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■--この国のカタチ−核密約と原爆調査
++ 山崎久隆 (中学生)…45回          

故笹本征男さんの大きな業績『米軍占領下の原爆調査―
原爆加害国になった日本』の出版

 3月20日、一人の市井の研究者がひっそりと亡くなった。在韓被爆者問題市民会議の代表で占領史研究家の笹本征男(ゆくお)さん。享年65才。1995年に発表された『米軍占領下の原爆調査―原爆加害国になった日本』が代表作。
 実は私は、この本で核兵器と日本との、これまでに持っていた何とも言えない気持ちの悪い感覚と、見えない日本の姿を一気に見通すことが出来たと感じた。
 主題は「日本が如何にして、敗戦直後の混乱期から経済大国に至るまで一貫して米国のためにヒロシマ・ナガサキでの核兵器の影響を調べ、そのデータを引き渡していたか」。その調査である。
 戦争において「日本は唯一の被爆国」であるかもしれないが、一方では米国による核の傘の下で日米同盟を戦後65年も続けてきた準核武装国でもある。非核三原則を国是とし、核廃絶を国連の場で主張しながら、自らは秘密裏に核武装計画を研究し、日米安保交渉では核の傘を要求し、あまつさえ米国の核兵器を事実上自由通過させることを認める「核密約」を冷戦終結後に至るまで何十年も維持してきた。
 言うなれば「本質の見えない」「不気味な」「得体の知れない」国家像だ。
 その根幹にあったのが、笹本氏が終世をかけて世に出した「原爆被爆者調査」の実態だった。

被爆者の命を売り渡してきた日本政府

 「原子爆弾災害調査研究特別委員会」なる、当時の自然科学分野を総動員し、ほとんどの省庁を横断する大規模な組織を、無条件降伏わずか一ヶ月の9月14日に設立する。これを戦後の混乱期に立ち上げた日本政府は、しかし被爆者治療のためにこの組織を作ったわけではなかった。
 「日本が独占状態にあった原爆被害のデータを加害国米国に送った。」日本政府がしたことはこれだった。国には被爆者の援護という視点さえなかった。ちなみに最初に被爆者援護のために作った法律は原爆投下から12年も後(講和条約からも5年もたっていることに注意)の1957年の「原爆医療法」制定である。
 在外被爆者特に当時日本に暮らしていた韓国(朝鮮)人に対する援護に至っては、時代が平成になり20年もたった昨年2009年12月まで行われていなかった。
 厚生労働省のHPには「被爆者援護施策の歴史」というページがあり、その年表の説明は「被爆者援護施策は、昭和32年の原爆医療法制定以来、数十回にわたる法令の改正を重ね、被爆者援護の拡大・拡充を繰り返し、現在のような保健、医療、福祉にわたる総合的な援護制度となりました。」と書かれている。如何に不十分な援護体制だったかの証明に他ならない。拡充を繰り返さなければならないほど、貧弱で差別的な制度であったため、各地で被爆者の援護を求める法制定運動など、被爆者団体を中心にした運動が繰り広げられ、訴訟も提起され、そして最近は司法の場でも無残な連敗を重ねてきた結果として、何度も法を改正し、あるいは立法し「拡充」せざるを得なかったというのが実態である。
 この間、日本は世界第2位の経済大国にもなり、米国の核の傘の下で世界でもトップクラスの軍事力を整備し、核武装も可能な技術力を蓄積している。金満国家の貧しい戦後補償と揶揄される姿が、しかし笹本氏には別のカタチに見えていたに違いない。
.. 2010年09月30日 06:13   No.226001

++ 山崎久隆 (中学生)…46回       
この国のカタチ−日米核密約

 米ソ冷戦構造の中でアジアでの権益を拡大するためにソ連には「米空軍の不沈空母」として牽制し、中国には「核武装」をちらつかせて圧力をかけていた日本。
 その米国が中東で足を取られているさなかの1999年9月30日、東海村で臨界事故が起きる。超小型の中性子爆弾が炸裂したかの事件に対し、日本政府は何をし、何をしなかったのか。日米密約の中で得体の知れない不気味さを感じざるを得ない。
 「核密約」とは表に出ている米国の核兵器を含む軍事力を裏で支えるために必要だった。核弾頭をお互いに見せ合いながら核抑止戦略を「仲良く」追求していたヨーロッパと異なり、中国とインドという不確定要素を抱えるアジアでは、核
兵器は「見せない」抑止戦略をとっていた。その立役者が日本だった。
 核密約とは、日本が隠れ蓑になって米軍の戦術核をフリーに展開させるという意味を持っていた。間違っても日本防衛のためなどではない。これに対抗して、密かに中ソはそれぞれ独自にいくつかの在日米軍基地を先制核攻撃する準備を整えていたと見るのが自然だ。

