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満洲国の建設が順調に進展し、満洲国を承認する国も次第に増え始めていた時、突如勃発したのが昭和12年の支那事変です。満洲国崩壊の最大原因となった支那事変の原因究明なくして満洲国の問題は語れないです。今日、日本政府が中国に対して土下座外交をしている最大の原因は「日本は中国を侵略した」という支那事変の原因論です。
然し真相はどうなのか。大東塾の鈴木正男氏はそのことに関して、簡潔に次の如くのべています。「盧溝橋事件(北京郊外)の最初の一発を誰が撃ったのかは未だに不明である。事件に関係した日本軍将兵の手記や現代史家の論文、研究書がそれこそ汗牛充棟してみるが、共産党関係のものは別として、日本軍から最初に射撃したとするものは一冊もない。それでは犯人は誰であるのか。その多くの著書を総合しての結論は、最初の射撃は国府軍の中に潜入してみた中共側が射撃したのであろうと云ふところに落ついている。」
自衛上、日本軍が止むなく発砲応戦したのは7月8日午前5時30分で最初の不法射撃を受けてより実に7時間後でした。現在盧溝橋事件は7月7日に起きたと、どの史書にもありますが、これは重大な誤りで、日支両軍の戦闘は7月8日に始まったのです。この一日差は重大です。これは日本軍がいかに平和を欲したかの証拠です。
日本は当時支那との紛争を回避しようとして懸命に努力し、現地で停戦協定は直ちに結ばれました。東京の参謀本部も政府も現地軍も唯一人として事件の拡大を望むものはなかったのです。また蒋介石も未だこの時点で戦争へ持って行こうとは考へておらず現地解決を望んでいました。しかし、停戦協定が結ばれると、これが忽ち破られます。
このことが何度も何度も繰り返され、事変を拡大へ、拡大へと導いた者がいました。これは紛れもなく国府軍へ潜入した中共軍の息のかかった兵士であり、また北京に潜入して劉少奇に使喉されてみた北平大学、清華大学を中心とする学生のゲリラ隊でした。この小事件を拡大した元兄は中共でしたと証言しています。
.. 2021年09月08日 08:23 No.2281001
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