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■--戦勝国の裁判
++ 伝六 (小学校低学年)…9回          

極東国際軍事裁判は戦勝国がおこなった裁判である。(東京裁判は費用は日本が負担したというが、裁判官とか検事の給料?までは負担していないのでは?弁護士は手弁当でやったとか読んだように思う)。戦争は強いほうが勝つ。勝ったほうの言い分が通る。それが戦争だ。ところで、昔、私は日本が戦争した相手の国の数の多さをみて、よくこれだけ多くの国と戦争したものだと、あきれた意味で感心したが、考えてみると、日本が宣戦布告したのは米英に対してだけである。あとはこれらの国が宣戦布告してきたのであろう。それらのほとんどの国とは直接には戦っていない。ソ連にいたっては平和条約を破って宣戦布告をしてきた。
さて日本の言い分だが、これは昭和18年(1943年)11月6日、大東亜共同宣言というのがある。その中に、「・・・米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ、・・・・・・・大東亜戦争の原因茲にす。・・・・・」という文言がある。「自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し」というのは「あんたに言われたくない」(この点、日本は米英の弟子?かもしれない)とはいえるかもしれないが、これはほんとうのことである。米英は今でもそのきらいがあるし、世界各国大なり小なりこの傾向はあるのではないか。これに対して米英支は同年11月27日「カイロ宣言」をだしている。その中で、「・・・・日本国の侵略を制止し、且之を罰するために今次戦争を為しつつあるものなり」と言っている。山岡荘八だったか、小説「太平洋戦争」で、これは目クソ鼻クソを笑うであるとか書いてあったが、日本が鼻クソかと思うところがあるが、まあことばの喧嘩のようなものだろう。ところが日本がまけると、カイロ宣言の言い分が正しいことになる。連合国の正義(実は邪義)によって日本国を罰したのが、極東国際軍事裁判である。したがって、基本的には国際法とは無関係なところを持っている裁判である。(続く)
.. 2006年09月10日 21:40   No.20001

++ タク (小学校高学年)…24回       
ベルサイユ講和会議で日本国は白人世界に向けて人種差別反対と叫びました。だが、日本が提案した人種平等宣言が受け入れられる余地がなかったのです。人種問題というのは、あの時代の日本にとって国際秩序の重要問題です。この時の無念さは『昭和天皇独白録』の冒頭に、大東亜戦争の遠因として、「日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し」と書かれています。それがアメリカでは排日移民法などに繋がり日本人が差別を受けて辛い仕打ちを食らうのです。

日本が必死で白人支配からアジアを救おうと参画すれば帝国主義国家を中心とする外交の圧力がかかり欧米列強の都合で石油を止められるのです。だが、それでも日本国は人種差別や平和主義を唱えましたが、イギリスやフランスといった列強は自分たちが保持していた植民地は全部保全しています。広大な土地隣国・中国の内乱ばかりしている不安定な情勢は、日本にとっては座視できないものでした。なぜなら、それがロシアをはじめとする列強の植民地支配を誘発し、ひいてはアジアの存亡にも関わる脅威となっていくからです。

富国のため日本も中国に経済進出し、勢力を扶植しなければならなかったのは、そのためで、少なくとも石原莞爾は日本と中国の安定、日中の平和的提携関係を求め続けたのは歴史の真実なのです。この歴史の真実をマインドコントロールされた日本人の呪縛を解く為に語り継がれて欲しいのです。その想いは、今日、満州国を生き抜いた
方が亡くなられているのでいよいよ深いのです。満州国の生んだ民族協和という理念が「歴史の発展とともにますます輝きを増す」ことに、直ちに繋げなくてはならないと言うのは祖先を敬う我々の責務ではないでしょうか。

