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■--メンデルの功績
++ タク (社長)…1147回          

黄色のまめができるエンドウは、豆を黄色くする目に見えない「つぶ」を持っています。緑色のまめができるエンドウも、同じように豆を緑色にする目に見えない粒を持っています。黄色と緑色を掛け合わせると、どの豆にも黄色と緑色のつぶが伝わりますが、黄色のほうが強いので、豆の色はすべて黄色になります。

メンデルは、のちに「メンデルの法則」と呼ばれる研究の成果を1865年に発表して、各国の学者にも詳しく書いて送りました。けれども、この研究は素晴らしいと、価値を認めてくれる人はいませんでした。

「7年間かけて自然に潜む謎を解き明かしたというのに、どうして、わかってくれないのだ。でも、いつか、私の時代がきっとくる。」そして、1668年、思いがけないことが起こります。修道委員長が亡くなり、選挙でメンデルが次の修道委員長に選ばれたのです。

修道院の仕事が忙しくなって、じっくり遺伝の研究をするような時間は無くなりました。1884年、メンデルは病気で亡くなりました。人々はその死を惜しみましたが、遺伝の研究は埋もれたままでした。

研究は光が当てられ、その価値が学者たちに理解されるようになったのは、発表から35年、死後16年もたった1900年のことです。エンドウの実験で、豆の色のもとになる「つぶ」と考えられていたものは、やがて、「遺伝子」と呼ばれるようになり、その正体も明らかになりました。

病気の研究や薬の開発など人や生き物の命に関連する研究は、いまや「遺伝子」ぬきに進めることはできません。メンデルの研究は、生物学や医学を大きく前進させる土台となりました。メンデルは、自分の得意な科学の研究で計り知れない恵みを人々に与えたのです。メンデルの偉大な功績はメンデルが亡くなった後に花開いたのでした。
.. 2020年01月21日 09:03   No.1834001

++ 浅野健一 (大学生)…89回       
麻生太郎副総理の「日本は単一民族・2千年の王朝」暴言
 | 日本は多民族、移民国家になっている
 | 1/25(土)イラン人ナディさんの講演で多民族社会を知ろう
 | 「メディア改革」連載第23回
 └──── (元同志社大学大学院教授、
            アカデミックジャーナリスト)

◎ 麻生太郎・日本副総理兼財務相は1月13日、地元の福岡県直方市で
開いた国政報告会で昨年のラグビーワールドカップの日本代表チームの
活躍に触れ、「いろんな国が交じって結果的にワンチームで日本が
まとまった」などと指摘。
 その上で、「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、
一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない」
と述べた。
 麻生氏は同日に同県飯塚市で開いた国政報告会でも「2千年に
わたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている
国など世界中に日本しかない」と発言した。
 麻生氏は2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本の
ほかにはない」と発言し、北海道ウタリ協会(当時)から抗議を
受けている。
 麻生氏の言う「日本」はヤマト(大和)を指すのだろうが、
日本政府は2019年5月にアイヌ民族を「先住民族」と明記した
アイヌ施策推進法を施行しており、麻生氏の発言は政府方針と
矛盾する。

◎ 日本には、アイヌ民族の他、かつて琉球王国があり、在日朝鮮人、
在日中国人、渡日外国人など、ヤマトとは異なるルーツを持つ多様な
市民が数百万人存在する。
 琉球王国が日本(島津藩)に武力併合されたのは
17世紀初めのことだ。
 また、2000年前は縄文時代で、日本国も日本語も日本文明は
なかった。麻生氏は国家神道にならって、神話を元にした「皇紀」で
年数を数えているのだろう。

.. 2020年01月22日 05:58   No.1834002
++ 浅野健一 (大学生)…90回       
◎ 「同じ一つの王朝」が2000年維持されてというのも妄言だ。
南北王朝時代もあったというのは小さいことだが、日本列島に
国民国家が成立したのは1968年の明治政府の設置時であり、
皇国史観に基づく天皇制国家が誕生したのは大日本帝国憲法
施行からである。
 前天皇は2001年12月18日の天皇誕生日会見(23日報道解禁)で、
日韓共催のサッカーW杯を前に、「私自身としては、桓武(かんむ)
天皇の生母が百済の武寧王(ぶねいおう)の子孫であった」「韓国から
移住した人々や招へいされた人々によって様々な文化や技術が
伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫
で、代々楽師を務め、いまも折々に雅楽を演奏している人がある」と
語っている。
 また、大日本帝国はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏を宣言した
1945年8月15日に完全崩壊しており、1946年に制定された日本国憲法に
よって日本国は象徴天皇制となり、「一つの天皇という王朝」では
なくなっている。

