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■--先ず生きろ
++ 仲條拓躬 (社長)…490回          


論文「われらの世界観」は、石原莞爾が極東軍裁判前に各国の検事たちから入院先の病院で尋問を受けた後の7月8日に病院で書き始め、昭和22年1月の大手術前に若い同志たちに、西山農場の自宅で講義したものです。石原は膀胱癌の大手術前で、死期を感じていた。にもかかわらず、寒い雪の夜7時から9時まで、石原は丹前を羽織った姿で講義した。

当時、酒田の旧制中学校を卒業して間もない仲條立一は、のちに酒田法廷に出かける石原莞爾が乗ったリヤカーを引き、月見川を渡った1人です。石原莞爾の講義を受けたときには18歳だった。仲條立一はその夜のことを、「石原莞爾平和思想研究会」の会報誌にこう書いています。

「私と今は亡き小松健作君と共に、『われらの世界観』について石原先生に御講義を受けたのは昭和22年1月初旬頃で、2日にわたっての夜だった。1晩目は私がメモを取るのに精いっぱいの語り口で、しかも要点を分かりやすく明確に教示された。時間は夜7時から9時過ぎくらいだったと思う。何せ先生と直接対面してお教えを受けるという過分な幸せと緊張で第1日目は無我夢中のうちに過ぎたといえる」。

「次の日は外寒厳しかったことを覚えているが、しかし先生は時間通り講義をお始めになり、30分くらい話されましたら『一寸待ってください』と仰せられたので、先生のお顔を拝見したところ、キット歯を食いしばり顔面に汗を時に痛みを堪えられているご様子でした。奥様が『今日は冷えますし、ワクチン注射をされたのですから』と心配そうに背中をすすっておられました」。

「暫くの間じっと耐えられた先生が『ああ、やっと出たよ』といわれては羽織られていた丹前の間から瓶を出し振って見せられました。そこには細長い形をした血の塊が浮いており、その割竿程度の太さの血塊が狭い尿道を無理遺り出ると思うと、如何ばかりのお苦しみかと絶句しました」。

「私等は先生の病の苦しみを目のあたりにして、とてもお言葉に甘えてお話を伺うわけにはいかないと、2晩目はそれでも続けようとなされる先生を、奥様とともにお止めした悲痛な夜の思い出があると同時に、『マッカーサーが帰国後は、国民党は東亜連盟党として堂々政治に乗り出す。』」
.. 2020年10月08日 06:46   No.2044001

++ 仲條拓躬 (社長)…491回       
「また『原爆の出現こそ、戦争が戦争を否定する時代に突入したことを示唆する。世界に先駆けての戦争放棄の憲法を誇りとして、新文化を想像するのが、天から与えられた使命である。』と強調されたお言葉が今でも忘れられずに心に響いてくる」。

この論文は、第1章「敗戦によって強制させられるもの」、第2章「新日本の進むべき道」、第3章「建設方針」、第4章「わが党の主張」、第5章「運動方針」で構成されています。この中で石原莞爾は、「日本は生存の道を絶たれんとする。四辺を見渡せば8千万の同胞は荒廃した4つの小島に引き締めあっている」。

「耕地面積に対する人口密度は世界一であるのに、天然資源は貧弱。台湾、朝鮮は元の枝に帰っていった。南樺太はあっさりソ連の領土に編入され、千島列島も濃霧の彼方に見えなくなった。かつてこの近海は日本人の生活に欠くことのできない大漁業でもあった。食糧不足、失業者の激増、インフレの深刻化は急速調である。しかし我等は何をさておいても先ず生きなければならぬ」。

ここで国民皆農、都市解体、農工一体、簡素生活を建設目標に立て、「一刻も早く都市なき新国土を建設することが、あらゆる建設の根元である」と、都市生活を捨てて農耕に従事すべしと述べる。早瀬利之先生よりこの文面を石原莞爾平和思想研究会同志へ伝えるようにと指示がありました。

.. 2020年10月08日 06:52   No.2044002
++ タク (社長)…1545回       
新潟県とは
長い海岸線を持つ新潟は、福井、富山も「越」で呼称されていますが、越後は大阪や京都から最も遠い地としてとらえられていました。「越」とは「辺境の地」「落ちぶれた人々の地」の意味です。『古事記』によれば、「北日本は敗者の集まるところ」と記されています。

