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■--松岡全権の随員として
++ 仲條拓躬 (社長)…560回          


石原莞爾は満州から帰国すると間もなく、ジュネーブで開かれる満州事変の国際連盟総会臨時会議の松岡洋右全権の随員を命ぜられ、昭和7年10月、日本を出発しました。その途中、モスクワにつくと、ソ連のウォロシロフ国防相が面会を申し出てきたのですが、なぜか国防相には会わず、エゴロフ参謀総長と会うことにしました。

その当時、ソ連の高官は各国の大使などが面会を申し入れても会おうとはしなかったのです。それが髄員に過ぎない石原莞爾に、国防相の方から面会を申し入れるあたり、石原莞爾に対する関心がよほどあったようです。

エゴロフ参謀総長は、石原莞爾大佐を温顔で迎え握手を交わしました。その時、石原莞爾は突然、「貴国が人類文明のため努力され、しかも成果を上げていることに対し、人類の一人として敬意を表す」といいました。

石原莞爾が何を言うのかと神経をとがられせていたときだけ、エゴロフ参謀総長はびっくりしたらしいです。何せ日本軍人といえば、共産党嫌いと聞いています。それだけに驚きと安心がごっちゃになったようです。

「ソビエトは、」と、ソビエトの活動状況を説明しようとしたところ石原莞爾は、「ちょっと待ってくれ。ソビエトがやっていることが正しいというのではない。人類文明発展のためと思い込んでやっている努力には敬意を表するが、それが果たして相手に対して正しいか否か考慮してもらいたい。それを忠告したい」

といったので、通訳が弱りはて、冷や汗をかいていたそうです。石原莞爾は、さらにエゴロフ参謀総長の度肝を抜いてやろうと思ったらしく、「ソ連部隊を見学させてもらいたい」というと、エゴロフはすっかり慌てて、「今は入隊、除隊がかちあって混雑している。会議の帰りにしてくれ」としどろもどろだったと言います。

石原莞爾は、「帰途はアメリカをまわって帰国するから、遠慮する」と答えを返しました。石原莞爾の窯にかかったエゴロフは、「日ソ不可侵条約を締結したい」と血相を変えて言い出しました。おだてて持ち上げておいて相手の気持ちが緩んだ時に鉄槌を下す、という論法で相手の本音を吐かせます。
.. 2021年03月01日 05:22   No.2138001

++ 仲條拓躬 (社長)…561回       
事実、エゴロフの申し出は日本に対して敵意の愛ことを示すもので、事前の石原莞爾のソ連動向に関する状況判断が間違っていなかったことを語っていました。石原莞爾は、ジュネーブについてから杉村連盟事務局長に対し、「私どもは日本が連盟を脱退しようがしまいが、どちらでもいいのです。

「満州は既定方針に向かって進むだけです」とクサビを打ち、あとの雑務は諸君に任せるということを言外ににおわせておいて、連盟総会には顔を見せず、毎日、本屋を歩き回って戦争文献を探していたのです。

総会における松岡全権の演説は、石原莞爾の熱意を反映してか、堂々たるものでした。しかし、日本の主張は42対1で否決されました。そこで日本は国際連盟脱退を宣言し、全権一行は帰国したのは、昭和8年の6月のことです。


.. 2021年03月01日 05:28   No.2138002
++ 岩井 哲 (中学生)…35回       
<アベ首相「どこかに目詰まりが…」⇒「医系技官」ら5人が
 | 浮かび上がる!>
 | 2020年〜新型コロナとの闘いの記録
 | 読み切り連載(13)(下)
 └──── (かごしま反原発連合 共同代表)

6.検査件数は、4月中は、1日5000〜8000件というレベルで推移し、
4月30日参院予算員会で追及されたアベ首相は、「どこかに目詰まり」
があると答えたが、「一国の首相」として、あまりにも情けない
答弁である。

・では、「どこに目詰まり」があるのか?
 上昌弘医師は、厚労省の鈴木俊彦事務次官、鈴木康裕医務技官、
コロナ対策所管課の日下英司結核感染課長、加藤勝信厚労相、宮嵜雅則
保険局長の5人を、「ズバリ、戦犯」と名指しする。

