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■--日本一のつわもの真田幸村
++ タク (社長)…2048回          

豊臣家とともに戦死した武将・真田幸村は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将です。少年・青年期を豊臣秀吉のもとで過ごしました。関ヶ原の戦いでは西軍として戦った。徳川家康が大阪冬の陣・夏の陣をしかけると、豊臣側について戦い、戦死しました。

真田幸村は、武田信玄の配下の武将・真田昌幸の二男として生まれました。名は正式には信繁といいます。その後父が秀吉の配下に入り、幸村は十代二十代を大阪城の秀吉のもとで暮らしました。勇敢でかしこい幸村は、秀吉に可愛がられたといいます。

関ヶ原の戦いでは、父とともに豊臣側について戦い、徳川秀忠の軍を足止めしましたが、西軍が敗れたため、九度山(和歌山県のとてもよいところでした)に閉じこめられました。1614年、徳川家康が豊臣家を攻撃するとの情報を得た幸村は、山をぬけ出し、3500の軍をまとめて大阪城へかけつけました。

幸村は、大阪城わきに「真田丸」とよばれた出城を築き、徳川軍をけちらす大活躍を見せました(大阪冬の陣)。いったん和睦した家康は、幸村に、信濃の国(今の長野県)をあたえるから自分の配下に入るよう求めました。しかし幸村はこれを直ちにはねつけました。

翌年の大阪の陣でも、幸村は凄まじい戦いぶりで豊臣軍をもりたてました。家康の本陣に攻め込み、一時家康は自殺を考えたといわれます。しかし、幕府の大軍の前に、あと一歩とどきませんでした。ついに幸村は戦死し、翌日、豊臣家は滅びました。

映画、真田十勇士を鑑賞したのですが、意外と歴史に忠実に作られていました。エンディングで字幕が出た後の豊臣秀頼の最後がなるほどと感心してしまいました。今から400年少し前に、徳川家康に最後まで逆らって切腹寸前まで追い込んだが、散って行った真田幸村ですが、映画では、真田幸村は腰抜けだったということで描かれていました。

家康は巧妙に大阪城の堀を埋める算段を整え、翌1615年大阪夏の陣に臨みました。そこでも幸村は果敢に戦い、家康の本人にあと一歩と迫ったものの、無念のうちに戦死を遂げた。その壮絶な戦いぶりは、「真田は日本一のつわもの」と後世まで語り継がれているのです。
.. 2021年08月20日 08:12   No.2266001

++ タク (社長)…2049回       
真田幸村といえば、真田十勇士を思い浮かべる方も多いことでしょう。そのもととなった「真田三代記」には、霧隠才蔵、三好兄弟、穴山子介、由利鎌之助、筧十蔵、根津甚八、海野六郎、望月六郎の9人は登場するのですが、猿飛佐助は出てこないのです。

真田幸村は若い女性の間で大人気となっています。戦国を扱ったゲームや大河ドラマ・BASARAなどのアニメの影響でしょう。各地の戦国会館では若い女性のびっくりするほど知識に驚いてしまいます。戦国武将人気は全国に広がり、毎年の夏に真田幸村ゆかりの地である長野県上田市へ行くと、女性客の姿が目立ちます。とても素晴らしいところです。

.. 2021年08月20日 08:24   No.2266002
++ タク (社長)…2050回       
伊達政宗への従者の鬼

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伊達政宗は、東北地方をおさめた戦国大名です。豊臣秀吉の天下統一にしたがったが、秀吉の死後は、徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは家康側について戦いました。のちの仙台藩の基礎を築きました。伊達政宗は、出羽の国(今の山形県)の戦国大名・伊達輝宗の子として生まれました。幼くして、病気のために右の視力を失いました。

母親からの愛情は得られませんでしたが、父からは、知恵と勇気をあわせもった武将になると、大いに期待をかけられ、かわいがられました。若くして家を継ぐと、政宗は積極的な性格になり、周辺の大名と戦いました。そして1590年、東北地方のほぼ全土をおさめる大大名へと成長しました。

天下統一を目前とした豊臣秀吉は、政宗に家臣となって、北条氏をたおすための小田原攻めを手伝うように求めてきました。悩んだ政宗は、領国を守るために秀吉に従うのもやむを得ないと、決断しましたが、小田原への到着が遅れました。これが秀吉は怒りましたが、政宗の堂々とした態度が秀吉にみとめられ、政宗は許されました。

