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■--ある「戦犯」の遺言
++ 六 (大学院生)…100回          

「大東亜建設の大理想も一時の夢と付するのみか、光輝ある三千年の歴史を有する帝国を今日の如き悲惨極する状態にしてしまって今更其責任を誰に問ふべくも無いが、吾々国民としては日本を立派に築きあげた先輩、祖先に対し申し訳なく又苦境のままこの国家社会を受け継がねばならぬ青少年諸君に対しても誠に済まない気がする。
之から建設せらるる日本は真の民主の而も今迄と全く異なり、武力に頼らざる所謂平和の文化日本でなければならぬが之が大変な仕事である。之がうまく行けば真の日本の姿が顕現れて軍閥、官僚、財閥等により曲げられた前の日本帝国の時よりも真の国民の幸福がもたらされるかも知れぬが、うまくいかなければ憐れな日本国が出来るかも知れない。其の如何は全く今後の人、所謂今の青壮年の人の双肩にあると思ふ。・・・・・」
今の日本、国民の幸福がもたらされたか、それとも憐れな日本国か?少なくとも、真の国民の幸福からは遠い。しかも現在国家は危うい状況にあるように思える。主権在民などと言っているうちに、国家は国民から借金して、国民に借金を返せなくなりそうな状態である。外国に援助するのはいいが、有り難がられない国もあり、公害の工場ができたといって恨まれる援助もあるという。やはりそれは一人一人の責任で、責任の重い人はあるだろうが、責任のない人はない。
.. 2009年10月17日 14:43   No.199001

++ 六 (大学院生)…101回       
戦犯ということばを使ったが、戦争犯罪者として処刑された人は犯罪者ではない。その犯罪者でないということの真相がまだ国民にあきらかになっていない。人間である限り過失はある。戦時における過失であるが故に戦争犯罪者とされた人もいる。真相をあきらかにすべきだと思うのだが、それをする人がほとんどいない。法務死では、まだ適当でない。公務死でもなんのことだかよくわからない。殉国者というと、遺族にはいやがる人がいるかもしれないが、そのあたりが今のところ適当かと思う。よく使われているので、タイトルはしばらく「戦犯」とした。
.. 2009年10月22日 21:58   No.199002
++ 伝 (大学院生)…101回       
遺書の続きを抄出します。「・・・僕等も用ずみとなれば何時執行されるか判らぬ。愈愈君等とも永久にお別れすることになりました。僕としてはどうせ国に捧げた命だ。何惜しからう。僕等の命がどうしても連合国側殊に英国に必要なる事情があるならば僕等が犠牲になることは何かの方面において今後日本の為になるのであるから今こそ死すべき時機である。死機を得たる死こそ男子の本懐である。斯う思ふのです。今迄先行した犠牲者も何れも裁判には承服しないが唯君国の為にという精神で皆立派にいさぎよく刑場の露と消えています。全く神そのものの如き崇き姿でした。僕ももはや此等に負けぬ立派な最後を為し得る確信があります。・・・・・・」
.. 2009年10月26日 12:24   No.199003
++ タク (社長)…295回       
「A級戦犯」達が、本当に戦犯なのか、それでは原爆を落とした者、無差別殺人を行った者は「S級戦犯」かな?(爆)首相が靖国神社に参拝することによって、日本が戦争国家になる訳がないではないか?と思うのです。

東京裁判での戦犯の証拠を採用するに関して、検察側に有利になるように、怪文書のようなものを採用して、日本人の弁護側が有利になりそうな証拠は採用をしない、ということが実際に行なわれました。勝った国が負けた国を裁くのだから当然の出来事でしょう。確かに負けた責任はあるでしょう。

現に、A級戦犯の人々は、敗戦の責任があると言っています。だが、国際法を無視した裁判で、無理やり死刑にされて、その死後も酷い扱いを受け続けるというのは、果たしてどうなのでしょうか。日本が敗戦後、占領から独立をするときに調印したサンフランシスコ平和条約には、日本語で「裁判を受諾」と翻訳されています。

これをもって、東京裁判を日本は受け入れたということにされているし、現にそういう考え方ですが、よく原文を見ると、「judgments」に、「s」が付いて、複数になっています。ということは、受け入れたのは「裁判」ではなくて、「諸判決」ということになります。「裁判」を受け入れたとなると、そこで審理された内容も、事後法や無茶な証拠採用基準など、すべてを受け入れるということになります。

「諸判決」を受け入れた、ということになると、違法性のある無茶な裁判だったが、結果には従います、ということで、東京裁判で示された歴史観までをも受け入れる必要はなくなるということでしょう。日本の指導者たちが共同で、近隣諸国を侵略しようと謀議をしたというような、ありもしないでっち上げを受け入れなくてもよくなるのです。そうなると、A級戦犯は、果たして極悪人なのかどうか、ということになってくるのではないでしょうか。

