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◆原子力事故を2度と起こさないために、行動! ◆9月30日(木)朝(追悼と抗議)と夜(講演会)の2つの行動に120人
●午前の行動 9月30日(木)、雨の中、JCO臨界ヒバク事故11周年の経産省前行動をおこなった。日本山妙法寺、NCC(日本キリスト者協議会)といった宗教者、山谷労働者福祉会館、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークなどの市民団体、たんぽぽ舎、原発を考える品川の女たちの反原発グループ、日野のyさん、抗議の歌を歌った市民など各団体・個人が様々な立場でJCO臨界事故と原子力の危険性について訴えた。 事故が起きた10時35分に参加者全員が2人の死者に対して黙祷、献花の行動を行い、社民党福島みずほ氏を通じて経済産業省、原子力安全・保安院、資源エネルギー庁(係官2名)に対して申し入れ書(原発推進行政をやめよ)を手渡した。 最後に経産省に向かってシュプレヒコールを行い、午前中の行動を終了した。 寒い中、参加いただいた13団体31名の皆さん、ありがとうございました。
●夜の講演集会 18時30分から明大リバティータワーで行われた。最初に実行委員会を代表してあつみ実行委員会代表が基調報告。 次に、事故を起こしたJCOに対し、健康被害裁判を提訴して闘った、大泉夫妻が話された。大泉恵子さんは原子力文化振興財団がJCO臨界事故を振りかえるために住民に対して募集した手記に応募した文章を元に話された。事故によっ て生活が一変し、裁判をしたが7年くらい経っようやく事故に向き合えるようになった。被曝した私たちこそ体験を伝えていかなければならないと、話された。 大泉昭一さんは「各県3名ぐらいずつ放射能に詳しい医者を置くべきと話は出ているが一向に進んでいない。JCOの事故について言えば、これから晩発性の被害が出てくると思う。私たちのまわりでも4名がガンで亡くなった。」と11年経っても住民を苦しめる原子力の恐怖に対して実感をもって話された。事故を風化させないため、臨界事故を語り継ぐ会を結成した。今後も頑張ると発言。 なお、会場で集めたカンパ40,030円を大泉夫妻に渡しました。 槌田敦さんは「日本の核兵器原料生産の現状と9・30臨界被曝事件」と題した資料をもとに講演。日本が一貫して核兵器原料生産の方法をたくらんでいたこと、臨界条件を無視した動燃の「ムリな注文」によってJCO臨界事故が起こったこと、常陽の炉内破損、六ヶ所村再処理工場、もんじゅ(槌田さんはもんじゅ・ふげん菩薩とはまったく異なるということで「にせもんじゅ」と表記)炉内落下事故などで、日本の核兵器原料生産が行きづまっていることを話された。JCO事故の原因は高速炉常陽の燃料製造(それは旧動燃のウラ金づくり)の過程で事故が起きたことや、常陽の設計・製造についての原研内の共産党員らの主要な関わりも初めて話された。 その後、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク、西村裁判を支援する会、ストップ原発再処理工場・意見広告の会、たんぽぽ舎、いろりばた会議の5つの団体からのアピールと集会宣言(JCO臨界被曝事故を風化させず、忘れず、今日の集会で学んだことを生かし、原発・核燃サイクルをやめさせるためさらに奮闘する宣言)を採択して、終了した。 参加者は88人プラス3人の講師で91人でした。
.. 2010年10月04日 21:02 No.226004
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