新潟は、年間平均83日が雪、103日が雨という地理的条件のもとで生活しています。雪質は長野や北海道のような粉雪ではなく、水分をたっぷり含んだベタ雪です。しかし最近は村おこしの一環として、雪を商品化する運動が始まっています。

明治、大正を通して、女性の小学校への入学率は全国で最低でした。新潟では、成人した女性は働くという風習が根強いのです。富山では公立大学への入学率がトップですが、新潟の女性の入学率は低いです。女性に対する教育不熱心は伝統的なのです。

コシヒカリとは「越の米」の意味です。新潟が一番有名ですが、福井に行くと、「福井がコシヒカリの開発の地だ」と主張するし、富山に行けば「新潟人が富山の米を食うと富山のほうがうまいという」と、「越」3県で主張しあっています。

新潟では、「入った金は使わない、出さない」という金銭感覚が根強いです。ところが、たわいもないことに金を使い、散財する習性もあると言います。これは米の単作地帯ということに起因するのかもしれません。収穫の秋にどっと金が入ると、この時とばかりに人が変わり、大盤振舞いしてしまうのです。

黒崎町は国内有数の枝豆の産地です。とりわけ小平方地区でつくられる枝豆は香ばしく、ビールのおつまみに最高といわれています。もともとは山形鶴岡市のだだ茶豆が祖先で、これは門外不出でありましたが、栽培技術を公開してもらい、新潟を代表する特産物となったのです。

「へぎ」とは長方形の盆のような器をさします。これに人数分のそばが盛られます。メニューを見ると、五合そば、七合そばとあるのが特徴です。新潟には昔から冠婚葬祭の最後にへぎそばを食べるという風習があり、それが定着しました。つなぎに小麦粉や卵、山芋などを使わず、海藻を用いるのが特徴です。うっすらと緑がかかっていて旨いです。

ちなみに新潟の乾杯はビールではなく地酒で乾杯します。条例で決まっているそうです。第42回プロが選ぶ「日本のホテル・旅館百選」の総合順位の2位「白玉の温泉・華鳳」(新潟県・月岡温泉)で乾杯は地酒でした。

.. 2020年10月09日 05:56   No.2044003
++ 仲條拓躬 (社長)…492回       
石原莞爾リヤカーに乗って出廷
東京駅を発った八輌編成の特別寝台列車が仙台、青森、秋田経由で酒田駅のプラットホームについたのは、翌日の7時3分です。この特別列車は皇室御用列車で、食堂車輌、応接室もあります。また各車輌が寝台になっていて、裁判中はホテル代わりに利用しています。

乗客は極党軍事裁判調査委員会が派遣したエリア・ノース・フロスト判事、ダニガン検事、国際検査断調査員のエリック・フライシャー検事、弁護側は、板垣征四郎担当のマタイ弁護士、星野直樹と南次郎担当のジョージ・ウィリアムズ、土肥原賢二担当のフランクリン・ウォーレン弁護士、鈴木貞一担当のレプイン弁護士です。

日本人弁護士は、板垣担当の弁護人、南次郎当で今回の首席弁護人の岡本敏男弁護人、大川周明担当の金内弁護人。それに法廷執行官のハーレク中尉、言語裁定官のアートピー・ドレター少佐。その他裁判連記者、執行官、フランス料理のコック数名とボーイ、それに日系二世の通訳間たちです。

報道関係はAP、INS、米軍紙『スターズ・アンド・ストライプ』紙、中華民国・中華通信社、中央日報、全国紙では朝日、毎日、読売、東京の記者、カメラマンなど総計23名です。東京では列車に乗れず事故死する人も出る終戦直後にして、豪華な列車旅行でした。一行を本間市長が出迎えました。

一行は酒田駅から迎えのバスで商工会議所についた。2階に上がると、ハガードの指示でレイアウトしたテーブルと椅子を確認しました。判事のノース・クロフトは、並べられたテーブルと椅子を確認すると、小さく頷きました。