秀吉の死後、政宗は徳川家康につきました。そして関ヶ原の合戦のとき、西軍の上杉景勝の重臣の直江兼続と戦いました。東軍の徳川方が勝利すると、仙台に城を移し、のちの仙台藩の基礎を築きました。政宗は1613年、家臣をヨーロッパやメキシコへ送り、貿易を計画しましたが、うまくいきませんでしたが家臣には恵まれていました。

それが、片倉小十郎です。本名は景綱です。景綱は米沢八幡宮の神主の子として生まれたが、若くして正宗の父・輝宗に目をかけられ、小姓として使えることを許されました。以来、片倉家は武家として栄え、当主は代々小十郎を名乗っています。ただし、歴史上小十郎といえば景綱のことを指します。景綱にさらなる転機が訪れたのは19歳の時です。

伊達家の重臣・遠藤基信の推挙で、9歳の政宗の近侍として登用されたのです。以来、生涯を通して正宗に使えましたが、当時の伊達家の領地である奥州(東北)は戦乱が絶えない国でした。領地を治めるのに手を焼く政宗の補佐役は苦労の連続でした。

.. 2021年08月20日 08:49   No.2266003
++ タク (社長)…2051回       
領内だけでも問題は山積しているところに、天下統一に王手をかけた豊臣秀吉が小田原参陣を迫ってきたのです。相手は強敵だが、その軍門に下った覚えはない。プライドがじゃまして迷う政宗に小十郎は恭順の姿勢を見せ、伊達家を守ったのです。

また、関ヶ原の戦いの前哨戦となった最上氏と上杉氏の戦いでは、同じく東軍であり、縁戚関係もあった最上氏をすぐに助成せずにまずは傍観して、両者が争い、上杉氏が疲弊したのを見計らって攻めるように政宗に進言した。身内である最上氏が討ち死にするかもしれないリスクを顧みず、お家大事を貫いたのでした。

小十郎の主君・政宗は幼いころに天然痘を患った。その影響で右目は視力を失い、眼球が異様に突き出た面体です。それが原因でいつもうつむいているような暗い性格だったという。そんな政宗の性格を変えようと、小十郎がやってのけたのが、身の毛もよだつようなことだった。なんとその突き出した右の眼球を小刀でくり抜いてしまったのです。

それを機に政宗は精悍な気質となり、力強い戦国武将に変身していったといわれています。この他にも、小十郎の主人思いを示すエピソードは数え切れない。政宗初陣の時のことです。不慣れがゆえに敵陣に深く入り込んでしまった政宗を救うために、「我こそ政宗なり」と敵の前に自らおどり出て、絶対絶命の危機から政宗を救っています。

まさに主君あっての我が身という姿勢を貫いています。その献身ぶりは、従者の鬼といっても過言ではありません。その最もあるエピソードが、政宗より先に自分に子ができた時のことです。小十郎は、「それはまかりならぬ」と、妻の腹に刀をあて、子を殺そうとしたというのです。

その善し悪しはともかくとして、常に政宗を補佐して伊達家の繁栄に努め、戦国の世から天下泰平の江戸時代まで存続させた功績は絶大なものであることは確かでしょう。ちなみに伊達政宗の父である伊達輝宗と織田信長は友好関係にあったと言います。それは輝宗が信長に鷹を送っているという事実があるからです。

「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし」伊達政宗

.. 2021年08月20日 09:04   No.2266004
++ 岩井 哲 (大学院生)…107回       
《自宅療養…患者を切り捨てる現実離れした政府方針》
 | 2020年〜新型コロナとの闘いの記録
| 読み切り連載(26)<1> (2回の連載)
└──── (かごしま反原発連合 共同代表)

  (「毎日新聞」医療プレミア8/5号より)阿部知子・衆議院議員

・政府が、入院対象者を重症患者や特に重症化リスクの高い人に絞り
込み、入院しない人を原則自宅療養とすることを発表した。
 国会議員であると同時に医師としてあまりにも唐突な方針転換に、
怒りを覚えている。

・この方針を決めた政府の新型コロナ対策本部は、これまでの医療現場
や感染症対策の積み上げを全く無視している。
 「感染者数が増えたから、受け皿がないから、では入院させないで
おこう」という対症療法であり、かつ患者の切り捨てだ。

 <陽性になっても、保健所から連絡がこない現実>

・今、国民が感じている医療崩壊は、入院できないどころか、PCR
検査で陽性になっても、待てど暮らせど保健所から連絡が来ないという
現実だ。私が相談を受けた男性は、金曜日に発熱して翌日、近くの
クリニックで検査を受け、陽性が出たにもかかわらず、月曜日に
なっても保健所からはなんの連絡も来ない。高熱になっても保健所から
は連絡が来ない。高熱になって、不安になり保健所に連絡したところ、
「まだ2日前の分を処理しているので、あなたの所に連絡がいくのは、
あと2日かかる」と言われたという。