◎ 麻生氏は最初に選挙に出馬した際、第一声は「しもじもの
みなさん、・・・」という挨拶から始まったという。数々の暴言、
安倍記念小学校にかかわる文書改竄などで閣僚を辞任すべき麻生氏
だから、また、やったかという扱いだ。メディアの追及が甘すぎる。

◎ 日本のキシャクラブメディアは、麻生妄言について、アイヌ施策
推進法との矛盾を指摘するだけで、2000年にわたって「王朝」が
続いているという誤った歴史認識についてほとんど批判していない。
大手メディアの記者たちはヤマトの支配層に属するエリートたちで、
麻生氏の暴言に怒りを感じないのだろう。
 麻生氏は翌日の会見で「誤解が生じる発言ということなら、言い方に
気を付け訂正せないかん」としたが、誰も誤解などしていない。
 麻生氏の記者団への話しぶりには、反省している姿勢は感じられない。
慇懃無礼だ。
 2019年4月から改正入管法が施行され、外国人の新しい在留資格
「特定技能」が創設されたが、安倍晋三首相は「移民受け入れ政策
ではない」と強弁しているが、日本は既に移民国家になっている
というのが現実だ。

.. 2020年01月22日 06:07   No.1834003
++ 浅野健一 (大学生)…91回       
◎ 麻生氏の「単一民族国家」という発言に違和感を持つ人たちに、
ぜひ参加してほしい講演会を企画した。
 急な案内になるが、1月25日午後1時半から「スペースたんぽぽ」
で、イラン人のナディ(Nady)さんの講演会を開きます。

<浅野健一が選ぶ講師による「人権とメディア連続講座」>として
開催し、講演のテーマは「ふるさとって呼んでもいいですか」。
私のブログに案内文とチラシを載せています。
こちら

 ナディさんは1984年イラン生まれ。1991年に出稼ぎ労働目的の両親
とともに家族で来日し、オーバーステイ(超過滞在)の状態のまま
首都圏郊外で育つ。
 小学3年から公立学校に通い、高校在学中に家族とともに在留特別
許可を得て定住資格を獲得。大学卒業後は都内の企業に勤務し、
現在は2児の母。夫は同志社大学社会学部メディア学科浅野ゼミ出身。
2019年6月、これまでの半生を綴った自伝『ふるさとって呼んでも
いいですか―6歳で「移民」になった私の物語』(大月書店)を出版。

.. 2020年01月22日 06:22   No.1834004
++ 浅野健一 (大学生)…92回       
◎ 「デカセギ」で海外から日本にやってきた人たちの子どもが、
自分の言葉でその人生を語る。日本は既に移民国家になっている
ことが分かる。
 ナディさんの本は、朝日新聞読書面(評者・武田砂鉄さん)、
TBSラジオ「荻上チキ Session22」、神奈川新聞、BuzzFeed Japan
 ほか、各種メディアで高い評価を受けている。1月18日、NHK・
Eテレの「ウワサの保護者会」に出演した。
 講演会には、ナディさんに15年前、本を書くように勧めた編集者の
岩下結さんも参加する。
 不法滞在という逆境の下でも、周囲と家族に支えられ、異文化の中で
生きてきたナディさんが、来日後29年間の苦しみと喜びの日々を語る。
 米国と戦争の危機にあるイランとは、どんな国なのか、イラン人の
生活実態などを知ることもできると思う。
 難民をほとんど受け入れず、外国人労働者を「労働力」としか見ない
日本政府。「日本は単一民族国家」だというのは事実を見ない
思い込みだ。
 国籍、人種、宗教を超えたワン・コミュニティを目指す皆さんの
参加をお願いしたい。
 私は、2019年11月15日の「週刊読書人」(第3315号)に同書の
書評を書いている。書評記事もブログにアップしている。
 ナディさんの著書は最近読んだ本の中で最も感動した本だ。
 本を読んだ上で講演を聞いてほしい。

.. 2020年01月22日 06:37   No.1834005
++ 仲條拓躬 (社長)…433回       
石原莞爾が考える国防問題
石原大尉は大正九年(一九二〇年)四月の定期異動で、教育総監部から漢口の中志那派遣隊司令部付に転出します。陸大出の、いわゆるエリート将校の志望はドイツ留学でありましたが、石原莞爾の念願は中国大陸であったから、この転出命令を手放しで喜びました。

石原莞爾はこの中支那派遣隊で板垣征四郎少佐とともに特務機関の業務につき、中支の政情、民情、軍事情報の収集、兵要地誌の調査に当たることとなりました。板垣征四郎少佐は岩手県出身、石原大尉よりは五期先輩の十六期、支那通であった。東北人特有のねばり強さ、実行力の所有者です。

