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大日本帝国とはどれだけの広がりを持ったのだろうか。版図の拡大に加えて、「日本」と「日本人」の領域を考える取り組みが進んでいます。植民地帝国として日本を捉えたときにまずイメージされるのは台湾と朝鮮でありますが、北海道や沖縄も、侵略や同化政策が行われたという観点に立てば「植民地」であったとする見方が示され、ほぼ定着しています。
もっとも、そこで示されたのは「日本」と「植民地」の間に線を引くことではなく、同化に代表される権利や旧慣保護に代表される排除の論理が共存していたという現実とどう向き合うかということではないでしょうか。
この意味において、近年、ハワイや南北アメリカの移民や、国内における内地問題、そして戦後の引き上げまでを視野に、アジア太平洋規模で日本人の広がりを捉えようとする試みがなされ、政治のみならず、経済社会までを含めた「日本」の広がりをどう捉えるかが関心を集めているのです。
たとえば、アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスにある移民博物館にはイタリア人移民と並んで、日本人移民の展示スペースが設けられています。そこには彼らが作ったひな人形や現地で発行した漢字新聞、母国から持参した衣服からレコードまで、戦前のみならず戦後に至るまでの数々の資料が展示されているのです。
現在、人口減少に直面するなかで、南米から日系三世や四世が日本に迎えられています。こうしたなかで、「日本人」の広がりを考える必要性は、以前とは比較にならないほど増しているのです。
.. 2019年10月25日 09:04 No.1776001
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