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昔?江藤淳と本多秋五の間に無条件降伏についての論争があった。江藤が、「日本が無条件降伏の結果、ポツダム宣言の規定によって、連合軍の占領下におかれることになったのは、昭和二十年九月のことである」という平野謙の文章について、重大な事実誤認があるといい、「もし日本が『ポツダム宣言の規定』によって降伏したのなら、この降伏は決して無条件ではありえない。」と指摘した。それは、そうだ条件をあげた無条件降伏ということはありえない。しかし、それに対して、本多が反論した。彼はバーンズ国務長官の意見をひいている。「われわれが何故無条件降伏の要求から後退しなければならないのかわからない。われわれの要求は(原子)爆弾を使わない前に、またソ連も参戦しない前に日本に提出したものである。[今になって]もし何等かの条件を、受諾しなければならないのならば、その条件は、日本側からでなくアメリカの方から提出するようにしたいものだ。」と言ったとバーンズが書いているというのだ。論理的には明確でないが、原子爆弾とソ連の参戦があったので、日本を無条件降伏させるべきだという意味のようだ。こういう意見の延長線上にポツダム宣言は関係ねえ、そこまではいわないがまもらなくてもいい、何故なら無条件降伏だからだというゴリ押しとなった。しかしただゴリ押しだと、りっぱな暴力団というよりギャング団だから、微妙な理屈をつけた。ポツダム宣言の条件は完全に実行される。しかし、それは日本との契約関係でなく、われらの政策の一環として実行されるというのだ。結果からいえば、ポツダム宣言の条件は完全に実行されるということはなかった。あきらかになったことは軍隊が無条件降伏したら、約束をまもってくれという主張も無視されるようになるということである。結局軍隊だけんでなく、政府も無条件降伏した。それで、日本国も無条件降伏したのだと多くの人が思い込んだ。アメリカは原子爆弾のおかげで、日本を無条件降伏させることができた思った。それはちがう、原子爆弾によって日本国民は降伏したのではない。パワーポリティクスの手段としての原子爆弾は、力のおごりと狂気によるものであると認識しなければならない。
.. 2009年08月21日 13:04 No.194001
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