二人は意気投合し、のちに満州事変のときコンビを組みますが、その機縁は、このときにはじまったといえます。石原大尉がそれまでに研究した結論によると、日本の国防は東亜民族が手を握ることであり、それにはまず日支両民族の協調が肝要、というものでした。

その手初めとして、中国大陸の現状を視察できるわけで、ドイツ留学とは比較にならぬほどの意義をもっています。中支那派遣隊勤務は一年五ヵ月という短いものでありましたが、特務機関員であるため、中支を広く踏破しました。

石原莞爾の観察、推理の能力は一般人の数倍もの鋭さをもっていたから、支那通と称される連中の妄想的な考えとは、おのずから質を異にしています。手すきのときは、官舎で一人静かに重要な国防問題である戦争指導理論に思いをめぐらせていました。

その大綱はつぎの通りです。「戦争の指導は、政治と武力、両者の軽重により、短期決戦と長期持久の二種に分けることができる。武力で政治に優先すればするほど戦争は太く短くなり、武力が絶対な場合は、戦いが迅速果敢で短期間に解決する。これがいわゆる決戦戦争である。それに反し政略つまり政治、外交、経済などの価値が増大して、政略が作戦に優先するようになると、戦争は活気を失い陰性的で、細く長く長期化してくる。」

「それが持久戦争である。日本が日露戦争に当たり、戦争指導計画を深く考慮することなく、モルトケの戦略思想を鵜呑みにして強国ロシアに対し、決戦を求めたが、これはきわめて危険な戦争指導であった。これに勝ったのはまったく天佑で、日本がもしもこの戦争の本質を開戦前につきとめていたら、あるいはあのように戦争に踏みきる勇気が出なかったかも知れない。」


.. 2020年01月22日 07:51   No.1834006
++ 仲條拓躬 (社長)…434回       
「第一次大戦でロシア帝国が崩壊したことは、日本の陸軍に至大の影響をおよぼした。陸軍は仮想敵国を失い、在来の対露中心の研究に大変化をもたらした。すなわち、軍部は軍事業の研究をおろそかにし、戦争よりも政治に興味を持つようになった。その結果、軍閥の出現となったのである。」

「また ロシアの崩壊とともにアメリカの東亜に対する関心は増大し、日米抗争の重苦しい空気は日に日にはなはだしくなり、結局は東亜問題を解決するためには、対米戦準備が根抵をなすべきであるとの判断の下に、持久戦争の研究がとくに重要となったのである。」

「右の状況判断により、日本の国防方針はナボレオンの対英戦争におけると同様に、一方には大陸で、戦争をもって戦闘力を養い、ソ連の南進を断念せしめ、他方ではアメリカおよび世界に対し、陸によって海を制するという持久態勢をとるため、国防の根拠地を大陸に置かなければ、日本の国防は破壊に陥る。しかるに日本軍部の先輩はじめ政治家も一般国民も、日本は島国であるから、あたかも東洋のイギリスであるという考え方が決定的で、日本の国防方針もまたそれであった」

石原は、その理由をつぎのごとく述べている。「日英両国の国防的地位は非常に違う。英国の利害関係は、ヨーロッパ大陸以外の植民地にあるから、それと英本国の交通路を確保するためには、ヨーロッパ大陸における諸国が絶えず争うごとく、フラン スが強くなればドイツをもって対抗させ、ドイツが強くなければフランスやロシアをも って牽制させる。」

「かくしてヨーロッパ大陸の勢力均衡を維持することが、イギリスの外交方針であった。しかるに日本は、今日重大な利害関係を大陸に持っている。日本と大陸との交通の安全のためには、日本が西太平洋の制海権を把握しなければならないが、ソ連が満州から朝鮮、北支へ侵入するにいたれば、日本の国防は致命的な打撃を受けるから、日本はアメリカの海軍と、ソ連の陸軍を同時に防ぐだけのカを持たねばならない」

石原莞爾のこのような判断力は、もちろん天才的才能によるものでありますが、その理論の根本は、幼年学校時代からの戦史の研究に不断の努力を傾注した結果であると思うのです。

.. 2020年01月22日 07:57   No.1834007
++ タク (社長)…1148回       
日本軍の軍人魂が発揮された瞬間
大東亜戦争を指導した将軍や幕僚をきびしく批判した書物が多々出版されており、大東亜戦争が愚かしい戦争だったかというと、決してそんなことはないと考えています。大東亜戦争はワシントン体制という米国中心の不公正な世界秩序に対する、やむにやまれぬ異議申し立てであったし、世界に誇るに足るいくつもの戦いぶりを発揮しています。