 <「重症化の兆し」は自己申告か?>

・政府は、「軽症」や「中等症」という区分をしているが、その対応を
しているのは、保健所だ。その保健所がパンクしている。この現実を
政府はまったくわかっていない。
 「重症化の兆しが見えたらすぐに入院できる体制とする」と言って
いるが、その兆しは誰が判断するのか、自己申告なのか。
 政府は、血液中の酸素の度を計るパルスオキシメーターを配布する
などと言っているが、電話すら来ないのに、どうやって配布するのか。
現実離れしている。

.. 2021年08月20日 17:29   No.2266005
++ 岩井 哲 (大学院生)…108回       
・そもそも、感染者の状態を見て、軽症か、中等症か、リスクがある
から入院させるべきかというトリアージ(症状によって対応を分ける)
を一体誰がするのか?
 保健所にいるのは、保健師であって、医師ではない。保健師は「入院
の必要はない」などと診断する権限はない。
 そんなことを言った結果、感染者が自宅で死亡すれば「医療過誤」に
なってしまう。 <2>に続く

.. 2021年08月20日 17:41   No.2266006
++ 日刊ゲンダイ (平社員)…149回       
「本で読み解くNEWSの深層」
 | リニア新幹線への執着は劣化した日本政治の象徴
 | 終わりなきパンデミック
 | 「原発事故とコロナ・パンデミックから見直す」
 └──── (8月3日発行より)

 変異型ウイルスの感染拡大にもかかわらず五輪開催を強行した菅内閣。
これはもはや人災ではないのか。終わりなきパンデミックはどこへ?
  『リニア中央新幹線をめぐって』 山本義隆著

 著者はいわずとしれた元東大全共闘委員長。
 科学史の分野では著作がいくつもあるが、パンデミック特集のブック
ガイドの冒頭にこの書名?

 実は副題が「原発事故とコロナ・パンデミックから見直す」。
 そう、ポスト3・11とポスト2020の現在をふまえ、計画中のリニア中
央新幹線建設を例として、現状の体たらくを鋭く批判するのだ。
 著者は科学の役割はかつては「啓蒙」だったが、いまは「批判」でなけ
ればならないという。原子力が典型例。その「平和利用」は科学による
一般の啓蒙=教化だったが、3・11後の現在は批判以外にはありえない。

 電力を最大消費するリニア新幹線は、前世紀的な高度成長への覚めない
夢にしがみつく劣化した日本政治の象徴。
 無意味な巨大公共プロジェクトに執着する暴走ぶりは、まさに感染抑制
になんら寄与しない東京五輪強行の現状にも共通して見て取れるものだろう。

 技術ナショナリズムにとらわれた御用学者たちの「グレーター東京」計
画を真っ向から批判する舌鋒は、鋭いと同時に、どこかたしなめるような
口調もともなう。
 そこにこの国の未来を真に気づかう著者の心を見ることができよう。
 (みすず書房 1980円)


.. 2021年08月21日 07:42   No.2266007
++ 清水 寛 (中学生)…46回       
カジノの是非と民主主義が争点の横浜市長選挙
 └──── (「なの花の会」世話人、たんぽぽ舎会員)
 
横浜市長選、投票日が8月22日です。
新型コロナ禍での選挙戦で、集会も控えた厳しい選挙です。

1.住民の声に応えなかった林市長

 市民と野党で「カジノ(IR)の是非は住民投票」での署名で20万人弱の
署名(法定で必要とする3倍)が集まりました。署名期間はわずか2ヶ月
間で、生年月日と押印(母印)が必要とする大変な署名でした。
 林市長は、市会に住民投票必要なしの意見を添え、市会では自民と公明
の反対で住民投票条例化は否決されました。

2.カジノ是非を市長選で勝負

 林市長の任期が今年度だったので、「カジノの是非は住民投票」で戦っ
てきた市民団体と野党は「カジノ反対の市長を誕生させよう」と市長選で
戦うことになりました。

 現在、8人の立候補者です。
 立候補した8人のうちIRの横浜誘致に賛成しているのは、元衆院議員
の福田峰之氏、現職の林文子氏の2人。

(反対表明しているのは)「元市議の太田正孝氏(75)、元長野県知事の
田中康夫氏(65)、前国家公安委員長の小此木八郎氏(56)、水産仲卸業
社長の坪倉良和氏(70)、元市立大教授の山中竹春氏(48)、前神奈川県
知事の松沢成文氏(63)の6人」(神奈川新聞2021.8.17火曜・総合2よ
り抜粋)