 日下課長は、初動の判断を間違えた。英国の『ランセット』情報も
踏まえず、「感染症2」への政令指定をして、無症状者の強制入院を
決めることで「ベッド数の圧迫」の原因をつくり、あとは一気に
その流れだ。
 3月下旬から市中感染の増加が明白になっても方向転換がきかず、
彼らはその「専門性」にあぐらをかき、いくら首相がPCR増加を命令
しても素直に従うことはなかった。

・医務技官とは、「医師免許を持ったキャリア官僚」で、唯一
国家公務員試験を免除され、その中で優秀な者は、保健局で健保問題に
携わったり、医務局で医師不足対策をする。
 二番手が健康局や、感染研、地方厚生局長といった部署に回される。
これら「2軍プレーヤー」たちがコロナ対策の担い手だ。彼らの非科学
的な対策により大きな混乱・弊害を残した。
  (以上、雑誌『情況』2020年夏号所収・岩井哲論文より抜粋)

7.「国立感染研」の歴史的系譜…元をたどれば、
  戦前の「731部隊」に由来する!

・「戦後すぐに連合軍が占領にやってきた日本は、伝染病が蔓延し、
結核も死亡率が世界一位で、不衛生な国でした。…占領する40万人近い
米軍兵士の健康と生命を守るために、まずは日本人の伝染病・感染症を
退治しなくてはいけない。
 そこで、「DDT革命」でノミやシラミを駆除し、蚊をなくし、結核
の予防接種、赤痢その他伝染病を日本からなくす衛生政策を
実行しました。

 サムス准将は、米軍軍医の最高位にある人で…日本の病気に詳しい
医学者・医師らの専門家の力を借りなくてはならない。

.. 2021年03月02日 05:46   No.2138003
++ 岩井 哲 (中学生)…36回       
 当時の日本医学の最先端だった元731部隊の医学者たちが動員され
るのです。
 陸軍防疫給水部と関係の深かった東京大学の伝染病研究所が中心で、
そこからワクチンを作る予防衛生研究所が分かれ、現在の国立感染症
研究所になっていく。

・広島・長崎のABCC(原爆傷害調査委員会)も、サムス准将の指揮
下にありました。原爆の被害は膨大ですから、アメリカ人軍医だけで
調べるわけにはいきません。
 日本人の医師・医学者の中でも最も優秀な人たちが、広島・長崎の
現地調査に連れて行かれました。

 彼らは、被爆者の治療をしないで医学データを取り、そのデータが
ワシントンに送られたのです。
 この中に、731部隊関係者が多数含まれていました。彼らが、
PHWの指導する厚生省のさまざまな委員になり、その後の日本の
医学界で偉くなっていくのです。」
 (『731部隊と戦後日本』加藤哲郎著、花伝社、2018年刊より)

.. 2021年03月02日 05:51   No.2138004
++ 仲條拓躬 (社長)…562回       
石原莞爾の辞表

数十年間に及ぶ研鑽と修行の結果、石原莞爾哲学が第一次完成を迎えた時点における理論の発表であり、重大な発言でした。その中心となるものは法華経の奥義であり、また石原莞爾の著作『世界最終戦論』と『戦争史大観』です。

石原莞爾はその人生観に基づいて、将校としての判断の仕方、世情の観察などを口説き聞かせ、また日本の現状、世界情勢を明確に分析しました。それから締めくくりとして、東條軍閥のあくなき攻勢欲と、それによって歪められた日本の政治、軍事などを完膚なきまでに糾弾し、日本民族の生存と国家保全のために、東條陸相の退陣を要求しました。

その激しい東條折伏ののろしは、参加将校を説得しました。この講義は、軍部をはじめ日本国に大きな波紋を投ずる結果となり、石原莞爾を慕う人々はこれを受け止め、一層の奮起を心に誓いました。

しかし、東條陸相は激怒し、権力者にとって伝家の宝刀ともいうべき人事権を発動、報復をはかったのです。東條陸相は、その2カ月後に行われた陸軍大異動で石原莞爾中将の第十六師団長解任、予備役編入を実施するに至ったのです。石原莞爾はそれまでに辞表を2回も出しています。

1回目は2・26事件における反乱軍の鎮圧直後でした。参謀本部作戦課長として事件の処理に不手際があったとして己れの責任と、責任を回避して事件をうやむやに葬ろうとする軍上層に対する怒りが重なっての辞表提出でした。

