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21周年を迎えて追悼と抗議(9/30) 現場労働者に罪を着せ、国と裁判所は真相を闇に葬り、 | 幕引きをした | 真の原因究明、放射能被害、被ばくの実態の調査、検証もなし | 事故の教訓生かさず、被害者切り捨て、 | 東電福島第一原発事故につながる └──── (たんぽぽ舎ボランティア、 元JCO臨界事故調査市民の会)
◎ 1999年9月30日午前10時35分頃核燃料加工施設、JCO東海事業所 で臨界事故が発生しました。 当時の動力炉・核燃料開発事業団(現在は「日本原子力研究開発 機構」。以下この文章では「動燃」とします)の高速実験炉「常陽」に 使用する濃度の高い(原発の4〜5倍の濃度)のウラン燃料を混ぜて いる時でした。臨界は翌朝まで約20時間続きました。 大量の中性子線等を浴びて、作業に当たっていた3名の作業者の内、 大内久さん、篠原理人さんは5か月後と7か月後に死亡。もう一人の 横川さんは重傷でした。 JCOの社員や東海村の住民等、政府の発表だけでも667人が被ばく したとされました。350メートル圏内の住民は東海村の村長の指示で 避難し、10キロ圏内の31万人は屋内退避となりました。3・11東電 福島第一原発の事故以前だったので当時日本の原子力史上最悪の 事故でした。
◎国の調査委員会は3か月後に事故の責任は 「すべて作業者」にありとした最終報告書を出し解散
このように重大な原子力・核事故だったにもかかわらず、国の事故 調査委員会はその年の12月、事故後わずか3か月後に最終報告書を 出しました。 その結論は、「事故の直接の原因はすべて作業者の逸脱行為にあり」 とする、臨界の何たるかも知らされていなかった、末端の労働者に罪を かぶせるものでした。 たんぽぽ舎に集まっていた私たちはこれに納得できず、物理学者の 槌田敦さんを中心にして「JCO臨界事故調査市民の会」を立ち上げ、 真相究明に乗り出しました。 そしてJCOにウラン燃料を発注した当時の動燃が濃縮ウラン溶液40 リットルをロット毎に均一化するようにという無理な注文をしたこと が、事故の原因であろうという結論に達し、本にまとめ出版しました。 (注:『東海村「臨界」事故 高文研刊)
.. 2020年10月10日 07:48 No.2045001
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