|
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9を記録する大地震が東北地方太平洋沖で発生し、ビルの倒壊や火災により多くの方が亡くなった。強い揺れだけに留まらず地震はさらに海から大きな魔物を送り込んできた。沿岸部は大津波に襲われて広範囲で住宅が流され、被害が拡大した。
大震災が起きた直後、我孫子市でも液状化現象が起こった。ライフラインも広い範囲で寸断され、断水した。学校や保育園では普段からの危機管理の徹底により、先生たちの冷静沈着な行動と子どもたちの敏速な避難によって怪我人を1人も出すことがなかった。子どもたちを守って頂いた事を、深く深く感謝いたします。
子どもが心配のさなか交通機関は遮断され父母は動けなくなった。このため、職場から家族の下へ向かう手段を失い「帰宅難民」が街にあふれた。一夜を施設内で過した方もいた。大地震後も震度4から5程度の余震が続く。インターネットで検索する画面を見れば、おぞましい地獄の光景が映し出される。連絡がつかない家族の安否が気になる。
この地震で、自然の猛威に対して人間はいかに無力であるかを痛感させられた。被災地は空襲されたような惨劇である。これは、戦後の混乱期と同様の情況にあると年配者は語る。終戦をむかえ閉塞感の漂った戦後間もない頃、過酷な状況を我慢して耐え、襲い掛かる災害にめげない日本人の素晴らしさをみて、諸外国が日本の復興に驚いたという。
現在、先生を始め父母たちは子どもを放射能の脅威から守ろうと日夜努力を続けている。果たして放射能を封じ込め収束することが出来るのであろうか。父母は子どもたちの親として心強く「復興」を胸に刻むとともに、科学はいかにあるべきかを原点から見直すべきである。
希望を持てる日本にするためには、今後、ひとりひとりの生活スタイルを変え、持続可能な環境に安全なエネルギーなどを積極的に取り入れなくてはならないであろう。放射能災害が深刻化する今、安全で安心の食料生産の大切さについて考えて頂きたい。日本の農業や酪農・漁業の安全安心を願わざるを得ない。
.. 2021年03月11日 09:01 No.2144001
|