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「ビキニ被災(1954年)事件は世界中にとって | 衝撃的な事件でした」 | 放射能雨に濡れちゃいけない。原爆マグロを食べちゃいけない | 岩垂 弘さん連続講演第3回の報告と感想 | 次回7/13(月)は第4回「原水禁運動の分裂と抗争」 └──── (たんぽぽ舎会員)
◎6月8日(月)「スペースたんぽぽ」(ダイナミックビル4F)で開催 されたジャーナリスト岩垂弘さんの講演「日本人は核にどう向き合って きたか 被爆75年、核廃絶運動を顧みる 第3回衝撃のビキニ被災事件」 の報告と感想です。
第3回の主な内容は、1954年のビキニ被災事件、原水禁運動の誕生、 そして原水禁世界大会開催と原水協の結成まで。岩垂さんの著書 「核兵器廃絶運動のうねり」(1982年連合出版)に沿って説明された。
◎1954年3月1日のビキニ被災事件。米ソによる軍拡競争の中、ビキニ 環礁で広島原爆の1000倍の水爆実験が行われ、第五福竜丸23人と マーシャル群島島民239人が被災した。 この事件は読売新聞の大スクープによって明らかにされ、日本国民を 恐怖に陥れた。「放射能雨に濡れちゃいけない。原爆マグロを食べちゃ いけない」と。魚屋と寿司屋が破産する事態になった。 今回のコロナ禍のようなパニックだったそうです。50年以上前だが 子どもの頃、母親に雨に濡れたら髪の毛が抜けると言われたことを 思い出した。
◎事件の衝撃は大きく、杉並区公民館の読書会「杉の子会」の主婦たち によって水爆禁止署名運動がはじまった。5月には27万筆が集まった (杉並区民41万人)。8月には原水爆禁止署名運動全国協議会が 発足した。代表世話人には片山哲元首相、大内兵衛、湯川秀樹、 賀川豊彦らが名前をつらねた。翌年1月には2200万筆の署名が 集まった。
◎この署名運動が1955年の第1回原水爆禁止世界大会と原水協の結成 につながる。世界大会には5000人が参加し、鳩山一郎首相からの祝辞も 届いた。保守層もふくめた壮大な大会となった。大会宣言が読み 上げられた直後20分間拍手が鳴り止まなかったそうです。 岩垂さんは「基地反対闘争は原水爆禁止の運動と共に、相たずさえて たたかわなければなりません」という箇所が一番拍手が多かったと 話された。
.. 2020年06月12日 05:36 No.1951001
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