.. 2006年09月12日 18:31   No.20002
++ 伝六 (小学校中学年)…10回       
(続き)カイロ宣言の日本国の侵略を罰するという文言が、極東国際軍事裁判につらなっている。もちろんこれは不当である。パール判事によって、そのようなこと(満洲事変にまでさかのぼって共同謀議の罪を罰すること)は国際軍事裁判所の管轄権にはないことが論明されている。法律的にはそうだが、実際には、それが行われた。東京裁判の検察側最終論告で、キーナン首席検察官が序論をのべている時に、突如裁判長が発言して、次のようなことを言っている。「・・・・さらにある参与検事は私に、米国の第一流の新聞紙の第一段目に出ている主な記事、社説を私の手もとに見せてくれたのであります。この記事によりますと、私は故ルーズベルト大統領の遺言を守ったということが書いてあります。その記事には私を英国人(注・・・裁判長はオーストラリア人)としておりましたが、英国人及び英帝国の一員である所の国民全部は、故ルーズベルト大統領の遺言を十分に尊重し保護いたします」。ルーズベルト大統領の遺言とは何をさすかが、わからないのだが、あるいはカイロ宣言のときにすでにルーズベルトの胸中に、戦争犯罪人を罰するという構想?があったのでなかろうか。だいたい東京裁判は「語るに落ちる」ところが多いのである。
.. 2006年09月12日 20:46   No.20003
++ 伝六 (小学校中学年)…11回       
祖先を敬うことは大切なことと私も思います。ただ、誤解する人がいるといけないので、サンテグジュペリの次の言葉を引用します。「つまり僕は、たとえそれがどんなに自分の屈辱であるとしても、この敗北の連帯責任を絶とうとは思わない。僕はフランスの一員だ。フランスは、多くのルノアールたちを、多くのパスカルたちを、多くのパスツール達を(中略)を生んだ。フランスはまた、多くの無能力者を、政治屋を、ペテン師を生んだ。ただ、僕には、その一方との脈絡は認めるが、他方との脈絡は全然否認するというのは、あまりに安易に過ぎるように思われる。」
.. 2006年09月12日 21:06   No.20004
++ タク (小学校高学年)…25回       
カイロ宣言では、実際、北海道を占領したがるソ連の要求を米国はきっぱりと断り、蒋介石は九州領有を希望したというのです。だが、ルーズベルトは、「とんでもない男だ」とこれを拒否しています。当時の蒋介石軍は奥地の重慶にまで逃げ込んだ状態で、国共内戦も始まったため、とても九州「進駐」などできなかったのですね。

1945年3月の空爆の日、アメリカでは、いかに効果的に低コストで空爆が実行できるかを調べていたそうです。
空爆の主役は、B29爆撃機です。
ルーズベルト大統領は、新型兵器B29を最初インドと中国に配備したのだが、遠すぎて失敗したので、グアム、サイパンなどの太平洋の島々が出撃拠点となったのです。
爆撃は東京、名古屋などの日本の主要都市に67回空爆され、日本はこの時点でほとんど壊滅状態でした。
それでも広島、長崎に原爆を落としたのです。
原爆投下が本当に必要だったのか?
戦争を、国の上層部がすべての動きを把握しているわけではない。
原爆投下決定を下したトルーマン大統領は、3月の激しい空爆で日本各都市がいかに大きな損害を受けたかを詳細に知らなかったのではないかと思う。
原爆投下がなければ核競争の時代の到来は避けられ、北朝鮮の問題も起きなかったのではないだろうか?

真実として東京空襲を行ったアメリカ軍人が口を開きました「民間人を皆殺しにしろ、戦争が早く終わるから、皇居は絶対に狙うな戦争が長引くから」と上官に命令されたそうです。
このアメリカ軍人の証言を裏付ける話として当時の石原莞爾はこう語っています。何度も同じ話をしてしまいますが、極東軍事裁判酒田法廷の前に連合軍の検事に尋問を受けた時、横柄な態度で日本人を敗戦国として見下していた事に対し、石原莞爾は怒り、検事はビックリしました。検事の質問は「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねた。すると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「日本国民が軍人とともに戦争に協力するならば老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、畳み掛けるようにこう言い放った「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言ったのです。

.. 2006年09月13日 20:11   No.20005


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