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■--ぬき書き
++ 六 (大学生)…99回          

もともとアメリカの政治家たちは、日本と直接かかわりあうことがほとんどない。日本の政治家とも関係がない。大使館や外務省は、国務省のいわば下級職員との関わりはあるものの、政策決定者との接触はない。・・・・日本とアメリカとの関係は第二次世界大戦の後、密接になった。第二次世界大戦に日本が敗れ、アメリカが占領したからだが、そうした関係の中で重要だったのは、占領軍と日本政府である。日本で最近しきりに名前をきかれるようになった白洲次郎も、結局のところはアメリカの占領軍と関わっていただけである。吉田茂にしても白洲次郎にしても、占領国の代表としてアメリカ側で相手をしてくれるのは占領軍だけだった。白洲次郎にいたっては肩書きがあるわけでなく、マッカーサー司令部のスパイ組織だったキャノン機関の関係者と交友関係があったにすぎない。こうした吉田茂や白洲次郎と占領軍の関係は、日本が独立した後も続くことになった。日米安保条約が結ばれたからである。日米安保条約は基本的には日本の占領を日本が独立した後も続けるためのものだった。・・・アメリカは日米安保条約によって日本をコントロールしていると考え、外務省をはじめ日本の関係者を安保条約運用のための担当者の一員として扱った。(2009年2月12日刊 日高義樹著「不幸を選択したアメリカ」より)
.. 2009年10月06日 12:24   No.198001

++ タク (社長)…294回       
昭和26年9月8日は、敗戦日本が独立国として、世界の仲間入りができた輝ける日です。大いに日本国民は祝いました。全面講和か多数講和かをめぐって議論がありましたが、日本政府はアメリカの方針にそって、多数国との講和でよしとしてサンフランシスコでこの日、講和条約に調印したのです。それと同時に日米安保条約が調印され、日本はアメリカの極東戦略体制下の一国に組み入れられてしまったのです。

なぜ同時だったのかといえば講和条約が成立した時点でアメリカ軍が日本を占拠する大義名分はなくなったからです。しかし、アメリカにとってアメリカ軍の日本駐留は、共産主義勢力との世界的戦略の観点から必要でした。つまりアメリカ軍はこの時に、日本占領軍から在日駐留軍に変貌したのです。

戦争放棄を定めた日本国憲法第9条は、マッカーサーの直接の指示を受けてGHQの民生局のチャールズ・ケーディス次長を中心に作成した条項で、どこから見ても米国製です。日本に戦争を放棄させ、安全保障をアメリカ頼みにさせたのはアメリカです。今後どう判断すべきは、日本の国民が判断すべき問題なのです。

占領下にアメリカの手によって起草された日本国憲法は、その後、冷戦が表面化したため、起草者であるアメリカ自らの手で拡大解釈され、平和憲法の趣旨を大きく逸脱させられてしまったのです。しかもその後の国際情勢の変化とアメリカの世界戦略の変化により、憲法第9条の拡大解釈は歯止めなく進み、もはや憲法第9条は蔑ろにされているのです。この状態を放置しておくことは、法治国家としての日本をモラルハザードに追い込むばかりか、アメリカの軍事戦略に沿った日米同盟体制を、黙って許すことになるのです。

.. 2009年10月07日 06:13   No.198002


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