つまり「米国との核密約」こそが日本を戦争に引きずりこむ道具立てだったのだ

 米国が核の先制使用をしないと盟約でもすれば別だろうが、現実には先制攻撃体制を一時代は取っていた。
 被爆者の命を売り渡してきた日本政府だから、その後の核密約はいわばアジアの盟主としての地位を核密約で買ったということだろう。
 それを「単なる歴史上の出来事」とか「昔の話」などと軽視することこそ、未来を誤ることになる。中には「評価」するものもあるようだが、非核三原則を掲げながら日本の内外を自由に戦術核が動き回ることを許したことを評価するなど、
「卑劣な国家でけっこう」といっているに等しい暴論だ。憲法前文の精神は改憲前に既に日本自らが踏みにじっていたことを認めなければならない。
 核密約の精算はまず核の傘からの脱却しかない。次に非核証明無き軍隊を日本に入れないと宣言することだ。せめてニュージーランド並みに非核に熱心な政策をとらない限り、今さらの核廃絶決議で如何に多くの国の賛同を得たとしても、何の前進にもならない。
 笹本氏が調べ上げた日本の被爆調査は、もう一つの「核密約」でもあった。それが明るみに出たというのに反応はほぼ皆無だったということ自体、政府外務省を含む日本の対米従属は深刻な病理となっていることを物語る証拠なのである。
 笹本征男さんの大きな仕事に感謝し、冥福をお祈りします。

.. 2010年09月30日 08:17   No.226002
++ 山崎久隆 (中学生)…47回       
広瀬隆さんの新刊発売

 『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』が8月26日に発売された。
 これまで浜岡原発を始め、日本各地の原発や再処理工場などの原子力施設周辺や直下がどのように危険かを、個別に読み、聞いてきたが、北から南まで総合的に問題点を、特に地震や火山活動あるいは地質(ひとまとめでいうならば地殻変動)と関連づけてまとめられたものとして、そして最新の情報を集めた、いまの全貌を知るには格好の書と言える。
 時間とともにマスメディアの話題にも上らなくなり、いまでは原子力と地殻変動のことは語られなくなりつつある。しかし危険が去ったどころか日々、危険は増している。特に東海地震あるいは東海、東南海、南海の連動地震に襲われる可能性が高まっている浜岡原発の危険性はまさしく「忘れたころにやってくる」だろう。
 浜岡にとどまらない。日本各地の原子力施設が置かれた危険性を、本書は網羅的に見せてくれる。しかしこの本の真価は情報価値だけではない。
 こんなでたらめなことがまかり通った理由、専門家たちが最近まで生越さんなど一部の人を除けばほとんど指摘さえしなかったわけ、そして私たちに伝えられなかった原因と、掘り下げられてゆく。
 1990年代初め、『危険な話』に始まる原子力三部作を世に問うた広瀬さんは、事実上原発の出力調整実験を止めることに貢献した。
 いま、19年ぶりに世に問うた新刊は、原発震災を止めるために人々を動かすことに貢献をするだろう。いや、そうならなければ本書のように「時限爆弾」が炸裂し、日本が消えることになる。それも何百年先の話ではない。

 『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島』
       四六判ソフトカバー/308頁/定価1575円(税込み)
  発行:ダイヤモンド社

.. 2010年09月30日 08:30   No.226003
++ アツミマサズミ (幼稚園生)…1回       
◆原子力事故を2度と起こさないために、行動!
◆9月30日(木)朝(追悼と抗議)と夜(講演会)の2つの行動に120人

●午前の行動
 9月30日(木)、雨の中、JCO臨界ヒバク事故11周年の経産省前行動をおこなった。日本山妙法寺、NCC(日本キリスト者協議会)といった宗教者、山谷労働者福祉会館、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークなどの市民団体、たんぽぽ舎、原発を考える品川の女たちの反原発グループ、日野のyさん、抗議の歌を歌った市民など各団体・個人が様々な立場でJCO臨界事故と原子力の危険性について訴えた。
 事故が起きた10時35分に参加者全員が2人の死者に対して黙祷、献花の行動を行い、社民党福島みずほ氏を通じて経済産業省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁(係官2名)に対して申し入れ書(原発推進行政をやめよ)を手渡した。
 最後に経産省に向かってシュプレヒコールを行い、午前中の行動を終了した。
寒い中、参加いただいた13団体31名の皆さん、ありがとうございました。

