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夕刻の5時頃になると大半の人が引き上げていく。万が一の侵入に 備えて夜7時過ぎまで留まれる人数は30〜40名位だったろうか? 「あつまれ辺野古」のコアメンバーは、夜の7時以降は出入り口に 駐車し、車中泊で機動隊の襲来に備えていた。 安和港はドローンの規制区域外にあるので、トラックの動きを とらえていたようだ。 一日に何回かは入口でプラカードを掲げ、少しばらけたゆっくり とした行進をした。機動隊が来たときに対応できるようにするため である。 24,25日は機動隊もトラックも現れなかった。ゲート前と同じように スピーチや歌が続いた。
◎ 若者が何人かいた。びょろ長い、男の若者が安和桟橋と題打って ラップをやってくれた。場が沸いた。 そして女の若者が辺野古バージョンのソーラン節踊りの指揮を2日間 とってくれた。 かなりハードな動きになる。屈身してから天を突いたり、船を漕いだ り、腕で波を象ったり、腕を組んでラインダンスをするまでに及んだ。 結構活気に溢れ楽しかったが、翌日から階段の上り降りに脚が攣(つ) る羽目に至ってしまった。
.. 2019年10月30日 08:59 No.1779006
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