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s ある意味で石原莞爾が、クラウゼヴィッツを越える戦略家、軍事科学者としての真骨頂を示したのは、戦後、石原莞爾が提示した非武装国家日本の安全保障についての構想でしょう。石原莞爾は戦時中、すでに自分の最終戦争論の破綻について自己批判していた。
それは、自分の構想を挫折させた原因ないし責任を、反対勢力に求めるのではなく、早過ぎる日米の軍事対決、大東亜戦争が起こったという事実こそ、自分の構想の未熟性を示すという文脈からのものでした。そして、その自己批判は、戦争の限界についての透徹した見通しとなっています。
それは「戦争の犠牲いよいよ大にして武力の効果ますます小となる」という言葉に要約されます。すなわち、戦争に投入されるエネルギーの漸増につれ、その武力的効果は漸減するという一見、逆説的な論理ですが、具体的にはいくら国土や施設が破壊されても、人間の頭脳が残っている限り、再建容易ということでした。
つまり石原莞爾は、開戦と同時に、終戦後の日本の再建に思いを馳せていたのです。戦後、石原莞爾は国民に対して、最終戦構想の誤りや東亜連盟構想の欠陥を自己批判するとともに、同志に対して次のように述べていました。「もし、最終戦争が起こるとするならば、その惨害は勝敗を決せられないほどであろう。」
「人間は戦う気力がなくなり、何もかも嫌になり、精神的にまいってしまうだろう。世界は強国、大国、弱小国などの差別もなく、スタートに戻ってしまう。その惨状をできるかぎり忍耐し、すべての人たちが納得できる人道主義をとなえた国が、世界一家の次の文明へと人類を導くであろう。そのためにも国が精神的にも高度になっていなければならない。今のままでは、日本がなるとは限らない」
と、最終戦争の様相と、それに否応なしに巻き込まれる多くの国々の運命と、その後に来るべき世界の在り様についての自分のイメージを展開しています。だが、石原莞爾の言いたかったことは、最終戦争はあくまでも選択肢の一つでしかなく、人々は全力をあげて、この最悪の選択を避ける方途を考えるだろうが、石原莞爾自身もその探求に残る生涯を賭けるという意志表示でありました。
.. 2021年01月26日 08:29 No.2110001
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