|
アメリカは、2度の世界大戦の戦場になっておらず、アメリカの生産施設が無事で、ヨーロッパに大量の兵器を売り、戦争景気に湧く事になりました。戦争は経済で見ると巨大バブルで、戦争が続いている限り景気はあがりますが、戦争が終了すると需要が落ち込み、一気に不況となります。
第一次世界大戦が終了した後、アメリカは大恐慌に陥り、ニューディール政策では大規模な公共工事や銀行救済を行い経済にテコ入れをしました。この教訓から、第二次世界大戦が終了した時には、アメリカは戦争景気が終わる事への対策として、世界にアメリカ製品を購入させる自由貿易拡大を行なったのです。
生産設備が破壊された世界中で工業製品を大々的に輸出できるのはアメリカだけでした。破壊されたヨーロッパ・日本、発展が期待できる中国に経済支援を行い、アメリカ製品を購入してもらい、金儲けをバックアップする国際政治体制として、いくつかの大国が均衡して存在し、新設された国連を舞台に利害を調整する多極主義が用意されたのです。
一方、日本国・広島では、米軍による原爆投下によって、20万人以上が亡くなり、75年経った今も数十万人の人々が今も放射能病に苦しんでいます。その3日後には、2発目の原爆が長崎に投下され、7万人以上の人が死亡しました。
1945年8月6日の朝8時過ぎ、原子爆弾「リトルボーイ」を積んだアメリカ軍のB29「エノラ・ゲイ」が広島の上空高度約96000メートルからパラシュートで「リトルボーイ」を投下、原爆は高度560メートルで爆発した。原爆が投下される少し前、広島の上空には、空襲警報が鳴り、広島市民は、防空壕に難を逃れました。
しかし、敵機は広島上空を通過して空襲警報は解かれました。夏の蒸し暑い日です。防空壕から出てきた市民達はシャツを脱ぎ上半身裸で涼んでいるところに再び戻ってきて原爆を投下したのです。イラク文明を破壊し尽くし、ベトナム戦争でみた同じ振る舞い。
.. 2020年09月14日 05:31 No.2025001
|