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昭和16(1941)年12月8日未明、日本軍は真珠湾奇襲攻撃に成功します。この日の夕方、東條英機は陸海軍の軍人、さらには統師部の幕僚などの側近を集めて、官邸の食堂で小宴会を開きます。その折の発言です。「戦果は予想以上だったね。いよいよルーズベルトも失脚だね」
さらには赤松氏によれば、この奇襲攻撃はほとんどの者に伏せられていて、東條英機は、「わが内閣だから秘密は保たれた」と自賛したという。赤松氏も夜勤を終えて朝早くに帰宅するために官邸を出ようとしていたら、海軍の鹿岡氏が駆け付けてきて、初めて真珠湾攻撃の成功を知らされたと言います。
それほどまでに秘密が守られたことに、東條英機は喜色を浮かべていた。しかし実際にはこうした事実がすべてアメリカ側に暗号解読されていて、筒抜けになっていたのは皮肉といえば皮肉です。昭和17年10月14日の靖国神社臨時大祭で、東條英機は遺族に挨拶したあと、奥村喜和男情報局次長のお追従の言に対し、次のような発言をしています。
「飛行機は飛行機が空を飛んでいるのではない。人が飛んでいるのだ。精神が動かしているのだ」飛行学校を訪ねた折に、君らは「敵機」を何で撃ち落すか。と問い、高射砲で撃墜するとの答えに、「違う。精神で撃墜するのだ」と訓示しています。
昭和18年6月2日の官邸での夕食の折に洩らした言葉です。「人は良く自分のことを政治家としても云々と云うが、自分は政治家と云はることは大嫌いだ。自分は戦術家と云はるならばともかく政治家ではない、只、多年陸軍で体得した戦略方式をそのままやっているだけだ」このことは、戦争のゆく末に対して、政治家としての判断は特にないのです。
軍人、しかも戦略家として戦い続けるとの告白です。東條英機が戦争には政治の判断は一切持ち込まないと宣言したに等しい言葉です。昭和18年9月9日の発言を見ると、前日に枢軸体制の一角であるイタリアが降伏したとのニュースが伝わってきます。
これに対して、かえって枢軸体制はすっきりしたと言い、イタリアについては今後「敵国」として扱えとも命じています。10日に次のような発言も行っています。「常々云っていることだが、御上は神格でいられる。御下問があって、存じませんが調べまして申し上げますと申し上げあげると、決して追及はされぬ。」
.. 2020年03月08日 08:45 No.1868001
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