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大東亜戦争開戦の時、今村均中将は第十六軍司令官として、オランダ領東インド攻略の任務に、山下奉文中将は第二十五軍司令官としてマレーシンガポールに本間雅晴中将は第十四軍司令官としてフィリピンにおもむいた。・・・・敗戦降伏とともにこの三人のうち二人は刑死した。山下大将は絞首刑に、本間中将は銃殺された。今村中将は責任をきびしく問われなかった。死刑の二人とのちがいは降伏した相手によるのでないかと思う。今村は豪軍に降伏した。オランダ軍に降伏したのでない。山下大将にはマレーシンガポールのうらみがあり、本間中将にはフィリピンでの敗戦のうらみがある。どうしても栄光の将軍としておくことはできない、屈辱を与えてころさなければならない。そういうはっきりと表にだせない動機があった。山下大将降伏のときには、パーシバル将軍をわざわざ同席させていたのは、報復の意図を無言であらわしている。
.. 2010年06月26日 11:05 No.220001
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