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第4回「原水禁運動の分裂と抗争」の報告 「重大な時に分裂してしまった運動の責任大きい 運動団体に反省がない」 「もう時間もたったのだから、きちんと総括を残すべき」 「分裂に市民の責任もあるのではないか。もっと市民主役に!」 | 「今年は被爆75周年であるにもかかわらず | 日本の中に核廃絶運動の動きが見られない」 └──── (たんぽぽ舎会員)
◎7月13日(月)「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)で開催 されたジャーナリスト、元朝日新聞編集委員 岩垂 弘さんの講演 「日本人は核にどう向き合ってきたか 被爆75年、核廃絶運動を顧みる 第4回原水禁運動の分裂と抗争」の報告です。 第4回の主な内容は、原水禁世界大会の開催から原水禁分裂と その後の混乱まででした。この連続講座も回を追うごとに参加者が 増え、活発に質問がでました。
◎岩垂さんは冒頭、今年は被爆75周年であるにもかかわらず、日本の 中に核廃絶運動の動きが見られないことをお話されました。 ビキニ被災事件をきっかけに1955年原水禁世界大会が開催され、 核廃絶運動は保守層も参加する国民的、超党派的な運動になました。 被団協や原爆医療法ができるなど運動の大きな転換点になりました。
◎当時は冷戦時代で、アメリカとソ連が核兵器開発競争を繰り広げて いました。それを背景に「いかなる国の核実験にも反対」という スローガンと「部分的核実験禁止条約」の評価をめぐり、社会党・ 総評系と共産党系の対立し、1963年原水協が分裂します。 岩垂さんは、当時静岡支局の記者として、原水禁安井郁理事長が 総辞職すると発言した深夜の記者会見を取材されたそうです。
◎国民的運動であった原水禁運動は、分裂によって国内的にも国際的 にも影響力を失ってしまいました。分裂の影響は大きくお互いに同席 しないほどだったそうです。 岩垂さんは、「重大な時に分裂してしまった運動の責任大きい。 いま戦争体験が風化してしまったが、分裂抗争のエネルギーを、戦争や 原爆体験の継承についやすべきではなかったか」と語られました。
.. 2020年07月16日 05:41 No.1983001
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