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石原莞爾の病床に、米軍将校の日系二世が訪ねてきました。日系二世たちは通訳官を兼ねた陸軍情報将校が多い。多分にその二世も、情報将校だったのでしょう。一人でやってきたところを見ると、尋問ではなく、個人的に話を聞いてみたかったようです。
二世の将校は、「マッカーサー元師の軍政をどう思われるか」と訊いた。そこで石原莞爾は、きっぱりと言いました。「それは大失敗だ。マッカーサーは過去の日本軍隊の軍政と全く同じことをやっている。満州国は世間では悪く言う一面では、確かに日本軍隊の侵略的結果だけが目に映るようだ。」
「しかし、満州国誕生の経緯は、充分に認識されていない。これは後世の歴史家により改めて研究する必要がある。このままでは後世を誤ることになる。満州という所は、東亜民族の溶鉱炉のような所である。常に民族間の闘争が絶えなかった。その尊い闘争の試練から、民族協和なるものが創造されたのである。」
「要するに、協和なくして生存も繁栄も、到底期し得られずと悟得したのが、満州国だった。各民族は、歴史的にも各々言い分がある。不平もある。各民族はそれぞれに主張し得る権利を持っていたのが満州である。その各々の言い分や権利を揚棄して大きく協和する、それはアメリカ人のカリフォルニア州のような美しい国にしようと率然として発したのが、満州建国だった。」
「それは激しい闘争と苦悶の体験から生じた歴史の必然だったのだ。満州国は日本軍が武力で勝手に作ったように世間では思っているようだし、当時日本国内においてさえ、満州国を認めないといった盲目的思想も多く、独立国家としての満州国の出現に反対したくらいだった」
「またある者は、植民地のカムフラージュだと思ったり、日本国内自身の満州観も統一されていなかった。結果的に見ると、私どもがいなくなったあと、満州国はついに軍人と官僚に誤られて、今日侵略だとレッテルを貼られているが、建国当時の真意と創意、そして心ある人々の精進は、時局便乗者流の心ない批判と悲壮な観察に極論されているきらいがある」
.. 2021年12月13日 05:21 No.2363001
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