下げるナスを食べると流産の危険が大きくなります。秋ナスはとくに味がよいので食がすすみます。そうか、元々季節に合った野菜が旬なのです。

無農薬野菜作りをしていた頃、「お宅の野菜は安全ですよね」と言われていましたが、今は即座に「残念ですが、安全ではありません」と答えるしかありません。福島第一原発の爆発によるホットスポットで「ハイッ、安全です」と胸を張って答えられなくなりました。茨城県の中央に筑波山があり、ここの「北条米」というお米が好きでした。

以前はわざわざ、筑波山まで出掛けて購入していましたが、東日本大震災後は購入する気力がなくなってしまいました。購入していた当時は、真夏でも、時間帯によって刻々と変わる山を望むことができました。真っ青な空に、真っ白な雲が浮かんでいた。いまは気の澄んだ真冬でさえも、年に数回望めるだけです。

空が汚れてしまった証にほかならない。空を汚しているのは放射性物質だけではなく、NOxやSOxは間断なく、降り注いでいます。むろん、農地といえども例外なく。残念なことに、われわれの手の届かないところで、安全が、環境が、損なわれています。

それでも、放射線照射や話題のポストハーベスト(収穫後の農薬散布)された輸入農産物、そして農薬づけの農産物ではなく、土壌作り、うまくて安心して食べられる作物作りに、こだわっていました。農薬という文字は、分解すると、農と草冠と楽の合成文字です。単純に考えると、「農業が楽しくなる草」という意味にとれます。

.. 2022年02月18日 07:54   No.2405004
++ タク (社長)…2334回       
ということは、農薬を吸い込んで医者に行ったとか、あるいは農薬で自殺したとかいう話と、矛盾することになります。病害虫だけでなく、人体や家畜にも影響があるということであれば、これは農薬でなく、毒性があるという意味からも農毒と呼んだほうが正解でしょう。

確かに、農薬は管理上、劇物、毒物、普通物と分かれていますが、一般的な認識はあくまでも農薬に過ぎません。農薬取締法という法律があります。このなかで、農薬は「農作物を害する菌、線虫、だに、昆虫、ねずみその他の動植物又はウイルスの防除に用いられる殺菌剤、殺虫剤、その他の薬剤」と書いてあります。

人間への影響を考えると、40年以上も前に制定された法律そのものにも問題があると考えざるを得ないです。もっとも、地球上に存在している最大の病害虫は人類のようだから、それも駆除できるという意味では、農薬というより地球薬かもしれません。

.. 2022年02月18日 07:59   No.2405005
++ 小倉利丸 (幼稚園生)…2回       
止めよう!国会の審議
 | 声明:「警察法改悪・サイバー警察局新設に反対します」
 | 警察法改訂案は、基本的人権を侵害しかねない
 | 賛同署名にご協力を!締め切り2月25日
 └────  (盗聴法に反対する市民連絡会)

◎憲法で私たちの権利として定められている通信の秘密や言論・表現の
自由の領域を専門に取り締る警察組織を設置するということになること
をとても危惧しています。
 警察法改悪反対声明について、以下のように賛同団体を募ります。
 ぜひ参加してください。
 また、多くの団体(規模の大小とかは全く問いません)やグループの
皆さんに参加していただきたいと思います。よろしくお願いします。

以下の項目に記入ください。
賛同団体名(公表します)、連絡先(公表しません)
声明に関連する情報やアクションなどのお知らせに用います。
(第三者への情報提供はしません)
締め切り 2022年2月25日
この件についての問い合わせ先
小倉利丸(盗聴法に反対する市民連絡会)
070-5553-5495


2022年2月14日
呼びかけ団体:警察法改悪反対・サイバー局新設反対2・6
実行委員会(注)
連絡先 070-5553-5495 (小倉利丸)

*注:警察法改悪反対・サイバー局新設反対2・6実行委員会は、
ATTAC Japan(首都圏)、JCA−NET、アジア太平洋資料センター、
共通番号いらないネット、盗聴法に反対する市民連絡会などの市民
運動団体、NGOに関わる個人によって構成されています。

.. 2022年02月19日 07:19   No.2405006
++ タク (社長)…2335回       
俳諧を芸術に高めた俳人
俳諧を芸術に高めた俳人といえば松尾芭蕉でしょう。江戸時代前期の俳人で、笑いが中心だった俳諧を、人生の深みや自然の美しさをうたう俳諧(俳句)へと、芸術性の高い文芸に高めました。句をつくりながら旅を続け、「おくのほそ道」などの紀行文を残しました。

松尾芭蕉は、伊賀国上野(今の三重県伊賀市)にうまれ、名を宗房といいます。主人の藤堂良忠が俳諧を好んだため、芭蕉も一緒に学びました。俳諧は、連歌から発展した歌の形式で、このころの俳諧はこっけいさや言葉遊びが中心でした。

しかし、芭蕉はその俳諧の発句(最初の句)の部分の芸術性を高め(「蕉風俳諧」とよばれる)、それがのちの俳句へと発展していきました。1672年、句集「貝おおい」を出し、俳諧を職業にしようと決めた芭蕉は、このころ江戸へ出ました。しかし生活は苦しく、上水工事などでも働きました。

芭蕉庵から旅に出る1680年、深川(東京都江東区)にそまつな家(庵)を建て、バショウを植えたところ、よく育つため、それまでの桃青から芭蕉と名乗るようになりました。しかし二年後の江戸の大火事で家が焼けたことをきっかけに、芭蕉は旅に出ました。

