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ウクライナ問題で重要なのは、クリミア半島の歴史です。あれほど国際世論の反発を受けながら、ロシアのプーチン大統領がなぜクリミアを編入したのか。これも歴史を振り返らないと、読み解けません。クリミアには、もともとジンギスカンの子孫が作った「クリミア汗国」がありました。ここは水がなく、ディアスポラのギリシャ人が住んでいました。
そこに入ってきたジンギスカンの子孫たちが何をやったかといえば、ウクライナ人が居住するウクライナに行って、穀物や家畜を略奪しました。女性まで拉致して、ペルシャアラブに売り払うのです。みんな逃げて、キエフにもぺんぺん草が生えるようになりました。
しかし、もともと黒土地帯で肥沃な場所ですから、犯罪者、逃亡農民などがたくさんやってきて、税金も払わずに勝手に住みつき、武装して農村をつくりました。これがコサックです。このコサックが、ポーランドのカトリックとクリミア汗国のイスラム教徒と闘って、領域を徐々に大きくしていきます。
そして1654年、ペレやスラフ協定を結んで、ロシアの庇護下に入るのです。それからロシアのチアらを利用してクリミアを占領するわけです。19世紀に到って、クリミア半島をオスマン帝国が支配すると、ロシア帝国は、「ロシア正教徒の保護」を口実に軍事介入します。
2014年2月、ウクライナで親ロシア政権が倒されると、ロシアのプーチン大統領が「ロシア人の安定を守るため」と称して、クリミア半島にロシア軍を派遣しましたが、これと同じ構図です。クリミア戦争では、オスマン帝国と同盟したイギリス・フランスと、ロシアとの間で大規模な戦闘が行われました。
「白衣の天使」フローレンス・ナイチンゲールの活躍が有名です。1917年のロシア革命後、クリミアは、ボリシェビキによって占領され、その後は、ソ連内の自治共和国になりました。第二次大戦中にナチス・ドイツがクリミアに入ってくると、クリミアの先住民族タタール人、すなわちジンギスカンの末商たちの一部がナチス協力します。
これにスターリンは激怒し、1944年にクリミアを赤軍が「解放」すると、タタール人を強制移住させ、その後にロシア人を住まわせました。このとき、なぜウクライナ人ではないのかといえば、当時は、クリミアはロシア領だったからです。
.. 2020年05月10日 08:43 No.1923001
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