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■--栄養ドリンクとアミノ酸飲料
++ タク (社長)…1183回          


栄養ドリンクはとにかく添加物満載です。今日も頑張ろうと、栄養ドリンクを飲んでいる人も多いことでしょう。しかし、気になる事があります。保存料の安息香酸Naを含んだ製品が多いことです。栄養ドリンクは、食品に分類されるものと、医薬品や医学部外品に分類されるものがありますが、いずれにも安息香酸Naが使われているのです。

安息香酸Naは毒性が強く、ネズミに一定量を与えると、痙攣や尿失禁などを起こして死んでしまいます。もちろん栄養ドリンクに添加されている料は微量なので、飲んでもすぐに具合が悪くなることはありません。

しかし、飲み続けた場合、胃や腸などの粘膜への影響が心配されるのです。そもそも栄養ドリンクが本当に効くのか怪しいものです。含まれるカフェインによる覚醒作用を勘違いしているだけでかもしれません。

アミノ酸飲料は合成甘味料が補給されていることでしょう。かつて大ブームになったアミノ酸飲料。アミノ酸が手軽にとれると、いまも根強い人気があります。しかし、これらを飲んでも、実はほとんどアミノ酸を補給することはできないのです。

体重50sの人の場合、一日に約50gのアミノ酸は必要です。しかし、アミノ酸飲料に含まれるアミノ酸は、せいぜい1〜4g。とても足りません。しかも、甘味料のスクラロースや酸味料、香料などが添加されています。スクラロースは、有機塩素化合物の一種で、自然界にはまったく存在しません。

体の中にも分解されにくく、免疫力を低下させる可能性があります。さらに、動物実験では、脳に入り込むことが分かっています。また、甘味料のアスパルテームを含む製品もあります。アスパルテームは、脳腫瘍や白血病などをひきおこす可能性が指摘されています。
.. 2020年02月12日 08:13   No.1846001

++ 上岡直見 (大学生)…97回       
「推進派の雑誌を読んでみた」
 |  たまには読んでみるのもいいかも−推進派の動向がわかる
 |  米国で原発80年運転延長の動きが加速している
 |  いずれ日本でも80年延長の話が出てくる可能性あり
 └──── 〔環境経済研究所(技術士事務所)〕

◎ 東海村の山田村長が推進派の雑誌『Energy for the Future』で
東海第二の再稼働を容認、というか推進する発言をしていたことが
取り上げられ注目を集めた。
 推進派の雑誌ということで油断して本音が出たともいえるが、これを
契機に社会的に問題意識を高める効果もあり、知らないより知っていた
ほうがよかった。推進派の言説もチェックしたほうがよい。

◎ 『エネルギーレビュー』2020年2月号をみると、とんでもない
記事の連発である。
 まず驚いたのは、米国で原発80年運転延長の動きが加速している
ことである。
 米国はシェールガス・シェールオイルが安価で大量に供給される
ようになったので原子力は苦しく、もはや新設は絶望的で運転延長
しかないのであろう。
 警戒されることは、日本の原子力規制はほとんど米国の横滑り
なので、いずれ日本でも80年延長の話が出てくる可能性がある。

◎ 2005年の玄海原発プルサーマルに関する公開討論会で「専門家に
なればなるほど格納容器が壊れるとは考えない」と豪語した
大橋弘忠(※)が、この雑誌に連載した「エネルギーQ&A」を
まとめた本を出している。
 子供向けにQ&A形式で原子力推進を誘導するおなじみの情報を
並べているのだが、驚くべきはこの連載を始めたのは2012年7月
つまり福島第一原発事故から1年余しか経っていない時期という
ことだ。第4回では「客観的にみれば、もっとも公平で公正なのは
専門家だ」と述べている。

※「プルトニウムは飲んでも大丈夫」発言でも有名。

.. 2020年02月13日 05:36   No.1846002
++ 上岡直見 (大学生)…98回       
◎ そのほかコラム欄では元法政大学客員教授という人物が「原子力
発電所がいかに安全であるか、3・11の東日本大震災にも
耐え抜いた」「環境に及ぼす影響を最小限に止め、放射性物質による
健康影響を直接住民に与えることなくとどめた」と書いている。
 こうなるともはや業界誌というよりカルト宗教の広報誌としか
思えないが、推進派の議論はネット右翼のフェイクニュースと
同レベルのものでしかないことを証明する根拠とも言えるだろう。

