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子どももデモに参加していました(1982年ニューヨーク) | 岩垂弘さん連続講座 | 第5回「原水禁運動の統一で空前の高揚」の報告 └──── (たんぽぽ舎会員)
◎9月14日(月)「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)で開催 されたジャーナリスト・元朝日新聞編集委員岩垂弘さんの講座「日本人 は核にどう向き合ってきたか 被爆75年、核廃絶運動を顧みる 第5回 原水禁運動の統一で空前の高揚」の報告です。 第5回の主な内容は、1963年に分裂した原水禁運動が1977年に 統一し、空前の高揚をむかえるまでです。
◎岩垂さんは「今年8月6日の広島はゴーストタウンのようだった」 という現地レポートから講演をはじめました。今年は敗戦75年、 被爆75年の記念すべき年だったが、この問題をメディアがこんなに 取り組んだ年はなかった。 しかし、運動の報道はなかった。なぜなら原水協、原水禁ともに オンライン集会になり運動が無かったからと。日本人が戦後一番関心を もってきた平和運動である原水禁運動が無かった、と残念そうに 語りました。
◎1977年の統一合意を「奇跡だと思った」と岩垂さん思ったそうです。 なぜなら原水禁運動の分裂以来、原水協と原水禁は共に天を仰がず、 同席もしない関係だったからです。1973年くらいから統一をめぐる 動きが出てきますが、いずれもとん挫してしまいます。 しかし1977年に、原水協理事長草野信男と原水禁代表森瀧市郎の 両トップの会談が実現します。その仲介をしたのは日本山妙法寺だった という裏話を紹介してくれました。 統一の背景には、運動の統一を望む国民の声と同時に、現在より強い 影響力を持っていた吉野源三郎、中野好夫ら当時の知識人の発言が あるそうです。
◎そして1977年8月3日14年ぶりに統一世界大会が広島で開催され、 1万3000人が参加しました。統一大会は3つのブロックで構成されて いました。原水協、原水禁、そして地婦連・日本青年団協議会・日本 生協連などの市民団体です。共同して署名運動を開始し、1978年の 第1回国連軍縮特別総会に参加します。
.. 2020年09月17日 06:50 No.2028001
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