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戦史化の児島襄氏は、その著『参謀』の第一部で、近代日本の陸海軍を代表する15人の参謀をとりあげて、卓抜な論評を加えていますが、その15人のトップにとりあげられたのは石原莞爾でした。確かに石原莞爾は『参謀』のトップを飾るにふさわしい天才的な参謀というよりも、昭和陸軍最大の戦略家でした。
明治の生んだ偉大な戦略家として石原莞爾と肩を並べられるのは、児玉源太郎、宇都宮太郎がいるくらいでしょう。この3人に共通するのは、日本の生き残りについての明確な歴史的ビジョンを持っていた事でしょう。
児玉源太郎、宇都宮太郎の抱いたビジョンについては機会を改めて述べることにして、石原莞爾ですが、彼は参謀、戦略家であると同時に軍事科学者でした。科学者であったがゆえに、石原莞爾は、戦争観は極めて論理的でした。
戦争についての石原莞爾の理論をささえる日本の柱は、その独自な「戦争進化論」と世界統一。戦争のない平和な民族共存栄的世界の形成という文脈での必然性についての文明論的洞察です。そして、その結論が石原莞爾の名を不朽にした「最終戦争論」でしょう。
石原莞爾の最終戦争論は、戦争の信かと世界との統一との、それぞれの連動―軌跡の合致点とされています。この石原莞爾の軍事科学的予測が的中しなかったのは、陸軍のアンチ石原莞爾の梅津美治郎、東条英機、武藤章らが強引に起こした日中戦争と、その結果としての早すぎた日米戦争のためであったとされています。
だが、石原莞爾は、敗戦後、自分の最終戦争論の不完全さを認め、核兵器の出現によって、最終戦争はハードウェアの戦争ではなく、文化、つまり石原莞爾によれば科学とイデオロギーないし宗教というソフトウェアの戦いに転化したと、従来の見解を大きく修正しています。
つまり現代風に言えば、民族・人種的アイデンティティーの対立を止場した地球的な平和共存的アイデンティティーの達成を目指す文化戦争こそ最終戦争といえるものではないかということです。そして、その過程においてこそ日本民族の持つ文化的アイデンティティーの質の高さが試されると考えたのです。
.. 2020年11月13日 08:52 No.2074001
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