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過去に起こったイラクの人質事件での「自己責任論」は国際社会では悪評でした。状況がどうであれ同胞の救出にまず全力を尽くすのが国民から権限を付託された政府の責任だと言うことです。人質事件では官邸や外務省は盛んに自己責任論を展開していましたが、事件を機に自衛隊派遣批判が出るのを恐れ救出対策は行なっていると宣伝したのです。
人質として拘束したのは、日本人であり、イラクの人々にとっても友好な市民です。日本政府の米国追随政策と憲法違反の自衛隊派遣がそうした事態を招いたのは明白でした。真の国際社会に生きる人間として、嘘を見抜く力と感性を大切に平和を希求する被害者を支援し、権力と米国の利害に溺れる我が国の愚かな政治家には決して騙されてはいけません。
国民の力を結束させて、これからの暗黒時代を阻止しなければならないと考えます。対イラクの戦争は泥沼され、米国は自国の利益、景気回復のためにベトナム戦争と同じ過ちを犯したのです。日本も自衛隊を派兵しました。このままでは、フランシスコッポラの「地獄の黙示録」の映画のようになってしまいます。
アメリカが言う「解放」という大義名分は、西洋合理主義に対する絶対信仰からくるものですが、合理主義は一つの合理主義でしかなく、それに基づく合理的判断もしくは決断は、政治的、宗教的、経済的に確信を抱く人間の行動の前には脆くも崩れ去るものなのです。
世界帝国を築いたアレキサンダー大王やジンギスカンの二人に共通する成功した要素は、征服者として民族の宗教と慣習をそのまま承認したことです。合理主義から見れば、世の中は不合理と不条理に満ち溢れています。インターネットの世界の多様性は更にそれらを増幅させています。イラクで実際に起きていたことは、ゲームでも映画でもないのです。
撃たれれば死に、撃てば殺す、命のやり取り、戦争だったのです。イラクへの自衛隊派遣はイラク国民、イスラム社会に対して、効果があるかどうかは別として、自衛隊派遣は、戦争参加、米英軍支援にしかなかったのです。イスラム社会には全く関係ないこと、日本本土がイラクから遠く離れた戦場が、テロ攻撃の対象となったことを意味するのです。
.. 2021年04月07日 06:48 No.2166001
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