●夜の講演集会
 18時30分から明大リバティータワーで行われた。最初に実行委員会を代表してあつみ実行委員会代表が基調報告。
次に、事故を起こしたJCOに対し、健康被害裁判を提訴して闘った、大泉夫妻が話された。大泉恵子さんは原子力文化振興財団がJCO臨界事故を振りかえるために住民に対して募集した手記に応募した文章を元に話された。事故によっ
て生活が一変し、裁判をしたが7年くらい経っようやく事故に向き合えるようになった。被曝した私たちこそ体験を伝えていかなければならないと、話された。
 大泉昭一さんは「各県3名ぐらいずつ放射能に詳しい医者を置くべきと話は出ているが一向に進んでいない。JCOの事故について言えば、これから晩発性の被害が出てくると思う。私たちのまわりでも4名がガンで亡くなった。」と11年経っても住民を苦しめる原子力の恐怖に対して実感をもって話された。事故を風化させないため、臨界事故を語り継ぐ会を結成した。今後も頑張ると発言。
 なお、会場で集めたカンパ40,030円を大泉夫妻に渡しました。
 槌田敦さんは「日本の核兵器原料生産の現状と9・30臨界被曝事件」と題した資料をもとに講演。日本が一貫して核兵器原料生産の方法をたくらんでいたこと、臨界条件を無視した動燃の「ムリな注文」によってJCO臨界事故が起こったこと、常陽の炉内破損、六ヶ所村再処理工場、もんじゅ(槌田さんはもんじゅ・ふげん菩薩とはまったく異なるということで「にせもんじゅ」と表記)炉内落下事故などで、日本の核兵器原料生産が行きづまっていることを話された。JCO事故の原因は高速炉常陽の燃料製造(それは旧動燃のウラ金づくり)の過程で事故が起きたことや、常陽の設計・製造についての原研内の共産党員らの主要な関わりも初めて話された。
 その後、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク、西村裁判を支援する会、ストップ原発再処理工場・意見広告の会、たんぽぽ舎、いろりばた会議の5つの団体からのアピールと集会宣言(JCO臨界被曝事故を風化させず、忘れず、今日の集会で学んだことを生かし、原発・核燃サイクルをやめさせるためさらに奮闘する宣言)を採択して、終了した。
 参加者は88人プラス3人の講師で91人でした。

.. 2010年10月04日 21:02   No.226004
++ 杉嶋拓衛 (幼稚園生)…1回       
◆今回のいろりばた会議は、原発推進の国策の問題点について、市民の目線から考える会にしたいと思います。
◆日本は、「原子力の研究開発、利用の促進」(原子力基本法)を基本として、「原子力委員会」が約5年ごとに「原子力政策大綱」を決めています。(前回は2005年10月策定)もちろん、大前提として原発推進の内容です。(今年は5年ごとの見直しのタイミングにあたります)
◆しかし実際には、原子力政策の至る所でトラブル多発。地震による原発大事故の不安。行き場が見つからない核のゴミ・放射性廃棄物。莫大なお金を投じてもトラブル続出で動かない「もんじゅ」、「六ケ所再処理工場」。28年間、建設計画に反対している地元住民を電力会社が裁判に訴えるという異常事態になっている上関原発計画。などなど…

.. 2010年10月06日 06:18   No.226005
++ 柳田 真 (中学生)…34回       
1.豊田直巳写真展 「イラク戦争と劣化ウラン」
   −今も続く被害者の苦しみ−

子供たちは見ていた。米英軍の爆撃を。占領を。銃口を。
子供たちは見ていた。友が傷つき殺され、そして劣化ウランに苦しんでいるイラクを。

【写真展】10月17日(日)〜10月31日(日)
劣化ウラン弾は放射能兵器です。1991年の湾岸戦争ではじめて使用され、2003年のイラク戦争では2000トンとも言われる劣化ウラン弾がイラクの地に落とされました。
そしていまも劣化ウラン弾は紛争地域で使われています。
劣化ウラン弾は放射能兵器です。
場 所:港区立男女平等参画センター(リーブラ)3階廊下に展示

【お話会】10月23日(土)13:30〜
講 師:山崎久隆氏(劣化ウラン研究会代表)
テーマ:劣化ウラン弾とは何か 国際的な流れと日本の現状
場 所:港区立男女平等参画センター(リーブラ)学習室D
参加費:無料 