2回目は関東軍参謀副長の時です。作戦主任参謀時代から営々として築き上げた理想の国、満州への夢が東條参謀長をはじめ、心なき軍人、官僚たちによって、儚くとも消えたとき、憤然。軍とたもとを分かとうとしました。

2度とも軍最高統師部、そして秩父宮をはじめ皇族方から翻意を求められ辞意を撤回したのです。しかし、今度は石原莞爾を最も信頼している秩父宮は病に伏しているのです。今度こそ3度目の正直、陸軍を去るのに何の未練もない。

石原莞爾追放に起こった全国の同志間に、東條軍閥を倒せ、との不穏な空気が流れ、なかでも第16使節団隷下の青年将校の一部、中央の若手幕僚の急進グループが、東條陸相を成敗しようと動き始めたのです。しかし、石原莞爾は彼らの行動を厳しく制止し、各自の任務に精進するように諭したため、彼らの暴発を未然に防止することができたのでした。

.. 2021年03月04日 08:24   No.2138005
++ 仲條拓躬 (社長)…563回       
石原莞爾の洞察力
石原莞爾は東條軍政による状況判断の誤りを指弾し、作戦行動を厳しく批判したため、東條英機陸相によって現役を追われ予備役編入となりました。時期は昭和16年3月31日です。石原莞爾の退役は陸海軍部内に大きな波紋を投じ、また民間にも石原莞爾に対し同情するもの多く、軍の前途に対する不安感は増大していきました。

同年9月6日、御前会議が開かれ、「11月中旬までに、日米交渉が妥協成立しなければ開戦せねばならぬ」という重大なる決定を行ったのです。その席上、天皇は「いかなる手段を用いても日米交渉の妥協をはかるべし」と述べられました。石原莞爾は退役してはいるもののこの事態を憂慮し陸軍省兵務局長田中隆吉少将を東亜連盟同志会本部に招きました。

「軍部は石油資源獲得の必要から蘭印を日本の勢力圏内に収めるため南進を企図しているようだが、これは米英との戦争につながるものである。石油はアメリカと妥協吸えばいくらでも輸出できる。石油のために一国の運命を賭して戦争するのは馬鹿だ。」

「たとえ南方を占領しても米英を敵としては、日本の船舶では石油もゴムも、それに米も日本内地へ輸送できるものではない。またドイツの戦況を有利に判断しているらしいが、ドイツは地形の異なるバルカンも西部戦線も同一戦法を取っている。またソ連戦線でも先方に変化なく千篇一律の観がある。ドイツはソ連軍には断じて勝てない。」

「もしわが軍が力もないくせにドイツを信頼して米英相手に戦うというなら、これほど危険なことはない。君たちはこの戦争を阻止するための努力をせねばならぬ。日本は独ソ両国の間に入って、戦争を止めさせよう外交的努力をすべきだ。もしヒトラーがそれを聞かぬなら日本は英国に荷担すると脅し、ソ連との戦争を中止、和解さすべきである」

しかしながら、同年10月、東條内閣が成立してしまいました。東條首相は日米開戦にあたり、ルーズベルト大統領からの最後通告、つまり日本との妥協のための希望を天皇にも国民にもひたかくしにして握りつぶし、戦いに突入したのです。ルーズベルトの妥協案は、戦後の調教裁判によって明らかにされました。

.. 2021年03月06日 06:50   No.2138006
++ 仲條拓躬 (社長)…564回       
それは、「(1)三国同盟を廃止すること。(2)北満に集中させる兵力を減少してソ連に脅威を与えざること。(3)シナ本土及び仏印より撤退すること」の三項であり、石原莞爾の主張と同様な趣旨のものでした。兵学者石原莞爾の状況判断に誤りなく、第二次世界大戦は石原莞爾の予想通りになってしまったのです。

「偉大なる予言者」といわれていた通り、石原莞爾の洞察力に計り知れざるものがあったといえます。「石原莞爾の意見を採用していたら、第2次世界大戦のあのような惨渦は避けられたであろう」と、石原莞爾を知る奥田浩一郎氏は今も語り合っています。また今は亡き横山巨平氏の『秘録石原莞爾』でも語られています。