.. 2020年02月13日 05:43   No.1846003
++ タク (社長)…1184回       
化学の基礎を築いた天才
アイザック・ニュートンは「リンゴが木の枝から落ちるのを見て、引力を発見した人」として、知っている人は多いでしょう。しかし、ニュートンが発見したのは引力だけではありません。物体がどういう法則の基に動くのかを発見したのも、光のなぞを解き明かしたのもニュートンでした。

どれも、300年以上たった今も価値を失わず、化学の基本法則となっています。しかも、それらを、ニュートンは誰に教わることもなく、誰と協力することもなく、たった一人で成し遂げたのです。アイザック・ニュートンは、1642年のクリスマスの日に、イギリスのウールソープで、一人息子として生まれました。

首都ロンドンのあるこの村で、父親は小さな農場を営んでいましたが、ニュートンが生まれる3カ月前に亡くなっていました。母親も、ニュートンが3歳の頃、再婚して家を出ていきましたので、幼いニュートンは祖母と二人で暮らすことになりました。6歳になると、ニュートンは学校に通い始めました。家庭でやっている塾のようなものでした。

ここで習う科目は、読み書き・算数だけなので、ニュートンには退屈でした。学校のみんなはニュートンを馬鹿にするので、友達は一人もできませんでした。けれども、ニュートンは全然気にしませんでした。家に帰れば、自分一人の楽しい時間が待っているからです。

ニュートンの部屋には、のこぎり、かんな、かなづち、のみなど、祖母にねだって買ってもらった大工道具がそろっていました。それらの道具を使って工作をするのか、なによりの楽しみでした。そんなニュートンの様子を、祖母は家畜の世話、畑仕事に家事と、忙しく働きながら、かわいい孫が今何をしているか、目を配ることを忘れなかったのです。

このときは、庭の大きな石をのみで何日もこつこつ削って、日時計をつくっていたのでした。感心して日時計に見とれてしまった祖母は、この孫が学校では馬鹿にされているとは思いもよりませんでした。11歳になると、ニュートンは、学校に入学しました。電車もバスもない時代のことなので、町の薬屋の2階に下宿して通学しました。

.. 2020年02月13日 06:08   No.1846004
++ タク (社長)…1185回       
学校でも、ニュートンに友達はできませんでした。また、作る気もありませんでした。学校の授業はぼんやり聞き流し、下宿の部屋に戻ると、ひとりで大好きな工作に熱中します。また、この頃、ニュートンは化学の本をよく読むようになりました。薬屋の主人がたくさん持っていたからです。それらの本を片端から借りて読んでいきました。

そのうちに、ニュートンの頭の中にどんどん科学の知識が貯まってきました。本に書いてあることが本当かどうかを確かめようと、実験をするようにもなりました。学校を卒業すると、ニュートンは名門ケンブリッジ大学に進みました。1661年、18歳の時でした。

家が貧しかったので、授業料ははらわなくてよいのですが、大学の寮に住んで、金持ちの学生の身の回りの世話をしなければなりません。そんな生活の中で、ニュートンは、寝る間も惜しんで自分の時間をつくり、化学の本を読み、実験を重ねました。しかし、その頃、ロンドンで伝染病のベストが大流行し、その勢いはケンブリッジにもおよんできました。

1665年8月、とうとう大学は閉じられました。しかたなく、ニュートンは故郷のウールソープに帰りました。たっぷりできた自由な時間に、目に見えるものすべてについて、思う存分想像の羽を広げると、様々なアイデアが、泉のように、次から次にわいてくるのでした。一つ目の大発見は、光についてのものでした。

「アリストレスは太陽の白い光は単純で混じりけがない』と言っているけど、本当だろうか?」そこで、日光をプリズムに通す実験をしてみると、光は七色に分かれました。その七色に分かれた光をもう一度プリズムに通すと、元の白い光に戻りました。この実験で、白い光は決して単純ではなく、七色が混じってできている事が、初めて証明されたのです。

二つ目の大発見は「万有引力の法則」です。あるとき、リンゴの実が木から落ちるのを見ました。「引力」の発見でした。しかし、実はここからがニュートンのすごいところなのです。空を見上げると、昼間の白い月が出ていました。「月はどうして地球に引っ張られて落ちてこないのだろう?」ニュートンは考え続けました。そしてついに答えを見つけました。