.. 2009年10月28日 06:11   No.199004
++ 伝 (大学院生)…102回       
同じ人の遺言の引用をつづけます。
「・・・・次に戦犯者は僕等のやうに無実の罪で犠牲になるものもあるし、又詰まらぬことで罰せられるものもあり、然らずとするも戦争遂行上軍の利益又は軍機保持の必要より已むを得ざる必要に基き発せる上司の命令に従ひ、敢行した行為のため罰せられるものもあろうが何事も唯君国のためという崇高なる犠牲的精神で喜んで苦痛を忍び祖国のために散るのです。だから戦死者に優るとも劣らない尊い犠牲です。のみならず犯罪といふも普通のと全然異なりその人自身が悪いのでない。戦争遂行のため唯一筋に熱心勤務したるもので何人がその地位、場所に立っても同じ運命となったであらう。其の任命は国家がしたのである。故に戦犯者は国家が少なくとも戦死者同様に取り扱いをなし、遺族に対しても国家が物心両方面から慰謝あるべきであると云はれている。今は連合国側に対する遠慮から急に表向きにはできぬであらうが早晩そうなるべきに相違ない。だから君等も父が戦犯で死刑になったからなどと卑屈になってはならぬ。名誉と誇るべきである。・・・・・」終戦直後には戦犯者は犯罪者あつかいされ、白い眼でみられた家族もある。講和条約ころには偏見も少なくなったが、今でも戦犯は戦争犯罪者だと思っている人がある。家族も傷ついたせいか、戦犯で刑死したことをあきらかにしたがらない人もあるようだ。そしていまだに戦犯で刑死した人の名前が全部はあきらかにされていない。これは問題だと私は思う。

.. 2009年10月29日 20:54   No.199005
++ タク (社長)…296回       
東京裁判では石原莞爾は戦犯にされなかった。アメリカにとっては太平洋戦争を起こした人間を裁こうとしていた。石原莞爾は絶対に戦争をしてはいけないと弾圧されても反対の態度をとっていました。しかもその時、石原莞爾は予備役、退役ですから、太平洋戦争にはまったくかかわっていないのです。

しかも、極東軍事裁判酒田法廷で検事の質問から「戦犯の中で誰が第一級犯罪人」と訊ねられると、石原莞爾は「トルーマン」と答え、大統領就任の時ばらまいたビラを見せ、そのビラには「老人、子供、婦女子を全部爆殺する」と書いてある点を示して、「これは何だ!!国際法では非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、これは何か!!」と、検事は「あれは脅しだ」と答えると「そうではない、このビラの通りに、実行し、B29が民衆すべてに爆撃し、広島や長崎は一体どうしたことか?トルーマンは、このビラの通り実行したトルーマン大統領の行為は戦犯第一級のそのまた第一級に価するものである」と言った。

次の検事の言葉では「日本の戦争責任を日清、日露戦争までさかのぼって調べる」と言うと、石原莞爾は次のように言う「それではペリーを呼んで来い、日本は当時徳川鎖国時代で、どこの国とも付き合いたくないと言って、堅く外交通商の門戸を閉ざしていた。それを米国からペリーが黒船でやってきて、門戸開放、通商交易を迫った。もし実行しなければ、大砲をぶっ放すと脅迫した。徳川政権は、結局米国の脅迫外交に屈して開国を決定し、列国と外交通商関係を結んだ。外国と付き合ってみると例外なく侵略主義の恐ろしい国だということを知らされた。」

さらに石原莞爾は言う「貴国らを大先生として、日本は侵略主義を習い覚えたのだ。いわば貴国らの弟子である。もし日清、日露戦争が悪いというならばペリーを証人としてあの世から連れてくるのだな」と米国への批判を行なったのです。なぜ極東軍事裁判が、酒田市において行なわれたかというと、石原莞爾を東京で訊問すれば、東京裁判と連合軍側の権威の失墜を招くことを恐れがあったと思うのです。酒田法廷に出廷する石原莞爾をリヤカーで駅まで曳いた側近である私の父が当時の状況をこう語っているのです。

日本人が萎縮している時に戦勝国に向かって言ったので、日本人にも人気がありました。石原莞爾は魅力ある人です。あの時期の軍人で、思想家といえるのは、石原莞爾ぐらいしかいないでしょう。『世界最終戦争論』は今でもよく売れています。戦争は線から面へ拡大してきた、次は体に至るという戦争史観は鋭いです。東亜連盟・現在は石原莞爾平和思想研究会でも問題提起として大きいのです。

.. 2009年10月30日 08:51   No.199006


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