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昭和10年20年代の生まれの方が真実の歴史がわからずに「日本人が悪い日本人が罪もない中国人を殺した」と米国を始め近隣諸国から教育されてしまい、その親がまた自分の子供に洗脳されたことを話すことが一番悪い教育だと学者は語っています。
時間がゆっくりと流れ、広い空間が残されている世界には、まだ自律と機動性を重んじていられる余裕がありました。だが、テクノロジーの進歩により人々が誰とでも会話が出来、ビジネスや社会活動を凄まじいスピードで片時も休みなく動く世界では、物事の実行に要する時間は人と人との距離もなきに等しい状態となりました。
それが初めて認識されたのは、1945年、アメリカ軍が広島と長崎に原爆を落としたときだったのです。人類は突如、自らを滅ぼす事の出来る力を手にしたことに気付いたのです。そして我々はたった1つの地球に暮らしているのだと実感し、1人1人が安心して暮らせるかどうかは個人の問題ではなく、人類全体の問題だと思うようになりました。
どうすれば個人や国家の自律が確保できると考える事自体、核のある世界ではもはやピントのずれた甘い考えに思えたのです。60年代には宇宙から見た地球の写真が初めて撮影され、自律と機動性を尊ぶ安心の概念に新たな一石を投じました。
人間は、広大な無限宇宙の片隅で、小さな星を回る実に小さな惑星に寄り集まって住んでいるに過ぎない事を、写真を見て思い知らされたのです。宇宙から地球を眺めてみると、大宇宙のごく狭い場所に押し込められた地球という、ただ1つのコミュニティがあるだけでした。
我々が「安心」を考え直さざるを得なくなったのは、工業化時代に入って化石燃料を燃やし続けてきた為に地球が温暖化していると解った時かも知れません。人間は化石燃料時代の大半を通じて、地球の生態系を囲い込んで商業の場として利用し、個人の集団が抱く自律と機動性の実感を高めようとしてきました。
今度は地球が、人間を自らの消費した化石燃料の残骸の中に囲い込み、全近代をかけて我々が必死に求めてきた自律と機動性を徐々に奪い取ろうとしています。我々は今、科学とテクノロジーと商業における一大革命のど真ん中にいるのです。この革命は理論上、世界中の人間と生物をひとつながりのネットワークで結ぶ事が出来るのです。
.. 2020年10月14日 05:19 No.2048001
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