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昭和17年も後半になると、日本軍の敗退が続き、戦勢が完全に逆転しました。東條の心中は誠に穏やかならざるものがあったようです。彼の腹心、甘粕正彦元憲兵大尉を通じて、石原莞爾の意見を聞くべく上京を求めてきたのです。
甘粕はかつて石原莞爾のもとで謀略活動を行っていました。のちに、満映の社長となった人物です。石原莞爾は東條英機との会見について「東條に、いまさら会ってもどうにもならんが、仲に入った甘粕がかわいそうだから、会ってやることにした」
と知人に話しています。二人が合うのは数年ぶりです。まず東條から、「大政翼賛会をどうすればよいか?」と尋ねました。石原莞爾は、「それを俺に聞くのはおかしい。君は自信があるので、翼賛会を動かしているのではないか。オレはあんな官僚運動など考えたことすらない。国民運動は、国民の自発的で自主的な運動でなければ、何の価値もない」
といい、東亜連盟について説明を行ないました。それが終わると東條英機は、「今後の戦争指導についてどう考えているか」と聞きました。石原莞爾は普通の人の会話でも、ひどく失礼と思われることを、いやしくも首相と名のつく人にぶっつけて言いました。
「戦争の指導など、君にはできないくらいなことは、最初から分かっていることだ。このままでいったら日本を亡ぼしてしまう。だから、君は一日も早く総理大臣を辞めるべきだ」 と勧告したのです。
戦争が始まってから東條英機に対し、これほど適切で、そして思い切った言葉を吐いたものはいないでしょう。いかなる権力に対しても、己の筋を曲げない石原莞爾の面目躍如としています。東條はかつて経験したことのない衝撃を受けたようです。
しばらく黙っていましたが、気を取り直し、閣内事情、陸海軍関係など、どうでもいいような話題でお茶をにごし、この会見は終わりました。石原莞爾の真剣な忠告を、東條英機には受け入れるほど度量と決断がなかったのか。
あるいは東條英機のとりまく各種条件が、石原莞爾を拒否していたものであろう。私情を故郷した会見でありましたが、何の成果もなく、感情の対立を激しくしただけでした。
.. 2021年11月07日 06:38 No.2332001
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