.. 2020年02月13日 06:18   No.1846005
++ タク (社長)…1186回       
「そうか!月も落ちているのだ!」ガリレオ・ガリレイは、本の中で、物体は外から何かの力を受けない限りまっすぐ動くといっていました。月も何も力を受けなければ、まっすぐ進んでどこかへ行ってしまうはずです。でも、月は地球の周りをぐるぐる回り続けています。月が地球に引っ張られている何よりの証拠だとニュートンは気づいたのです。

つまり、月はまっすぐ進もうとするのだけれど、地球が引っ張るので、横に少し進んでは、下に少し落ちるのだとわかったのです。「地球が太陽の周りをまわるのも、太陽の引力を受けているからだ。」ニュートンは一個のリンゴの実から想像を膨らませ、「宇宙のすべての物体は引力を持っている」という法則にまで高めてしまったのでした。

さらにニュートンは、物体の動きについての法則を発見し、「運動の三法則」としてまとめました。第一法則「物体に力が加わらなければ、動いている物体は同じ速さでまっすぐ動き始める。止まっている物体は止まり続けている。第二法則「物体に力が加わると、ちょうど同じ大きさの力を、その物体から受ける。」というものです。

これらの大学発見がすべて、ニュートンという20歳そこそこの一人の若者によって、1665年8月から1668年初めまでの、わずか一年半という短期間になされたのは、驚くべきことでした。それで、この期間のことを人々は「驚異の一年半」と呼び、ニュートン自身も、独創力の面で、生涯最高の時といっています。

それからまもなくして、ニュートンは26歳の若さでケンブリッジ大学の教授になり、32年間勤めあげました。1687年には、驚異の一年半の成果をまとめた「プリンキピア」を出版。晩年は国会議員や造幣局長官としても活躍し、1727年3月20日、84歳で天才の生涯を終えました。

若い頃、孤独に過ごしたニュートンでしたが、人生の大半は人々の尊敬の的となり、今も世界中の人々に尊敬され続けています。ニュートンより100年遅れて世に出たフランスの学者グランジュは、うらやましさの中にも尊敬を込めてこう言いました。「ニュートンは今までに生まれた天才の中でも、もっとも偉大で、最も幸運な人だ。ただ一つしかない宇宙の法則を発見したのだから。」

.. 2020年02月13日 06:32   No.1846006
++ 上岡直見 (大学生)…99回       
「東京五輪と安倍政権の本質」
 |  もともと福島第一原発事故被害隠蔽のために
 | 誘致した東京五輪
 |  新型コロナウイルスも絡んでますます安倍政権の本質が露呈
 └──── 「東京五輪と安倍政権の本質」
 |  もともと福島第一原発事故被害隠蔽のために
 | 誘致した東京五輪
 |  新型コロナウイルスも絡んでますます安倍政権の本質が露呈
 └──── 〔環境経済研究所(技術士事務所)〕

◎ 今日の報道によると、韓国の市民団体が防護服の聖火ランナーの
ポスターを貼り出したこと〔環境経済研究所(技術士事務所)〕

◎ 今日の報道によると、韓国の市民団体が防護服の聖火ランナーの
ポスターを貼り出したことに対して橋本五輪相が「決して許されない」
「毅然として臨む」などと発言したが、いったい何を
勘違いしているのか。
 もし韓国政府がポスターを作って貼り出したのなら日本政府として
抗議することはありうるだろう。
 しかし韓国の市民団体が作った表現物に対して「許されない」などと
言う権利はない。
 その背景にあるのは、日本は韓国より優位であり支配関係に
あるという誤った認識である。

◎ さらには東京五輪がもともと福島第一原発事故被害隠蔽のために
誘致したという後ろ暗さがあるからますます過剰に反応するのである。
 本当に五輪の開催に正当性があるという信念があるのなら笑って
済ませばいいだけのことだ。

◎ ところでメルマガNo3855で紹介していただいた新型コロナウイルス
の感染症であるが、WHOにより「COVID-19」と命名されたので
今後はこれを使用する。
 前回の文章だけではイメージがつかめないと思うので、図を参照して
いただきたい。現在は幸いにも感染者は限定されているが、完全には
できないのでいつか感染者のピークが発生する可能性はある。
 それを様々な対策で抑え込んでも、五輪を引き金に制御不能なピーク
が発生するおそれがある。COVIDを「天の声」として本来は五輪の
中止が望ましい。

