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阪神淡路大震災26年に思う 地質学者・生越忠(おごせすなお)さんと出会った年 └──── (たんぽぽ舎共同代表)
◎たんぽぽ舎は今より32年前=1988年(事務所は1989年開設)に東京・ 西神田で出発しました。 発足当時は、海のものとも、山のものともわからず、高い家賃の 事務所ゆえ、まわりの人の評判は「短い期間でつぶれる」と思われて いました。 そのたんぽぽ舎が、大きく飛躍できたのは26年前(1995年1月)の阪神 淡路大地震とその救援−ボランティア活動の一環として地震勉強会の 発足−地質学者生越忠さんとの出会いが、ありました。 生越さんは、たんぽぽ舎の初期の基盤を固めた地質学者−地震学者 であり、恩人でありました。
◎柳田が地震の勉強会・ツアー(現地見学)をやろうと思いたち、 生越さんに依頼しました。 第1回の勉強会に広瀬隆さん(作家)もみえた。勉強会は生越さんの 深い学識もあり、多彩な人々が集まり、月2回の密度の濃い研究会に なった。 私が事務局長として、人を誘い、ツアーや大集会の諸事務は 鈴木千津子さん(共同代表)が担った。 菅井益郎さんが会長になり、会報もキチンと発行された、担当は 杉森弘之さん(現、茨城県牛久市議会議員)。中身の濃い4頁の ニュースだった。 発足した地震研究会は神戸の地震の現地見学や地震と原発の大集会 (1−3回全国から200人)をひらいた。 これらの活動の中で「地震国日本に原発の適地はない」のスローガン も生まれた。 (※「地震、環境、原発研究会」の活動については、たんぽぽ舎30年− 反原発の歩みと展望−の107頁に杉森弘之さんが執筆しています。 ごらん下さい)
◎今、私たちは日本原電の東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働反対、 廃炉にせよ−42年の老朽オンボロ原発だから−の活動を すすめています。 「地震の巣」として有名な茨城や関東の地震の調査研究の重要性が 増しています。 日本原電社長の発言=「2022年12月に東海第二原発の再稼働」を防ぐ ためにも知恵と力を合わせよう。 阪神淡路大震災26年に当り、「地震国日本に原発の適地はない」の スローガンを生かそう。 2011年3月の東電福島第一原発大事故−放射能の被害−をニ度と くり返さないために。
.. 2021年01月29日 05:24 No.2111001
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