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トルーマンは大統領に就任した時、日本国民が軍閥に協力して戦争を継続するならば、老若男女の別を問わず爆撃する、といった。そして、彼はその通り、B29をもって、日本の都市を空撃し、数百万の罪なき者の生命を奪い、見るも無残な残虐行為を行なった。
これは何たる野蛮行為か。非戦闘員を殺したことは言うまでもなく国際法違反である。世界の道義心に訴えても、世論を喚起すべき性質のものだ。戦時中、日本軍人が多くの悪いことをしたことは否定しない。私は特に東亜諸民族に対しては、平身低頭謝罪する。
しかし一国の末端兵士が、戦場の興奮によって、非戦闘員を侵害することは住々にしてあり得ることだ。無論、恥じるべき行為であるが、トルーマンの行為こそ、戦犯第一級中第一級の行為である。今日如何に戦勝国がこれを抗弁しようとしとも、第三者と高背の人類によって、歴史的審判を受けることは、まぬがれるものではない。
一国の大統領ともあろうものが、かかる野蛮行為を行ない、しかも少しも恥ずるところがない。我々はかかるものを相手にして戦ったことは、なんとしても恥ずかしい。トルーマンが第一級戦犯であることは、明確に意識してもらいたいと石原莞爾が語っています。
さらに石原莞爾の身の回りの世話をしていた私の父(仲條立一)が掲載した「歴史街道」から抜粋すると。私が総理大臣だったら、賠償を請求する。昭和22年5月、酒田で国際軍事裁判の臨時法廷が開設され、石原将軍は参考人として出廷する事になった。
当時、将軍は膀胱の乳嘴腫のため血尿が出て、ひどく痛み、片時も尿瓶を離せない状態です。長時間の歩行は出来ません。そこで裁判の前日、私を含む3人で、将軍をお宅から吹浦駅まで、リヤカーでお送りしました。西山から駅まで、私の足で約20分。揺れてはお体に障るだろうと、林道の木の根を避けながら、慎重にお運びしたことを覚えています。
将軍は和服に戦闘帽をかぶり、膝に毛布をかけておられました。5月1日から裁判です。その日、私は将軍の奥様から膝かけと書類を託され、列車で酒田に向かいました。将軍が宿泊されている酒田ホテルに着いたのは夕方5時頃です。ちょうどその時、応接室で将軍と数人の外国人も含めた記者団の会見が始まるところでした。
.. 2020年08月05日 19:35 No.1998001
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