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ウイルスは生きる為には人間と共存しようとします。毒性を弱めながら感染力を強めていくのがウイルスの一般の法則である以上、新型コロナウイルスとの闘いだとか、新型コロナウイルスに打ち勝つという言い方は適切ではなく、新型コロナウイルスとどのように生きていくかと考えたほうが適切でないかと思うのです。
新型コロナウイルスの感染だけを心配するのではなくコロナ禍の社会のことを心配するのも大切ではないでしょうか。ウイルスが我々人類の関心の中心となって1年以上が経過したと言うのに、腑に落ちないことがいくつもあります。
例えば、人口当たりの病床数では日本は世界でも多いはずなのに医療崩壊への不安が語られています。なぜもっと適切な調整がとられなかったのであろうか。自民党が新型コロナ対策を打つタイミングをみると、感染者の増減は支持率の増減と繋がっています。
新型コロナウイルスの動向を見ていると「コロナ・ファシズム」とでも言いたくなってしまいます。対面で会うことや外出を控えることは必要でしょう。しかしそのことを実行しない個人やお店に対する過度な攻撃的な批判は国民の自粛警察と言う統制とも言えます。
このような中、大切なものは、共に生きる社会をどう維持していくのが大切なのではないでしょうか。爆発的な感染拡大は社会の維持を困難にするから防ぐ必要はあります。しかし、社会の維持とは、活動の維持と深く結びついています。
活動の維持関係を断ち切ることは社会そのものの衰弱と崩壊を招きかねません。個々がそれぞれの場で工夫をしていく必要があると思うのです。自然は新型コロナウイルスの損傷を受けていないとするとこの社会の半分は健全なままでしょう。
日本の伝統的な考え方では、社会を構成するのは人間だけでなく自然も含まれるものとされていますが、このように指摘してしまうと、確かに我々はこの1年以上も人間のことばかり考えてきたのかもしれないことに気づかされます。
我々は新型コロナだけでなくさまざまなウイルスとともに生きています。共生ということを、もっと深いところからとらえることが必要ではないでしょうか。
.. 2021年04月01日 05:43 No.2161001
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