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昭和16年7月、近衛首相は内閣総辞職を行ないました。対米強硬派の松岡洋右外相をしりぞけ、豊田貞次郎を外相に任命、第三次近衛内閣を組織して、アメリカとの妥協をはかりましたが、時すでに遅く、 アメリカからの経済断交の通告を受け、わが国は石油を輸入する途を完全に閉ざされてしまったのです。
ところが、東條陸相が米英との妥協を拒否したため、石油入手の望みが絶たれたのですが、はじめ米英との戦争に反対を示していた海軍首脳部も、いつのまにか主戦論に変わってしまったのです。昭和16年9月6日、御前会議が開かれ、「11月中旬までに、日米交渉の妥協が成立しなければ開戦する」という重大なる決定を行なったのです。席上、天皇は、「いかなる手段であっても日米交渉の妥協を図るよう」 と言われました。
成り行きを憂慮した石原莞爾は10月に上京し、陸軍省兵務局長の田中隆吉少将に面接し、「軍部は石油資源獲得の必要から、蘭印を日本の勢力圏内におさめるため、南進を企図しているようだが、それは結局、米英との戦争を企図することだ。石油はアメリカと妥協すれば、いくらでも輪入できる、石油のため一国の運命を賭して戦争するとなれば、それは馬鹿者だ。たとえ南方を占領したところで、米英を敵としては日本の現在の船舶では、石油もゴムも米も日本内地へ輸送できるものか」と罵倒しました。
そして、「ドイツの戦況を有利に判断しているようだが、冷静に観察すると、地形の違うバルカンも西部戦場も、同一戦法をとっている。またソ連戦線でも戦法に変化なく、千篇一律の観があり、これではドイツはとうていソ連には勝てない」と断言ました。
「もし陸軍が力もないくせにドイツを信頼して、米英相手に戦うとするならば、この上なしの危険なことだ。 君たちは極力、この戦争を阻止せよ」と迫り、日本海軍については、「ドイツがソ連に侵入して、あれだけの戦争をしているのは、日本の艦隊が健在で太平洋の護りを堅くしているためで、これがため、アメリカの太平洋艦隊と英国の東洋艦隊がハワイとシンガボールに釘づけされているからだ。」
.. 2021年02月16日 08:43 No.2125001
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