こちら

 しかし競技自体の中止は選手に気の毒だし放映権の契約上も中止
できないとされる。テレビ中継だけで開催する方策を早期に決断
すべきであろう。

.. 2020年02月14日 05:37   No.1846007
++ タク (社長)…1187回       
足尾銅山から出る鉱毒
過去に栃木県を水源に群馬県、埼玉県、茨城県を流れる渡良瀬川で、何万匹というアユが死んでいるのが発見されました。コイやウナギなどもたくさんとれる川だったのですが、魚が急に減りました。また、川の水がかかった土地では作物が枯れ、稲や麦などが取れなくなってしまいました。

調べた結果、これは上流にある足尾銅山から出る「鉱毒」が原因だとわかりました。鉱物から純粋な銅を探り出した後の、鉱石のくずには、植物や動物に害のある物質が含まれていたのです。銅をつくる精錬所から出る大量の煙も、環境を汚染してきました。魚や作物が取れないばかりか、鉱毒のために病気になる人もたくさんいました。

これを知った正造は、渡良瀬川沿いの土地を見に行きました。農家の人たちの訴えを、じかに聞きました。「このままでは、ここは人が住めない土地になってしまう。」正造は、議会でこの事件について演説を行い、政府の力で鉱山の営業を辞めさせるように求めました。

しかし、政府の返事は、「原因がはっきりしない」「鉱毒が川に流れださないような設備を用意すればよい」など、煮え切らないものでした。正造は粘り強く、議会でこの問題について質問書を出し続けましたが政府の態度は変わりません。国は工業発展に力を入れており、銅は海外への輸出品として国に利益をもたらしていました。

だから鉱山の営業を辞めさせることはできなかったのです。「被害に苦しむ国民を守ることができないで、いったい何のための議会だ。議会は国民を殺すつもりなのか。」衆議院議員を務めて10年目となる1901年の秋、正造は辞表を提出して、議員を辞めました。しかし、正造は諦めたわけではありませんでした。人知れず、ある決意を固めていたのです。

その年の12月。明治天皇が乗った馬車が議会の議事堂から出てくると、正造は馬車に向かって駆け出しました。「お願いでございます」高くかざした一通の手紙は、天皇にあてた直訴状でした。鉱毒事件をじかに天皇に訴えようとしたのです。正造はたちまち警官に取り押さえられ、手紙を渡すことは、かないませんでした。

.. 2020年02月14日 06:02   No.1846008
++ タク (社長)…1188回       
当時、天皇は普通の人々からすれば、雲の上の存在でした。正造が元議員だといっても、天皇に直接話しかけることは、考えられないことでした。しかし、正造の捨て身の行動を、新聞はこぞって取り上げました。おかげで、世の中の人々を応援する声が高まり、政府で鉱毒問題を取り上げることになりました。

だが、政府の出した結論は、今度もまたその場しのぎのものでした。渡良瀬川では、度々洪水が起こっていました。水が沢山運ばれるほど、鉱毒も沢山運ばれるわけです。ですから、鉱毒をなくすのではなく、「洪水さえ防げば毒が広くたくさん運ばれなくなる、つまり川があふれないための遊水地をつくればよい」というのが、政府の出した具体案でした。

政府は、遊水地を栃木県の谷中村に作ることを決めました。「谷中村を毒のたまり場にするなんて、許せない。銅山の営業を続けるために、一つの村をつぶすというのか。」正造は、谷中村の住人の先頭に立ち、反対運動を始めました。

ところが、被害のない土地に住む多くの人たちは、遊水地をつくることで解決したとおもうようになってしまいました。日に日に鉱毒問題が忘れられていくのが、正造はくやしくてたまりません。「あきらめずに、続けていくことが大切なのだ。わたしは、谷中村の人たちとともに最後までやり抜くぞ。」

正造は64歳の時、谷中村に移り住み、ともに運動をする人たちの家を転々として暮らしました。しかし、10年ほど経つうちに、村の人たちも戦うことに疲れ果ててきました。国からわずかなお金を貰い、よその土地へ引っ越していく人がだんだん増えていきました。