2.豊田直巳写真展「枝川朝鮮学校物語」

「幻の東京オリンピック」から70年。その準備過程で江東区・枝川の都立の「ごみ捨て場」に移り住まされた在日朝鮮人たちがいた。今、その孫やひ孫たちが通う「ウリ ハッキョ」東京朝鮮
第二初級学校。私たちの隣人の彼、彼女の学校生活から何かが見えてくる。
■日時:10月15日(金)〜21日(木)
■会場:豊洲文化センター 1階ロビー
(地下鉄、ゆりかもめ 豊洲駅徒歩3分)

.. 2010年10月09日 19:23   No.226006
++ 柳田 真 (中学生)…35回       
3.新刊のお知らせ

『「戦地」に生きる人々』(集英社新書)
豊田直巳が参加するJVJA(日本ビジュアルジャーナリスト協会)で新書を出しました。(9月17日店頭に並びます)豊田は本書で編集を担当し、序章、あとがき、第六章:レバノンを執筆しております。
是非、本屋さんやアマゾンこちらでお求めください。
Twitter等でご紹介をいただける場合はURLのこちらをお願いします。

目次
まえがき:見知らぬ人々の悲劇ではなく
  堤未果(非会員です)
序 章:「閉ざされた声」を届けたい 豊田直巳
第一章:チベット 人々の祈り    野田雅也
第二章:ビルマ(ミャンマー)辺境から見る軍事政権 山本宗補。 
第三章:マーシャル諸島 蝕まれてゆく島で 森住卓。 
第四章:ハイチ 聖地の村で 佐藤文則。 
第五章:チェチェン 闘う女性たち 林克明。 
第六章:レバノン 境界線に生きる 豊田直巳。
第七章:パレスチナ・ガザ: 封鎖下に生きる人々 古居みずえ。
あとがき。

「それは、『他の誰もが報道しないならば、自分が報じなければならない』、と考えているからです。仮に誰も報じなければ、歴史的な事実さえも、まるでこの世に存在しなかったかのように社会から抹殺されてしまうという『メディアの時代』を、私たちは生きています。JVJAの仲間は、そうした状況だからこそ、なおさら伝えることの意義を通説に感じているわけです」(序章 豊田直巳)

.. 2010年10月10日 07:13   No.226007
++ 柳田 真 (小学校低学年)…5回       
    “事故が心配の原発を”第一重点に
浜岡原発ノー行動と浜ネット総会への参加
                 

■日本の原発推進政策がますます混迷と困難をきわめてきている。(もともとムリな政策)それは六ヶ所再処理工場(2年延期と4,000億円の増資)と、「もんじゅ」の大きな落下事故にも象徴される。「核然 展望なき操業延期、トラブル解決は不透明−六ヶ所再処理工場」(朝日新聞9月11日)である。又、「もんじゅ」の炉心用装置落下事故で「もんじゅ」は“死んだも同然”の評価が広まりつつある。
この事故で「もんじゅ」はもはや運転できないので、巨大事故を起こすことなく臨終を迎える可能性がきわめて高い(槌田敦さん)。核然サイクルの2本柱が崩壊しつつある。

■たんぽぽ舎は昨年より“原発事故が心配な原発へのとりくみ”を第一重点にして活動を集中化してきている。とりくむ課題があまりにもたくさんあり、多くないスタッフであれもこれも手を出すことは無理が出るし、一番の焦点への対応がおろそかになる心配があるからである。
 広瀬隆さんの8月の新刊『原子炉時限爆弾−大地震におびえる日本列島−著者15年ぶりの反原発書』の序章(はしがき)の文と同じ問題意識である。広瀬本いわく、本書はこの日本列島に住んでいるすべての人に、「日本はあと何年ここに人が住んでいられるだろうか」というごく簡単な問いを、たずねるものである。以下、原発震災を心配する文がつづく。

■原発事故の心配の筆頭は「東海地震が心配される静岡・浜岡原発(3基)である。
9月1日の国の防災訓練でも3地震連動(東海地震・東南海地震・南海地震)の発生を心配しておこなわれ、70万人弱が参加した。(静岡県での参加人数が一番多い)私たちは9月11日の浜ネット総会(正式名は「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」)に、車2台11人で参加し、総会・講演会の盛り上げと浜岡原発ノーの翌日の御前崎市役所周辺の宣伝カー行動・各戸ビラ入れに参加した。
 ビラは「中部電力はすべての原発を停止せよ。−阪神大地震から15年−もっと大きい東海地震が心配」という中味。現地の人々と協力し合計20人余で1000枚配布できた。帰りの車中は浜岡原発止めよう行動を現地の人と協力してやれたこともあり、参加したみんなの意気もあがった。
 今後は年末〜来春のプルサーマル実施への反対行動がある。
 今から準備しよう。原発事故を防ぐために力を合わせよう。


.. 2010年10月17日 07:35   No.226008


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