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石原莞爾平和思想研究会のHPをご覧下さり、誠にありがとうございます。このHPを維持・管理している仲條拓躬(タク)です。極東国際軍事裁判(所謂東京裁判)の際に山形県酒田市の商工会議所に設けられた臨時法廷に証人喚問された病床の石原莞爾を延々20キロの距離をリヤカーで搬送した仲條立一の長男です。
長らくHPを維持・管理してまいりましたが、2013年5月の総会で当会の会長に選任され、現在に至っております。石原莞爾は「満洲事変の首謀者」とされ、日中15年戦争の嚆矢役となったとして「悪者」扱いされてきました。
しかし、第二次世界大戦終から今日まで続いている中東のイスラエルとパレスチナとの確執を見ても、単純にどちらかが一方的に「加害者=悪」で他方が一方的な「被害者=善」とは言えない現状があります。満洲事変もそのような混沌とした当時の国際環境下で行われた行為だと思います。
あの時代の満洲も今日の中東も、当事国だけでなく、利権を巡っての大国を始め多くの国が干渉・関与してきたは言うまでもありません。「歴史は勝者によって造られる」のですが、やがてそんな「勝者」の一方的な歴史観に反発を覚えた「敗者」のルサンチマンによって、時の流れと共に歴史は見直されるようになります。
昨今の日中・日韓関係の悪化は、直接的な原因はそれぞれ異なりますが、根幹的には、「自国の歴史の再評価」の自我に目覚めた日本と、従来通りの歴史観を押し付けたい中国と韓国との確執が根本にあると思います。そして、石原莞爾を再評価することは、戦争と終戦に至った昭和史前史を私たち自ら見直し再評価することでもあります。
そのような想いの人たちが「石原莞爾生誕100周年」に当る平成元年に参集し、その折に東亜連盟を継承した「協和党・協和会」が発展的解消して誕生したのが、石原莞爾平和思想研究会です。発足と同時に「永久平和」という会報誌を発行し続けております。当初は隔月刊(年6回発行)でしたが、現在は季刊(年4回)になっております。
爾来四半世紀以上になった当会ですが、2014年3月に三代目の編集長が亡くなり、現在は編集委員会監修の下、編集業務を行っております。そして「会員のための会報誌」という編集方針に基づき、直接石原莞爾に関係のない記事でも内容次第では積極的に掲載するようにしています。
.. 2019年10月22日 07:31 No.1773001
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