それでも、正造は老いて病気がちな体を励ましながら、わずかに残った住民を訪ね歩くことを辞めませんでした。そして、1913年。正造は河川調査の途中で倒れ、一カ月後には帰らぬ人となりました。73歳でした。正造の死後、わすかに谷中村に残った人々も、遊水地の完成を前に村を出ていきました。

足尾銅山は、銅を取りつくすまで営業が続けられ、そのために一つの村がなくなり、多くの人々が犠牲となりました。足尾鉱毒事件は、日本で環境汚染による公害問題でしょう。その後、日本では1960年頃から、公害問題が注目されるようになりました。正造は、日本の環境問題にいち早く取り組んだ人なのです。

.. 2020年02月14日 06:08   No.1846009
++ タク (社長)…1189回       
残念ながら、正造は村を守り抜くことができませんでした。けれども、「だれもが。暮らしやすい世の中をつくりたい」という強い思いから、立場の弱い人たちのそばに立って、粘り強く続けた正造の姿は、のちの人々に多くの影響を与えたのです。
.. 2020年02月14日 06:23   No.1846010
++ 浅野健一 (大学生)…97回       
自分たちで新しい社会を考え行動しよう
 | 自己責任論は日本政府の行政責任を放棄
 | イラン系日本人、ナディさんの日本改革提言
 | 「メディア改革」連載第25回
 └──── (元同志社大学大学院教授、
            アカデミックジャーナリスト)

◎ 「出稼ぎ」の父親、母親、弟2人との5人で1991年に来日し、いつ
強制送還されてもおかしくない状況を乗り越え、高校1年生の時に
在留特別許可を得て、「イラン系日本人」として生きてきたナディさん
の講演会が1月25日、「スペースたんぽぽ」で開かれた。
 講演会は<浅野健一連続講座>として開催され、20人が参加した。
遅くなったが、講演の概要を紹介したい。

◎ ナディさんが昨年6月に出版した『ふるさとって呼んでもいい
ですか−6歳で「移民」になった私の物語』(大月書店)は4刷りに
なっている。
 ナディさんは1984年イラン生まれで、日本の大学を卒業、
大手メーカーに就職、結婚し、2児の母になっている。ナディさんの
夫が同志社大学浅野ゼミOBという縁もあり、講演が実現した。

 ナディさんは「両親が3カ月の観光ビザで来日、オーバーステイ
(不法滞在)していたため、隠れるようにして暮らした」日々のことを
語った。
 イランで小学校1年生だったナディさんが日本の小学校に入れた
のは、来日から3年後だった。父親が警察に2回一時拘束されたこと
があった。警察官に学校の通知表やランドセルを見せ、「ほんとうに
勉強しているんです。捕まえないでください」と頼み込み、摘発を
免れた。
 滞在ビザがないので、医療保険に入れない。ドッジボールをして
いて転び、脚を捻挫して病院で4000円とられた。その後、2回捻挫
したが、医者に行かずにいると腫れてしまい、病院で診てもらうと
右下のじん帯を切っていた。

.. 2020年02月16日 08:25   No.1846011
++ 浅野健一 (大学生)…98回       
 ナディさんは2019年3月に出版された望月優大著『ふたつの日本
「移民国家」の建前と現実』 (講談社現代新書)を読んで、考え方が
変わった。
 「両親が観光ビザで来て不法滞在したことを悪いと思っていたが、
この本を読んでみると、どうやら、日本政府は在留資格のない
イラン人、パキスタン人、バングラデシュ人、日系ブラジル人と、
今の技能特定、実習生はすべて『労働力』という言葉で繋がるのだ
ということに気付いた。
 法務省は1989年から移民は受け入れず、単純労働も認めないと
言ってきたが、日本人が嫌がる仕事をイラン人が来たのでやらせた」

◎ 「リーマンショックが起き、派遣切れに遭った日系ブラジル人らは
日本政府からに一人30万円のお金をもらって帰国を推奨された。彼らの
多くは帰国した。そこでできたのが、特定技能、実習生だった。
5年の期限付きにし、ベトナム人、ネパール人とかが来た」
 「両親たちがビザなしで働いていたことは、日本政府の人たちも
知っていて、暗黙の了解だったのだと知った。自分たちだけが悪い
ことをしていたわけではなかったと分かって、肩の荷が下りた」