.. 2021年03月06日 07:02   No.2138007
++ 山田和秋 (大学院生)…110回       
スウェーデンの現況と一部訂正について
 └──── (たんぽぽ舎ボランティア)

 2月27日発信【TMM:No4138】にて、船瀬俊介氏著書の紹介記事を
書きましたが、基本的データが昨年以前のもので、一部現状とは
異なっていました。おわびして訂正します。

 以下、スウェーデンの現況について記します。
 特に、スウェーデンはコロナ渦発生当初から感染させることによる
「集団免疫」獲得で成功したとアンデルセンシュ・テグネル博士の
言葉を記しましたが、現況では、感染者数が増加、国王カール16世は
「医療政策は失敗」であることを認め、マスク着用、会食制限などの
規制をスタートさせた。

.. 2021年03月07日 08:18   No.2138008
++ タク (社長)…1740回       
アメリカ追随の世界の態度
日本は何をやるにも親分のアメリカの顔色を伺って行動しています。中東情勢もイスラエル問題も米国が握っていると言っても過言ではありません。さて、日本はこれから先、どのような判断をすればいいのであろうか。過去を振り返ってみます。

1995年におきた地下鉄サリン事件では、テロ事件としての認識はなく、刑事事件としての取り扱い、捜査によってオウム真理教による組織的な犯行と断定し、有罪を導くという対処方法をとったので、全容が明らかになりました。

地下鉄サリン事件で日本の行ったように、米国の911事件も刑事事件として捜査していたなら、米国は今のような疑惑をもたれなかったかもしれないのですが、そもそもブッシュ大統領は事件の解決は、望んでいなかったように思えます。

テロ実行犯が逮捕され有罪になって問題が解決してしまうと、テロとの戦いを政治の道具として使えなくなるから、米国は911事件の真相究明を進めていないのです。結局、米国は、言いがかりをつけて、イラク侵攻を行ったので、フランス・ドイツ・中国・ロシアの国々が反対したのです。

だが、日本は、イギリスのブレア、スペインのアスナール、ポーランドなどと一緒に米国側についたのです。米国を支持した国々では、国民の世論としては、侵攻に反対する人の方が多く、特にスペインでは国民の90%前後が侵攻に反対していたのです。

開戦後、イラク情勢がでたらめで泥沼化し、イラクが国家としての統一が失われる可能性もあり、イラク侵攻が完全に踊らされ失敗が濃くなり政権が転覆させられるような事態になったのです。スペインの列車テロ事件は、投票日を3日後に控えたラッシュ時の通勤電車など、3カ所で同時に爆弾が爆破して、大勢の方が死亡しました。

スペイン政府は、事件発生直後から、スペイン北部のバスク地方の分離独立を希望する過激派組織の犯行だと、断定したのですが、政府の発表とは裏腹に、マドリード郊外で見つかった盗難車から、爆弾の起爆装置とコーランのテープが発見され、アルカイダの犯行であることが分かったのです。

.. 2021年03月08日 05:40   No.2138009
++ タク (社長)…1741回       
テロ事件当日の夜には、国民の4人に1人、約1100万人が街頭に出て犠牲者に哀悼の意を表明し、政府の嘘を問題にしたのです。それをみた、ポーランドの大統領が、イラクに大量破壊兵器があるとポーランドは米国に騙された結果、イラク侵攻に賛成したのだと言い出し、これまでの親米的な態度から一転して米国批判を行いました。

イラク侵攻の直前、米国のラムズフェルド国防長官は、イラク侵攻に賛成してくれるスペインやポーランド、イギリスなどを新しいヨーロッパと呼び称賛し、フランスやドイツなど侵攻に反対している国を古いヨーロッパと呼んで非難していたのです。

だが、スペインとポーランドの転向により、EU内で親米的な態度を続けているのは英国のブレア首相だけとなりました。アジアでも、韓国が予定していたイラク派兵を中止しました。スペイン政権交代後、世界の風向きの変化を受け、韓国政府が態度を変えたのです。

世界の政治家にとって、イラク侵攻時には国益が見えた米国追随という態度が、急激に危険な賭けに変化していることが感じられます。日本国もそれを感じているはずでしょう。日本国までもが、米国から離れていくようでは金ずるがいなくなってしまうため、日本海へイージス艦派遣を決定したのではないかと思うのです。

.. 2021年03月08日 05:53   No.2138010


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