13年ぶりの震度5が教えたもの 2005年7月23日に首都圏は13年ぶりに震度5の地震に襲われました。 ところが、このときの震度分布は奇妙な形をしていました。震源から同心円状に震度が減っていくのではなくて、特定のところに震度が大きいところが集中していました。そして最大の震度であった5強は震源からかなり離れた東京足立区で記録されていました。 世界的な地震多発地帯の上に住む3000万人 北太平洋から西太平洋にかけて続く海溝、つまり巨大な地震がプレートの衝突で起きている最前線のなかで、東京付近ほど人口が集まっているところはありません。それだけ東京付近は地震が危険なところなのです。 しかしじつは、東京付近はそれ以上に危険なところなのです。それは二つのプレートが衝突しているだけではなくて、3つのプレートが衝突しているからです。 1923年に起きたこと 防災の日は9月1日ですが、これは1923年9月1日に関東地震が起きて、死者行方不明あわせて10万人を超えた大惨事を忘れないように作った記念日です。日本の歴史で最大の被害を生んだ地震でした。世界の地震史上でも有数の被害でした。 超高層ビルが一度も洗礼を受けたことがない揺れ 2003年9月に起きた2003年十勝沖地震では苫小牧市にある大型石油タンクが燃え続けました。手の施しようもなく4日目にタンクの中の原油が燃え尽きるまで燃え続けました。震源からは200 km も離れていたのですが、「長周期表面波」によるスロッシング(液体の共鳴)でタンクの蓋が破損したためだと考えられて います。
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.. 2009年09月04日 08:10 No.195001