そして「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「笈の小文」「更科紀行」といった紀行文を書くとともに、人生の深みや自然の美しさを感じる独特の俳諧をつくりました。1689年、弟子の曾良と、東北・北陸二千四百キロもの旅に出ました。この旅の様子と句は「おくのほそ道」にまとめられています。こうして俳諧を芸術に高めた芭蕉は旅先の大阪で亡くなりました。

ちなみに、松島紀行関係は中世から書かれており、松尾芭蕉以前に松島を喧伝したものには、宗因の「松島一見記」、大淀三千風の「松島眺望集」などがあります。これらにより松島は知られるようになったのですが、当時の交通事情からして奥州は遠い国であり、わざわざ風景を見るために旅立つ者などはいませんでした。

しかし松尾芭蕉の「おくのほそ道」が出されると、移りゆく湾内の景色を映した名文に影響されて、是非一生に一度は見たいと訪れる俳人が現れるのです。松島が今も観光客を引き付けているのは、「おくのほそ道」のおかげ、といっても過言ではありません。しかし「おくのほそ道」には、松尾芭蕉が松島を詠んだ句は載っていません。

.. 2022年02月19日 07:45   No.2405007
++ タク (社長)…2336回       
載っているのは芭蕉と一緒に旅をした曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」だけです。曾良はこの奥州行脚で芭蕉が詠んだ句を書き付けていたが、旅日記には芭蕉の松島の句は記されていないのです。「松島やああ松島や松島や」という句をよく聞きますが芭蕉に松島を詠んだ句がないことを知って一番残念に思ったのは、地元の民だったに違いありません。

私の身近な方で、松尾芭蕉の『おくのほそ道』を実際に歩いているという人が何人もいます。日によっては、50キロ以上も歩いたという人がいて、それを聞いて驚きました。ちなみに『おくのほそ道』の中で松尾芭蕉が一人で歩いたのは、出羽と越後の国境鼠ヶ関と北中間、それに、永平寺と福井間の二ヶ所だけなのです。

.. 2022年02月19日 07:53   No.2405008
++ 斉藤二郎 (小学校中学年)…14回       
『地球温暖化−CO2は原因でない』
 | NPO法人「食品と暮らしの安全基金」発行
 | 小若順一代表執筆の小冊子(30頁)
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

 NPO法人「食品と暮らしの安全基金」(旧名は「日本子孫基金」)
代表の小若順一氏が執筆された30頁の小冊子。地球温暖化はCO2が
原因でない−と証拠を挙げて明確に述べている。
 では、本当の原因は?と問うと、第3章にその答えが書いてある。
2000年前後に、槌田敦氏がエントロピー学会誌で述べた小論文
「CO2地球温暖化説は世紀の暴論」の流れをひく文章。最新の情勢も
書いてある。よみやすい。

 第1章で、「CO2が減ったのに温暖化」という事実を述べて、
読者に再考を迫る書き方だ。
 「CO2で温暖化」の嵐−まちがった宣伝の嵐−の中で、一読を
おすすめする小冊子だ。
 なお、再生可能エネルギーについての記述に対して、異論のある方は
筆者の小若さんに取り次ぎます。

『地球温暖化−CO2は原因でない』

A5判 30頁 フルカラー カンパ価格1部300円
目次紹介
第1章「CO2が減ったのに温暖化」
第2章「否定されていたCO2原因説」
第3章「石炭火力の黒い煙が原因」
第4章「原発で脱炭素?」
第5章「CO2を増やす太陽光発電」
第6章「CO2を増やす風力発電」
第7章「CO2を多く出す再生可能エネルギー」
第8章「CO2を増やす電気自動車」
第9章「正しい温暖化対策は『節約』」

☆問い合わせ・ご注文:「食品と暮らしの安全基金」TEL 048-851-1212
☆たんぽぽ舎でも扱っています。1部の送料は100円です。
TEL 03-3238-9035 か、メール tanpopo3238@gmail.com で
 郵便番号、ご住所、ご氏名、電話番号、冊数をお知らせ下さい。

.. 2022年02月20日 08:34   No.2405009
++ タク (社長)…2337回       
井原西鶴とは
江戸時代前期の作家です。俳諧を得意としましたが、浮世草子の作家となりました。「好色一代男」「好色五人女」などで人気を得ました。たくましく生きる庶民をいきいきと絵がき、新しい文字を作り出したのです。

井原西鶴は、大阪の豊かな商人の子に生まれました。10代で文字に興味を持った西鶴は、家業につかず、俳諧を学びました。「矢数俳諧」という、時間内にどれだけ多くの句をつくれるかを競うことを得意とした西鶴は、一昼夜に2万3500もの句をつくり、記録を打ち立てました。

1682年、俳諧の師が亡くなったことをきっかけに、西鶴は浮世草子を書き始めました。浮世草子とは、浮世(世の中)のありさまを、描いた小説のことです。西鶴の最初の浮世草子『好色一代男』は大評判になりました。

西鶴は続けて『好色五人女』を出版し、江戸、京都を中心に広く読まれました。人間を生き生きと描きます。また西鶴は『日本永代蔵』『世間胸算用』といった「町人もの」と呼ばれる作品も書きました。恋や金に悩みながらも逞しく描き、西鶴は新しい文学を作り出しました。武士の社会にも鋭い目を向け、「武家もの」とよばれる作品も残しています。

.. 2022年02月20日 09:31   No.2405010


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