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■--超俗の人
++ 伝 (大学院生)…106回          

チョー俗でなくて、超越の超俗である。石原莞爾は連隊長のときに、できるなら自分は一生連隊長でいたいと言ったそうだ。これはその時の気持ちであって、変化したかもしれないが、地位を得たいということはどうも思わなかったらしい。ただ、理想を実行するために地位を得たいと思ったことはあるようだ。「いっさい夢にござ候」という本を読んでいたとき、本間将軍が富士子夫人に「・・大将の夢は斯くて果敢なく破れたりと雖も・・」と手紙に書いているのを読んで、詩人将軍でもこうかと思って、石原将軍のことを思った。もちろん私の中の石原将軍であって、実際はどうだったかをくわしく調べたわけではない。
.. 2010年01月03日 13:23   No.206001

++ タク (社長)…301回       
石原莞爾は、戦争の嫌いな軍人だった。「私は、戦争は嫌いだ。頭の禿げた自分が死ぬのは何とも思っていないが、若い人たちを沢山殺し、妻子のある兵士たちを殺すのは忍び難い。」これが石原莞爾の心情でした。この言葉は石原莞爾が連隊長をしていた仙台で言った言葉です。

石原莞爾が参謀本部の作戦課長をしていた当時、石原莞爾と同期で親交のあった陸軍省の軍事課長をしていた町尻量基大佐は、石原莞爾の性格をこう評しています。「石原は戦争の嫌いな軍人だよ。あの男は、99%勝つ見込みがないと戦争はしないよ。よくよくのことでもない限り、戦争をしたがらない。」

石原莞爾は兵を敬愛していました。この敬愛の念は石原莞爾が少尉時代に過ごした会津若松時代からです。石原自身「銃剣術の猛訓練によって養われたものは、兵に対する敬愛の念であった」といっています。いつの場合でも、石原莞爾の戦法は、兵が主であり、将校は従であった。「兵を疲らせるな」「兵を大切にせよ」石原莞爾の注意は常に兵士にあったのです。「兵を敬愛する」、正義に反する無謀な戦争は石原莞爾には出来なかったのです。

.. 2010年01月10日 12:20   No.206002


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