彼にとっては最も小さな法廷だったのですが、明日から争われる尋問と、まだ見ぬ石原莞爾という、たった2万の兵で22万の張学良軍を破って満州全土を征服した軍略化に、早く会いたいものだと思った。判事らの一行は、その後、本間市長の案内で、日本海を見下ろす湯の浜温泉に出かけ小休止し、温泉気分と料理を味わい酒田駅へ戻りました。

尋問委員や判事たちが湯の浜温泉に行ったのを見届けると、日本の記者たちは石原莞爾にあって取材したくてタクシーをチャーターし吹浦に出ました。そこから月光橋を渡り、砂山を歩いて西山農場へ急ぎました。すでに午後4時前でした。

.. 2020年10月10日 08:40   No.2044004
++ 仲條拓躬 (社長)…493回       
石原莞爾はリヤカーに乗り、酒田へ出かけるところでした。ベルリンで買ったウール地でつくった自称ドテラに羽織を着、頭には古い戦闘帽をかぶっていて防寒しています。顔はこけて細く、青白い。顎には白い山羊ヒゲが伸びていました。

開腹手術から3か月たっていましたが、尿の出が多く、15分おきに鮮血混じりの尿を出していました。左手首には大事にしている古い腕時計を巻き、左腕を処置器具の入ったトランクの上に預けるようにしていておいている。この日も38.9度近い熱が出ていて、寒気がした。尿瓶は膝にかけた毛布の下に隠し、いつでも用たしができる状態でした。

出発前に、中央日報の張記者が、「あなたは中国語が話せますか?」と訊いた。石原莞爾は張記者を見上げると、鋭い目で見つめて、得意のジョークで、「まあ、中国語より日本語のほうがよくしゃべれる」といった。この一言で、記者たちはどっと笑い、その場が和んだ。カメラマンたちがシャッターを切る。そのたびに、石原莞爾は話すのを中断しました。

石原莞爾を乗せたリヤカーは、旧制酒田中学を出たばかりの仲條立一と小松健作にひかれて、月光川にかかった木製の月光橋を渡った。風が吹き、人数も多かったせいか、木橋がぐらっと動いた。付き添いの看護婦の小野克枝は父親が福島県棚倉の医者で、一家で石原莞爾の病を見ていました。

小野克枝は山形新聞の記者に聞かれて、石原莞爾の病状をこう語っています。「療養第一です。好きな読書をやる気力も見えないようです。医療としては、乳嘴腫のワクチン注射、主治医蓮見博士特製剤になる肝臓ホルモンの注射など、それぞれ日を違えて5日目毎にやっています」。 

「腹部切開の大手術による貧血がひどく、長時間の会話などできません。昨日も血尿が出たほどですから」その体で、リヤカーで月光橋を渡り、酒田警察署長が独断で差し向けた署の車に乗り換えました。明日からの長い尋問に備え、酒田ホテルに入ったのです。早瀬利之先生よりこの文面を石原莞爾平和思想研究会同志へ伝えるようにと指示がありました。


.. 2020年10月10日 08:50   No.2044005
++ 仲條拓躬 (社長)…494回       
石原莞爾と連合国軍との闘い
石原莞爾を語る時、極東軍事裁判酒田法廷の連合軍に対しての行動は感激するものがあります。一方的な連合国の歴史観の誤りを指摘し、国際情勢の問題点を提起し、連合軍の民主主義に反することを相手に伝えました。占領軍を恐れる日本人が多い中、石原莞爾は違っていた。石原莞爾は極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事と既に会っていたのです。

戦後初の内閣である東久邇宮に内閣顧問を委嘱された石原莞爾は、難病と東亜連盟運動に専念する理由からこれを拝辞しましたが、東久邇宮に、国民総懺悔など石原莞爾の考えを伝えた後、東京の逓信病院に入院したのです。

石原莞爾は、病院で連合国側の検事の尋問を受けましたが、横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリして謝って帰ったといいます。翌日、一筋縄ではいかないと考えたのか別の検事が尋問しにきました。検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねたのです。

すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と。

検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言ったのです。

次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った」。

「もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた」。

.. 2020年10月12日 05:55   No.2044006
++ 仲條拓躬 (社長)…495回       
「それから貴国らを大先生として、日本は泥棒のような侵略主義を習い覚えたのだ。いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と帝国主義の歴史をユーモアなど交えながら語り、米国への批判を行なったのです。短い言葉で、よく本質をとらえています。

昭和22年酒田市において石原莞爾の訊問が行われる事となりました。なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあったと思うのです。酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた3人の内の1人である私の父親・仲條立一は、当時の状況をこう語っているのです。

.. 2020年10月12日 06:04   No.2044007
++ 浅野健一 (部長)…185回       
学術会議任命拒否はデモクラシー(人民統治)の蹂躙
 |  批判されても撤回せずの強行突破は特高体質
 |  「候補6人の氏名見ずに拒否決定」は違法
 |  「グループインタビュー」奇策を拒否し広報センター設置を
 |  たんぽぽ舎メディア改革 連載45 (上)(2回の連載)
 └──── (アカデミックジャーナリスト)

◎ ますます顔が蛇(蛇さんごめんなさい)のようになってきた。
 共同通信の尊敬する2年先輩の辺見庸(秀逸)氏は9月16日のブログで
菅義偉首相について、「特高(特別高等警察)の顔」だから嫌いだと
評しているが、菅氏の眼は、ロシアのプーチン大統領や私が特派員
として滞在したインドネシアの故スハルト大統領(1998年に失脚)ら
独裁権力者の眼によく似ていると思う。
こちら

◎ 菅首相の5日と9日に行われた内閣記者会限定の「グループインタ
ビュー」での菅氏の顔はますます特高の顔になってきた。9月末以降、
日本学術会議に対してやっていることが、まさに特高の手法だからだ。
 菅首相は9日午後4時半から官邸の一室で行った2度目の「グループ
インタビュー」も実に、けったいな風景だった。だだっ広い部屋に奇妙
な位置関係で菅氏と記者が座っている。菅氏のテーブルの上だけに
ブーケ(花)がある。

 官邸でのメディア対応で、なぜ花が必要なのか。冠婚葬祭ではないの
に、趣味が悪すぎる。この取材対応では、記者側が事前に出した質問
事項に官僚が回答を用意しており、その台本を隠すために置かれているの
だろう。
 この稀有で異常な取材対応は、内閣記者会(永田クラブ、官邸記者
クラブ)常勤幹事社(大手19社)からインタビューを申し込んだ報道
機関が順番に3社合同でインタビューし、他社は傍聴・報道可とする
という方式で行われている。申し込んだ順に実施しているとされるが、
本当かどうか不明だ。

.. 2020年10月13日 19:30   No.2044008
++ 浅野健一 (部長)…186回       
◎ IWJの岩上安身代表のレポートや毎日新聞(笈田直樹記者)の
記事によると、9日に質問したのは毎日新聞、朝日新聞、時事通信の
3社。5日は読売新聞、日経新聞、北海道新聞だった。3社以外の内閣
記者会の常勤社は同じ部屋で傍聴。その他、常勤幹事社以外の内閣
記者会メンバーの地方新聞社、そのほか首相会見に事前登録している
専門紙・雑誌・外国プレス・ネット・フリー記者のうち抽選で選ばれた
10人が別室で傍聴した。
https://iwj.co.jp/
https://mainichi.jp/articles/20201009/k00/00m/010/281000c

◎ 菅首相が安倍晋三首相方式の記者会見(記者会常勤幹事社記者と、
官邸報道室に事前登録しているメンバーに限定)に応じないため、内閣
記者会が官邸報道室との協議で決めた妥協の産物なのだろう。菅首相は
前首相レベルの記者会見も開くつもりはないのだ。

 官邸での首相・官房長官会見は、4月7日以降、コロナ禍を理由に、
常勤幹事社19社の各社1人とその他のメディアから抽選で選ばれた10人
の計29人に限定していた。菅政権になっても、この制限は変わらない。
 菅政権は各種の「Go Toキャンペーン」を展開、社会経済活動の
活性化を促しているが、会見は緊急事態制限下で決めた規制を
変えない。
だいたい、キシャクラブ制度こそ、前例踏襲、既得権そのものだ。