 このうち、松沢成文氏と小此木八郎氏は国のカジノ政策には賛成であり、
2人が横浜でのカジノ誘致に反対なのは多数の横浜市民がカジノ誘致に反
対しているからとのこと。

3.選挙の争点は

 マスコミの報道からみて、カジノ反対で市民と野党が推す前横浜市大医
学部教授の山中竹春市長候補に対して、カジノ推進の現市長の林氏を支え
ていたにもかかわらず、「横浜でのカジノ誘致反対」で立候補し、菅首相
も支援する小此木八郎市長候補との勝負と見られる。


.. 2021年08月21日 07:55   No.2266008
++ 岩井 哲 (大学院生)…109回       
<医療へのアクセス確保が重要>
 | <感染症災害という観点が欠けている>
 | 2020年〜新型コロナとの闘いの記録
| 読み切り連載(26)<2> (了)
└──── (かごしま反原発連合 共同代表)

 (「毎日新聞」医療プレミア8/5号より)阿部知子・衆議院議員

 <医療へのアクセス確保が重要>

・「軽症」か「中等症」かなどは医者が診て初めて言えることだ。
 問題は入院する段階、つまり医療とつながること自体にハードルがある
ことだ。
 本当に重要なのは、医療にどうアクセスするかだ。すでに何例も、検査
後に自宅待機をしていて死亡した人が出ている。そのほとんどは、医療に
つながる前の人たちだ。

・その上、警察庁によると、昨年1月から6月までの間に取り扱った新型
コロナ陽性死体計536件のうち、死後になって初めて陽性と分かったものが
347件もある。いかに検査すらされていないか、診断すらされていない人が
いるかが分かる数字だ。

・そもそも医療は、早期診断・早期治療によって救命率を上げるものだ。
後手後手に回れば、助けられるものも助けられなくなるのは当然だ。今回
の政府方針は、患者を助ける気がないとしか言いようがない。

 <急激な悪化に対応できるか>

・コロナの場合、意識がもうろうとする症状が出る場合がある。パルスオ
キシメーターでも高齢者には、使用方法が分からない場合がある。こうし
たリスクを考えれば、軽症であっても、基本は入院したうえで対応を考え
るべきだ。
・さらに、コロナの恐ろしい所は、急激に悪化することだ。急死された羽
田雄一郎参院議員もそうだったと思うが、呼吸が苦しいと自覚する間もな
く、急に悪化して死に至ることがある。
 血栓症も 恐ろしい。脳血栓や心筋梗塞が急激に来る。「悪化したら入
院」というが、悪化したらもう「アウト」の重篤な症状だ。

・「血栓症を起こしたら入院」などというのは無理な話だ。高熱で水分補
給が難しいなら点滴をし、あるいは血中酸素濃度などをモニターしたり、
心拍や血圧を見たりする経過観察も治療の一環だ。

・今回の政府方針は、経過観察を医療とみなしていない。机上の空論で、
患者を振り分けようとしている。感染者は、自宅でいつまでも連絡を待っ
ている。これはもはや、生存権を保障する憲法25条違反だ。

.. 2021年08月21日 08:02   No.2266009
++ 岩井 哲 (大学院生)…110回       
 <感染症災害という観点が欠けている>

・なぜこうしたことになるのか?
 政府にはパンデミックが災害であり、危機対応であるという認識がない。
 感染症災害が来ているという認識が必要だ。早急に大人数を収容できる
臨時病棟を作るべきだ。
 陽性者はまず臨時病棟に入って医療につながる。そこでトリアージを受
け、軽症ならば帰宅して訪問診療を受ける。
 重症化のリスクがあるなら、転院するなどの対応をする。災害医療の観
点から考えれば、初動をいかに早く、誰がするかが基本であることは明ら
かだ。

・コロナ禍が災害であるという認識があれば、通常の医療体制の中でどう
ヤリクリするかという発想自体を変えなければならない。
 平時の対応のままではコロナ以外の通常の医療にもシワ寄せが行き、医
療全体の持続可能性が危うくなる。

 政府は感染者の現実を全く把握しないまま、医療側の既存の病床逼迫に
慌てふためいて、重症者だけへの対応を考えているが、まずはすべての患
者を重症化させない対策が第一だ。

 〔今回の読み切り連載(26)をもって休稿と致します…岩井 哲〕

.. 2021年08月21日 08:08   No.2266010


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