 「社会保障は国がやらなければならないのに、日本政府はすべてを
自己責任の方向にもっていって、責任を放棄してしまった。世界は
豊かになっているのに、その中でも、こんなに自分たちの生活を
狭めてしまう、生活しにくくしてしまっていることに、早く気付き、
変えて行かないともっと難しい生活が続く社会になる。自分たちで
考えて、自分たちが暮らしやすい社会をつくりたい」

 「昨年4月の統計では、日本には274万人の外国籍の住民がいる。
日本の文化に全然染まっていない外国人が来た時に、彼らの意見を
聞いてみるべきだ。日本人で、仕事で外国にいる人もいっぱいいる。
彼らは新しい価値観を持って、何がいいかを考えるきっかけにしても
いいのではないか」

◎ ナディさんは「問題は差別があることとか、そういうことを
言ってはいけないというよりは、全体的に貧しくなっている現実を
考えるべきだ。30年経って税率がこれだけ上がっているのにまだ
お金が足りないというのはあり得ない。みんなもっと疑問を持つべき
ではないか」と強調した。

.. 2020年02月16日 08:34   No.1846012
++ 浅野健一 (大学生)…99回       
 この後、『ふるさとって呼んでもいいですか−6歳で「移民」に
なった私の物語』を編集した大月書店の岩下結(ゆう)さんが、
出版の経緯を次のように話した。
 「出版社の編集者になったばかりの16年前、FTCJの活動をして
いたナディさんと知り合った。15年かかって、2番目のお子さんが
生まれる直前に、いい原稿が完成し、出版できた。最後の章が入った
ことがよかったと思う。社会に対して自分の気持ちを言っていいと
考え書き上げてくれた。私個人はこの章が一番好きだ」

◎ 講演会を主催した「たんぽぽ舎」の共同代表、柳田真さんが
「たんぽぽ舎は原発のことをやっている団体で、今日は珍しい
講演会だ。日本が今後どうすべきかを考える時、ナディさんのような
経験を聞くことが大事だと思う」と挨拶してくれた。
 ナディさんは質疑応答で、在日朝鮮人の人権問題の解決を強調した。
受付を担当してくれた渡辺マリさんがたんぽぽ舎の日朝関係の講座の
予定に触れ、高校・幼稚園保育園の無償化からの排除の不当性を訴えた。

◎ ナディさんはイランの現状を話した。
 <イランは、堅物のイスラム教の国で、女性は人権ゼロという
印象だが違う。化粧品店に行って、アイライナーがほしいと言うと、
店の男の人が私にお化粧してくれる。毎日パーティがあるのかと思う
ような派手な洋服を家の中で着ている。経済制裁があるのに、生活は
豊かだ。彼らが自分たちの力で発展させている。私たちの生活は私たち
がつくるというのはこういうことなのだと体験できた>

 <米国はサウジアラビアなどを利用して、イランの八方を塞ごうと
しているが、それは嫌だと思っている。1月3日のカセム・ソレイマニ
総司令官の殺害で、米国は本当に汚い国だと思った。法律も何もない
国だ。烏合の衆の塊になるとああいうふうになるのだと思った。
俺たちは危ない可能性があったからやったんだという。それに対して、
そういうやり方は法律違反でダメだと言った国がほとんどない。
みんなシーンとして何も言わない>

.. 2020年02月16日 08:40   No.1846013
++ 浅野健一 (大学院生)…100回       
 <経済制裁で国民は大変な部分はあるが、米国にはっきり「ノー」と
言える国は格好いいと思うが、現地で暮らす人たちは大変なこともある
と思う。
 日本の報道はすべて米国のものしか入ってこないので、断片的にしか
伝わらないが、イランには学べることがたくさんあって、そのことを
隠すのは、自分たちに何か不利益になることがあるからだと思う>

 私はこうコメントした。
 [米国の軍隊がなぜアラブにいるのか、全く理解できない。ロシアや
中国の軍隊がカリブ海あたりにいたら、米国人はどう思うか。逮捕状も
請求せず、司令官の乗った車両を白昼堂々、無人機で空爆し殺害する。
山口組もここまではやらない。]

.. 2020年02月16日 08:46   No.1846014


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