◎ 菅首相の9日のインタビューでの学術会議が推薦した会員候補105人
のうち6人を任命しなかった判断について、「今回の任命について変更
は考えていない」「10月1日に99人を任命し、今般の任命手続きは
終了した」と言い切った。候補者の思想信条が任命に影響したかを
問われ、「それはない」と答えた。「法解釈の変更は行っていない」
とも強調した。(下)に続く

.. 2020年10月13日 19:35   No.2044009
++ 早川芳夫 (幼稚園生)…1回       
飯塚幸三被告の主張はあり得ないことなのか
 |  私の車の異常反応の経験
 |  車の異常作動は隠されている?
 └──── (江戸っ子三代目、メールマガジン読者)

◎飯塚幸三被告の主張はあり得ないことなのか

 メディアも世論も元工業技術院院長(経産省OB)飯塚幸三被告を
非難する論調でいっぱいです。
 彼は、「車の異常」を主張していますが、これと向き合おうとする
メディア、SNSは存在していません。
 しかし、私の経験から「車の異常暴走はあり得る」ことを述べて
みたいと思います。
 現在の車は、電子機器といっても過言ではありません。電気製品
です。
 サイドブレーキなどは機械的に行っていますが、アクセルブレーキ
などは電子的に制御されていて、アクセルを踏むと電気信号が燃料系
(ないしは電気系)に伝えられて、エンジン(モーター)が動くそう
です。そのため、ペダルは機械的ではなく、一種のスイッチだとの
ことです。

◎私の車の異常反応の経験

 私は、3年前に信号待ちをしていた時に、青信号に替わり、アクセル
を踏んだのですがエンジンはまったく吹き上がりませんでした。
焦って、何回もアクセルを踏んだのですがまったく反応しなかったの
ですが、何回目かに突然吹き上げ飛び出しそうになり慌ててブレーキを
踏みました。

 青信号で前に車がいなかったので大事に至らなかったのですが、
少し経ってから(1、2週間程度)後に同じ現象が起こり、この時は
二度目だったのでクラッチを外してから何度かアクセルを踏んでいた
らエンジンが吹き上げました。
 二度もあったので、すぐにディーラーに持ち込んで調べてもらい
ましたが、「そのような記録はない、乗って調べたが何の異常も
ない」とのことで何もせず返されました。

 車検を経て、昨年6月、今度は同乗者がいる中で同じ現象が起こり
ました。この時は、信号なしの本線に合流するところで、若干の上り
坂になっているところで、アクセルを強く踏んでも反応せず、何回目か
に突然吹き上げてすぐにブレーキを踏みました。今度は、同じ現象が
起こったので、クレームとしてすぐに(2日後)ディーラーに
持ち込みました。やはり前回同様に「機器にはまったく異常はない。
記録にはまったく残っていない。」とのことで、直す必要はないとの
ことでした。

 

.. 2020年10月13日 20:22   No.2044010
++ 早川芳夫 (幼稚園生)…2回       

 池袋事故(昨年4月)の起こった後でしたので、直せないと言うこと
では納得できないし、場合によっては池袋事故の二の舞となった可能性
がある。これはクレームとして持ち込んでいる。と迫って調べ
直させても異常がありませんでしたが、アクセル、ブレーキ系の電子
部品を全て交換させました。
 その後、車検を経ていますが、今のところ異常はありません。

◎車の異常作動は隠されている?

 このように、電子機器である車は、様々な異常作動が起こることを
知らなければならないと思います。
 しかし、それを公表すると主要輸出品である自動車企業や日本の車の
安全性神話に傷がつくから公表しないのではないでしょうか。

 飯塚幸三被告は、工業技術院OBですから、そのように隠されてきた
ことをよく知っているのかもしれません。
 彼自身の事故に、彼の責任がないかどうかは別として、車の側の
問題にまったく触れようとしていないことに私は大きな疑問を持って
います。
 記録がない、アクセルが踏まれていた、ブレーキを踏んだ記録が
ない、だから高齢者である飯塚幸三被告に全ての責任がある、という
のでは余りに短絡的でしょう。
 ぜひ、車の異常が起こりうることを知っていただきたく
お知らせします。

.. 2020年10月13日 20:29   No.2044011


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