そのひとつが昭和十六年(一九四一) 十二月八日に始まる緒戦の大展開です。緒戦の勝利では真珠湾攻撃とマレー沖海戦がクローズアップされていますが、この二つの作戦と並行してフィリピン、蘭印の制圧を目ざした南方作戦が進められ、いずれも短期間で快勝しています。

このフィリピン、蘭印作戦を中央に、右翼には香港、シンガポール、ラングーン、マンダレーを攻略する大陸沿いの作戦があり、左翼にはグアム島、ウェーク島から南にラバウル、ラエ·サラモア、北にキスカ島、アッツ島を攻略する島伝いの作戦があります。開戦以来たった六ヵ月でこれだけの大作戦を展開し、これだけの地域を勢力圏に収めた例は世界の戦史でも珍しい事でしょう。

大東亜戦争では愚将、弱将について書かれることは多いのですが、勇将、猛将についてはなぜか遠慮がちにしか書かれていません。勇将、猛将はそんなに払底していたのでしょうか。それならなぜ緒戦にみられるような大作戦が粛々と展開できたのか、不思議です。

たとえば硫黄島で玉砕し、「敵指揮官中、もっとも勇猛」と米海兵隊司令官スミス中将にいわせた栗林忠道中将はどうだろう。大本営の玉砕の要請に対して「ソノ期至ラバ、在島将兵全員喜ンデ一丸トナッテ死地ニツキ、魂魄ハ永ク祖国ヲ守ルモノト信ズ」と返電し、見事に散ったアッツ島の山崎保代大佐はどうだろう。

「将兵に対し人として堪え得る限度を遥かに超越せる克難敢闘を要求致候」と遺書に書き、戦犯収容所で自決した東部ニューギニア戦線の第十八軍司令官安達二十三中将はどうだろう。第五航空艦隊司令長官として沖縄特攻作戦の指揮をとり、八月十五日、最後の特攻として自ら飛び立った宇垣纏中将はどうだろう。

.. 2020年01月23日 09:46   No.1834008
++ タク (社長)…1149回       
ミッドウェー海戦で脱出のチャンスがありながら、空母「飛龍」の艦長とともに潔く散った山口多聞中将はどうだろう。勇将、猛将、そしてそれらの将軍の下で勇敢に戦い抜いた将兵の物語は、このように数限りなく続いているのです。
.. 2020年01月23日 09:55   No.1834009
++ 浜島高治 (大学院生)…108回       
暗礁に乗り上げたリニア新幹線計画
 |  JR東海の“傲慢”葛西敬之名誉会長
 | 国民に禍為す「リニア」の暴走
 └──── (神奈川県在住)

 昨年12/20メールマガジンNo.3822に掲載した:JR東海がひた隠す
「リニア・リスク」;月刊「選択」12月号に続いて、
 月刊「ZAITEN」2月号の全19頁
 『安倍晋三を指南する自称“大日本帝国の官僚”−JR東海・
葛西敬之名誉会長 国民に禍為す「リニア」の暴走』の記事が
出ました。

 葛西敬之は国鉄分割民営化国労潰しの張本人です。
 そして、安倍政権暴走の牽引者です。
 前社長が「リニアは絶対ペイしない」と言っているのに、安倍に
3兆円の融資をさせました。
 大井川上流の水問題で静岡県からは総スカンなので、安倍の走狗・
国家安全保障局長を動員して反対派を潰しに…。
 ぜひ、一読下さい。

以下、「ZAITEN」HPより

 異形の取締役名誉会長、葛西敬之率いるJR東海の暴走が
止まらない。
 当初は「自前」と嘯きながら、首相安倍晋三と葛西との蜜月を頼みに
3兆円もの財投資金を引き出しリニア中央新幹線建設に邁進するも、
2018年末には談合問題が発生した上、葛西仕込みの“傲慢”対応が
災いし沿線住民の怒りは沸点に…。
 結果、2027年開業には暗雲が垂れ込める。

 そんな暗礁に乗り上げたリニア計画に加え、画餅と化した
米テキサスの新幹線輸出プロジェクトを会長の柘植康英、社長の
金子慎ら、葛西傀儡のJR東海首脳陣が計画をゴリ押しするのは、
いずれも“葛西天皇”のレガシー(遺産)づくりのために他ならない。
 大動脈の東海道を自家薬籠中にする公益企業は、もはや、わが国の
将来に大きな禍根を残す存在になろうとしている―。

 「JR東海の“傲慢”に反発するのは静岡県だけではない
  沿線住民は蔑ろ「リニア工事」暗礁の現場」
 など
 詳しくはこちらを こちら 

.. 2020年01月24日 08:06   No.1834010


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