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■--石原莞爾のDVD
++ 伝 (大学院生)…111回          

「激動の時代を生きた天才・石原莞爾」に貴重映画フィルムが収録されている。部分的に見たことがあるような気がするのだが、石原莞爾の音声ははじめて聞いた。自分の中で勝手なイメージがふくらんでいるせいか、姿も声も東北のおっさん?という感じだなと思った。親しいふつうの人という感じである。同志には半分恐縮?したような感じでおじぎ(会釈)をしている。しかし会話の間にうつされる山々が希望の色にかがやいているように感じる。(無論白黒映画である)。こういう映画がいながらに見られるということは技術の恩恵である。技術もこういうことに使われてこそ値打ちを発揮すると思った。昨年の感想だが、石原莞爾に興味のある人は一見の価値があると思って書き込む。在庫があるかないかは知らない。
.. 2010年03月20日 21:13   No.213001

++ 伝六 (大学院生)…105回       
言葉がよく聞き取れないのだが、和田けい(つよしと読むのかも)に対する応対について、おじぎと書いたのだが、ふつうの意味のおじぎではない。かつての部下だったせいもあろうが。おじぎはおじぎでも頭をさげていない。かえってもとより頭をあげているかもしれない。まさに将軍である。二度目のおじぎはそういう感じでないが、よくみると、頭をさげているわけではない。しかし、半分恐縮したというか、そういう言葉ではあらわせない何かがある。
.. 2010年03月21日 16:57   No.213002
++ タク (社長)…309回       
戦時中、石原莞爾は東条英機体制に代わることは出来ませんでしたが、東条英機体制の敵となり、犠牲者として名声があがりました。予言者として喝采を浴び、歴史の変化によって、過去の発言の正しさが実証されたように思われたので、日米両国のジャーナリストも、日本の戦時行政のために積極的支持が禁じられてきた多くの追従者たちも、熱心に石原莞爾の言葉に耳を傾けました。新たな言論活動の機会を利用して、石原莞爾は終戦の数週間後には遊説を始めています。

石原莞爾が特に時間を割いたのは、東北地方の聴衆を前にして、日本の敗戦の原因について話しので東北なまりのままお話されたのではないかと思います。また、極東軍事裁判でも東北なまりで皆様を笑わせたというエピソードもございます。公演では準備も整わないのに戦争へ歩み始めた「東条軍閥」を批判しました。1945年9月中旬、山形県酒田市で開かれた大会には、全国各地から2万人以上もの追従者が集まりました。10月に京都で行われた「新日本の建設」と題する演説は、公の発言のなかで、古くからのテーマについても多く語ったが、新たなテーマに若干言及しました。道徳的新生、科学に基づく強化という発想、東亜連盟の原則論でした。

石原莞爾はまず日本の敗戦の最大の原因は道徳にあり、将来の再建の鍵となるのも道徳であるという見解を述べています。戦後日本の道徳的崩壊をもたらした責任は、近代日本の体制に侵入した西洋の物質主義という不純物にあるので、アジアの路線に沿った日本の新生こそ、日本の再建に不可欠であるというのです。国家再建の目標は、やはり最終戦争における勝利でした。しかし、日本がその戦いに備えることは、太平洋戦争での敗戦で全く不可能になってしまったのです。

.. 2010年03月24日 08:28   No.213003


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